平成12年6月10日
滋賀県五箇荘町、日野町、近江八幡市各町並み散策14.3km

今日はかねての計画どおり滋賀県の3ヶ所の古い町並みを見に行くことにした。
重要伝統的建造物群保存地区に選定された所としては、妻篭、奈良井、岩村、美濃に続いて
5番目であるが、愛知県瀬戸市から比較的行きやすい所として、滋賀県近江八幡市へ行くことにして、
滋賀県のホームページなど調べているうちに、五箇荘町、日野町にも古い町並みがあることが
分かり3ヶ所行くことにしたものである。
この3ヶ所へ行くには近江鉄道という私鉄を使う。
近江鉄道のホームページで駅の時刻表を調べているうちに、第二土曜日と第四土曜日には、
SSフリーキップという550円で一日乗り放題のキップがあることが分かった。
これを利用しない手はないと思って、第二土曜日の今日行くことになったものである。

近江鉄道は、特に日野駅へ行く本線は電車の本数が多くない。昼間は大体1時間に1本である。
その辺を考えて準備しておく必要がある。


朝、6時半に自宅を出る。
尾張瀬戸7時の電車に乗る。大曽根でJRに乗り換え。ここでJR東海の青空フリーパス2040円を買う。
このキップは西は米原まで今日一日乗り放題のキップである。米原まで片道で1280円だから、大分得
である。

名古屋駅で米原行き特別快速に乗る。結構乗客が多い。満席に近い。
少し遅れて米原につく。
米原で近江鉄道に乗り換えた。いかにも駅、電車共にローカルな感じである。

電車に乗ろうとするとカメラを持った年輩の男性が、電車をバックに写真を撮ってくれという。
気軽に引き受けて、少し前へ出て大きめに写真を撮る。
車内でその男性としばし雑談。
名古屋からきたそうである。
今は近江鉄道のホームはJRの駅から少し離れているが、昔はすぐホームが引っ付いていたとのこと。
私も20年位前、2年か3年連続してオリエンテーリングの大会で近江鉄道の次の駅まできたことを
思い出した。たしかにJRのホームの横に近江鉄道の乗り場があった。
JRのホームが移動したそうである。近江鉄道のホームも電車もおそらく20年前と変わっていないと
思うくらい年代ものである。

電車の乗客は10人くらい。これでは電車の経営も大変だろう。
車内の吊り下げ広告を見ると、大半の駅は無人駅で、終日駅員がいる駅も少なかった。


しばらく待って電車が走り出す。
30分ほどで五箇荘へ着いた。10時15分。
この駅は五箇荘町の中心部からはすこし離れた所にある。
また、古い町並みのある金堂という所までは2km位あるとのことだ。
しばらく歩き出して、町の案内板を見ていると、車から話し掛ける人がいる。
どこまで行くかと聞くので、金堂まで行くというと、よかったら乗りませんかと言ってくれた。
30代の男性である。
いつものウオーキング目的なら断るところだが、今日は喜んで乗せてもらうことにした。
今日は3っ所へ行くことや電車の本数が限られるので、時間が欲しい。

感じのいい男性で、いろいろ町のことを説明してくれた。
旧中山道を通り、金堂はあの一角ですよと指し示しながら町の観光案内所へ送ってくれた。
金堂はすぐそばだし、そこでパンフレットをもらっていったらいいでしょうということであった。
ありがたいことだった。

そこでトイレを借り、パンフレットをもらって歩き出す。
「近江商人発祥の地、白壁と蔵の町」と書いてある。

金堂という部落はすぐそばである。


金堂・川口家

本の解説によれば
金堂地区は約600m×500m
の範囲にあり、江戸末期から
昭和にかけて活躍した近江商人の豪壮な邸宅が立ち並び
門、板塀、土蔵などが屋敷を
取り囲んで、閑静な邸宅街を
構成している。

