平成12年5月14日
岐阜県岩村町町内散策〜明智町、大正村 20,0km

今日は先々週、先週に続いて歴史的町並み(重要伝統的建造物群保存地区)を
見に行くことにした。
自宅から簡単にいける所というといくもないが、岩村町は比較的簡単に行ける所である。
岩村へ行くんだったら、その隣の明智町の大正村も行ってみようと思った。

観光客の少ない朝早く行きたいと思って、岩村町役場に電話すると、町役場に車が
置けるとのことなので、車で行くことにした。

そして、明智町まで約10kmを歩いて、明智町からは明知鉄道で岩村まで帰ってくることに
した。
ただ単に町並みを見るのではなく、あくまでもウオーキングを主体にしたい。

岩村町のホームページにかなりの解説があるので、それで予備知識を仕入れた。

朝6時45分に家を出て、8時に岩村に着く。町役場と思って車を停めた立派な建物は
役場ではなく、福祉センターとある。すぐそばに立派な公民館もあるし、岩村町は豊かな町らしい。

町役場に停めて、歩き出す。
本町通りに面した建物が「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けた建物である。

時間が早いせいか、歩いている人も車も少ない。

右側の建物2軒が浅見家、勝川家と
言って、由緒のある家だそうである。
観光協会かへ言えば、中へ入れる
そうである。

私はぶらぶら写真を撮りながら歩く。


木村邸といってやはりこの辺の名家が公開されている。
朝9時からだと200円で中が見学できるそうである。
時間がまだ早いので、中へ入らないで、裏へ回ってみた。


こういう壁を「なまこ壁」というのだそうである。
平らな瓦を斜めに並べて貼り付け、継ぎ目をしっくいで
固めたもの。

木村邸の裏に当たる。


本町通りをほとんど端まで歩いたら、岩村城址の標識があったので、上まで登ることに
した。

登城口と書いてある所から本丸跡まで約1km。
坂道を登って行く。
本丸は山の頂上にあるらしい。

城の石垣が残っている間をどんどん登って行く。一汗かいた。

一番高いところが本丸跡である。


頂上にカメラを持った人がおられて写真を撮って
おられたので、写真をお互い撮りあった。

本丸があったのは標高721メートルで
日本で一番高いところにあったとか。
日本の3大山城の一つとか。
頂上はかなり平坦な空地になっている。


40代の男性が登ってきてしばし雑談。
豊川からきたとか、近くを通りかかったので
車を降りて登ってきたとか。
空気がうまいとか、見晴らしがいいとか、
しきりに感心している。
私はこんな山の上にしては見晴らしがよくないと
感じているが、余計なことは言わなかった。
私がこの後、明智町まで行くというと、そちらにも
興味をもったらしく、どれくらいの時間が掛かるのか
とか聞いていました。


石畳の下り道を足を滑らさないよう注意しながら下りる。
途中、歴史資料館のあるところで写真をとる。



太鼓櫓を復元したもの。

この町では、天守閣をコンクリート造りで
復元するつもりはない、昔の資料に
従って、その当時のものを時間をかけ
一つ一つ長期的に復元していきたいと
書いてありました。
そういう方法が望ましいのでしょう。


本町通りに戻り、駅方面に歩く。

岩村酒造という地酒屋さん。
中の醸造場を案内してくれるそうである。
真中にトロッコのレールがある。
これで運搬するのかな。

前、NHK教育テレビの「日本の旅」の
「歴史の町並み」で岩村町が紹介された
時、このお酒屋さんが観光客を
案内する様子が写っていました。

見学案内は断って、店の写真だけ
写させてもらった。

丁度、名古屋のCBCテレビが取材に
きていた。


先週、先々週と比較すると、妻篭は完全に観光目的に昔の家を復元したもの、
奈良井はたまたま時代に取り残されて残っていた昔の町並みをそのまま保存しているもの、
岩村は変わりつつある町並みをその時点で残すというものだと思います。
だから、岩村は奈良井、妻篭ほど昔の町並みではありません。
現在の家も混在している、それだけ生活の町という感じがする。