だいたいの感じはそういうところ
である。




上記の屋敷の横の通りを写す

子供が近づいてきたのを
待って写す。

ここで中年の女性に話し掛けられる。観光でこられたのかと聞く。
町の観光案内ボランティアかと
思って、親切な町だと思ったが
どうも違うらしい。
キリスト教の宣伝のひとらしい。
この頃の子供のいじめはどう思うかと聞かれたが、ここでこういうたぐいの人に捉まっては
時間がないので困る。

また、今度にしてくださいと断った。


横で三脚を構えて写真を撮っている年輩の男性があり、話し掛ける。
京都から来たそうで、前にはぐループできたが、改めてゆっくり写真を撮るため、今日は一人できた
そうである。カメラを見るとミノルタである。アルファ7000とかの機種のようだった。
私もミノルタを持っているが、今日はデジカメだというと、「デジカメね、私たちのグループのコンクールは
デジカメは駄目なんですよ」という。「それはそうでしょう」と私も答える。写真は大分年季が入っている
感じだった。

そこから次の目的である。近江商人屋敷に向かう。


近江商人屋敷にて

財をなした近江商人の
旧外村宇兵衛邸で公開されて
いる。

横に外村繁文学館として
外村宇兵衛の分家の子孫に
なる文学作家の外村繁の生家
がある。

時間があったら入ろうと思った。


近江商人屋敷前にて

前の駐車場で停まっていたタクシーの
女性運転手さんに撮ってもらった。

客待ちをしているより、貸切のタクシーで
お客がここを見学している間、この小川を泳いでいる鯉を見ていたので、写真を
頼んだら、快く引き受けくれた。


つぎの「あきんど大正館」というのを見に行く。
上記の外村邸ほど大きくはないようだが、大正時代に朝鮮半島で沢山百貨店を造り百貨店王と呼ばれた
中江家の屋敷である。広い庭園が見ものとあるが、中へ入らず。

その他、その辺りをあちこち歩き写真を撮る。
近くにお寺が二つあったが、この辺りの近江商人に支えられていたのか、なかなか立派である。
小川には大きな鯉が泳いでいる。


先ほどの観光案内所でバスの時間を見たが、適当なものがないので、また五箇荘駅まで歩くことに
する。予定の電車の時間、駅までの距離を考えると、ゆっくり商人屋敷を見る時間もなく、残念であるが
駅へ急ぐことにした。金堂にいたのは約1時間だった。

駅へ向かう道にある家は、立派な家が多い。近江商人の子孫が家を守っているという感じである。
塀を構え、大きい二階建てで、土蔵があり、手入れの行き届いた大きい木があるというのが共通の
特徴である。

道を訪ねながら駅へ急ぐ。途中、旧中山道を通る。そういえば若干その面影があるというところか。
中山道に面して町役場があった。この辺りが町の中心部に当たるのかな。

五箇荘駅11時35分着、5分ほどまって電車に乗り、次の八日市で貴生川行きの電車に乗り継ぐ。
20分ほどで日野に着く。日野駅は町の中心からはややはずれている。目的地まで約3kmある。
3km歩くのは、苦にはならないが、帰りの電車の便も考え、丁度バスがあるので乗ることにした。
バスなら5分のところ、歩くと30分掛かる。今日は時間が惜しいので、バスもやむをえない。

横町というところでバスを降り、歩き出す。

ここは町並みとして、古い町並みが残っているわけではない。
ところどころふるい家が単発的に残っているというだけである。
五箇荘の金堂地区を見てきたものにとっては物足りない。


ところどころにいかにも古そうな家が
ある。古い塀とか土蔵を残しつつ
生活している様子である。


近江日野商人館

日野も近江八幡、五箇荘とならぶ
近江商人の発祥の地だそうである。
行商により富を蓄え、江戸に店を構え
その財により故郷に豪邸を建てたそうで
その一部が残っているとのこと。