本町通りを逆に歩いて、駅近くまでくると東海自然歩道の案内標識があった。
時計を見ると10時15分、歩数計を見ると7kmである。
予定より時間が掛かったし、大分歩いた。
これから明智町まで歩くのは止めようかという気がし出した。
東海自然歩道の標識が見えたことでもあるし、予定通り歩くことにする。

しばらく明知鉄道の線路沿いに田園地帯を歩く。
さわやかな五月の風だ。
いっぺんにウオーキングを楽める気がしてきた。
歩くの止めたら後悔しただろう。
ほんとうにいい気分である。
丁度、田圃の田植えの真っ最中である。どこの田圃も田植え機が出動しているという感じ
である。


田植え中の写真を撮る。



途中、道の工事中で道が分からなくなり、近くの農家の人に道を聞いた。
その農家がなければ困った所だった。
いよいよ山に入って行く。
坂を上がって、林の中の道を行く。


人っ子一人にも会わない山の中の道を行く。

これが東海自然歩道だという道である。
こういう道がずーと続けばいうことなし。



予定通り、2時間10kmで明智町に着く。12時15分。
次の電車はまで1時間あまりあるので、その間明智町の写真をとることにした。
明智町・大正村へは10年くらい前に妻と車できて、町と大正村の観光施設を見たし、
去年もここからJR中央線の武並駅まで歩いた時もここへきた。
だから様子はわかっているが、大正時代の町並みがあれば写真を撮りたい。


大正小路

ここを通って、大正村役場(本当の役場ではない、
観光案内所のようなもの)へ行き写真を撮る。



すぐそばに「絵画館」(元小学校)というのがあり、竹内夢二作品展をしている。
大正ロマンというとすぐ竹内夢二が思い浮かぶ。丁度良かったと思って、数枚夢二の画が
出ているのか、ここまで来てよかった。出掛けていった場合、お金の要るものには入らない私でも
竹内夢二なら入場料が要ってもしかたがない思ったら、「ご自由にご覧下さい」と書いてある。
無料だ、有難いと思って中へ入ってビックリした。
夢二の画ばっかり、数枚ではない、どうみても50〜60枚はある。
テレビか写真かで見た絵もある。
これだけ夢二の画があると、見事である、圧巻である。
これだけあると、ゆっくり見ておれない、夢中で5枚ほど写真を撮った。
写真を撮るのはどうかなという気がしないでもないが、写真禁止とも書いてないし、
「ご自由にご覧下さい」と書いてあるのは、黙認されているのかなと解釈した。

後、すこし足を伸ばして、「大正浪漫の館」へ行った。
前着た時は中へ入ったが、初代大正村村長だった高峰美枝子(三枝子だったか)の
舞台衣装とか大正時代の町の看板とか展示されていたと思う。
夢二の画もあったと思う。
夢二の画を見たので、ここへは入る気もせず(500円要)、前の公園で休憩して、バラの
写真を撮る。水彩画を書いているグループ(中高年の男女)がいて、浪漫館、その裏の
旧家の絵を書いていた。


大正浪漫の館前で

後ろでボケて見える看板は
「大正浪漫館」だったと思う。
この看板を入れるためにこの角度
から写真を撮ったが、ボケ過ぎたか。

マクロで絞り優先モード(f2.8)



明智駅に戻って、しばらく1時37分発の電車の発車を待つ間、車内でおにぎりを食べる。

20分間ほど岩村駅まで電車に乗る間、後2〜3枚写真が撮れるので、窓から外を見る。


明知鉄道の車窓から


岩村駅から町役場まで1kmほどあるのが、最後のしんどい思いがしたが、
丁度2時に岩村町役場の駐車場に着く。なにやかやと20.0km歩いた。
3時15分帰宅、今日の歩数は28,650歩。

以上