この商人館も宝暦年間建造の山中兵右衛門邸を町に寄贈されたものとか。
中は公開されているが、入らず。



ここも立派なお寺がある。やはり近江商人の財によるところなのか。
また、町内町内に背の高い建物があり、祭りの時に出す山車が納められている。
町を歩いている間、数箇所で見かけた。


正野家
右側の家に万病感応丸という看板が
ある。昔は店だったのであろう。

正野玄三という人が江戸時代に
創製した漢方薬で財をなしたそうである。このことから日野は製薬の町となった
とある。

広い屋敷で左側が現在も居住している
住宅になっているようだった。



正野家の面する通りは、日野ギンザとなっているが、昔の街道跡であろう。
ところどころで古い家を見かける。多分、伊勢方面へむかう名のある街道筋だったのでないかと思う。

日野駅へ向かうバスの時間まで時間があるので、昼食にしようと思い、うどん屋そば屋はないかと
思って歩くがなそそうである。
この辺りでは有名な平和堂というスーパーがあった。その中のうどん屋へ入る。
生ビールを飲み、カレーうどんを食べる。

バスは親子連れで満員である。子供会の一行のようである。この先にそういう施設かなにかが
あるらしい。
バスは近江八幡行きである。私が行こうとしているところだから、そのままバスで行ってもいいのだが
問題は運賃である。640円だそうで、日野駅までが240円なので、その差は400円。
日野から近江八幡までの電車賃よりは安い。しかし私は今日は乗り放題のキップなので
日野駅でバスを降り、電車で行くことにした。

しばらく電車を待ち、八日市でまた、乗り換え、近江八幡に3時5分前に着いた。
駅前の観光案内所でパンフレットをもらう。
古い町並みあるところまで歩いても20分余りだが、ちょうどバスがあったのでバスに乗った。

パンフレットのモデルコースとなっている小幡上筋というところでバスを降りる。
池田町洋風住宅街へ向かう途中、八幡小学校というのがあった。
この建物が昔の洋風の小学校そのままである。これはすごいと思った。写真は残念ながら割愛するが
明治村にあっても不思議でない建物である。しかも今でも使われている様子。隣に今風の校舎もあるが
この校舎を残してあるのに敬意を表したい。街のガイドマップにどうして入れないのか不思議と思った。
この後、洋風住宅街を歩く。メンソレタームの近江兄弟社の創業者の家などがあった。
この街は江戸時代の建物が残しつつ、大正の洋風建物も残っている。

そこから北へ向かい、東西に伸びる京街道商店街を東へ歩く。アーケードのある商店街だが
寂れていてわびしい。京街道というから京都へ向かう街道で、むかしはここが中心だったのであろう。
いかにも老舗という和服の店があった。そのほか昔の街道を彷彿させる店がある。

やがて観光の中心地の新町に着く。資料館、旧西川家〔重文〕などがある。


昔の町並みが残る新町どおり



西川家の中


この辺りの近江八幡の観光の中心地であるので、観光客が多い。
資料館には入らず、次の八幡堀へ向かう。


八幡堀

昔はこの堀で船荷が運ばれた
のであろう。

なかなか趣がある。
堀沿いにしょうぶが植えられ
咲いている。

スケッチする人
キャンパスを立て画を描く
グループあり。
写真を撮る人も多い。



八幡山へのロープウエー、日牟礼八幡宮など観光スポットもあるが、割愛して、そろそろ駅へ向かう。
途中の「重要伝統的建造物群保存地区」案内板で、保存地区の町並みの地図があり、新町通りと並んで
永原町通りという南北の通りもその対象ということであり、すこし戻るがそちらの通りへ行く。

その通りを歩きながら、南の駅へ向かう。


永原町通りの町並み

古い家が残っている。

朝鮮人街道というのがあった。
昔、朝鮮からの使者が通ったという
街道ではないかと思う。



近江八幡の駅に4時40分着、14.3km
電車を乗り継ぎ、帰宅したのは午後8時だった。