平成12年4月23日
京都府・阪急長岡天神駅〜長岡天神〜埋蔵文化財調査センター〜寂照院〜光明時〜
乙訓寺〜長岡天神駅 13km


今日は大学の同窓会「珊瑚会」(大阪市大経済学部昭和35年卒業生)のハイキング会に
参加した。
このハイキング会は今までは奈良の山辺の道、柳生街道を歩いてきたらしいが、今度は
趣向を変えて、歩くだけではなく歴史の勉強もしようと、特別講師を招いてのハイキングで
ある。
朝6時半に家を出て、名鉄瀬戸線、名古屋市地下鉄、JR新幹線、京都市地下鉄、阪急京都線を
乗り継いで、丁度集合時間の9時20分に長岡天神駅に着いた。
総勢21名(夫婦連れ4組)であった。

講師の先生に連れられて、早速長岡天神に向かう。

先生は70代の本職は旅行のガイドをもう40年もやっていて、今でも現役だそうだが、
日本の歴史が好きで、在野の歴史研究家である。大学アカデミズムとは無縁の、全くの
アマチュア歴史愛好家というところか。月1回大阪市内で歴史勉強を主催し、アウトドア活動と
して、日帰り歴史ツアーも企画・実施しておられるらしい。
私たちの仲間がこの歴史勉強会のメンバーになっている関係で、今日のガイドをお願いした
そうである。

駅からしばらく歩いて長岡天神に
着く。
神社前の八条ヶ池

池にかかる水上橋をわたり
その橋の上と神社を御参りした後
神社の横で、講師の先生から
歴史の話を聞く。



長岡天神














この先生は在野の研究家であるので、歴史のアカデミズムと全く無縁で独特の歴史観を
持っておられる。
その一端を聞いたが、私が好きな井沢元彦という作家の「逆説の日本史」での歴史観と
通じるものがあり、私は違和感は無かった。
日本の古代史は怨霊が極めて大きな要素となるが、歴史学者は文献に記載がないことに
よって、古代の怨霊説を否定するが、全くナンセンスであるということだった。
長岡天神は勿論菅原道真を祭るが、日本史の5大怨霊は、聖徳太子、柿本人麻呂、長屋王、
称徳天皇、菅原道真だそうである。
また徳の名の付く天皇は大概悲劇的な死を遂げているということである。

神社のしめ縄、狛犬の意味などの説明もあった。
後の大和政朝となる政権は征服権力であるが、出雲系の被征服族をうまく支配するため
非征服族の宗教をそのまま温存して利用した。
しかし、被征服族の宗教が一人立ちして勝手に広がるのを防ぐため、
非征服族の神を神社に閉じ込めておくためのバリアーがしめ縄である。
狛犬はその見張り役である。
しめ縄は右側が頭、左側が尻尾(細い方)になっているのはそのためである。
大和政朝の先祖をまつる伊勢神宮には狛犬がない。
また、神社は圧倒的に出雲系が多い。
神社は古代の古墳の上に建てられているのが多い。

などなどそんな話に熱弁を揮っておられた。

次のスポットへ移動の間も先生の話を聞いたが、旅行、観光の案内をしていても
歴史に興味を持つ人が、若い人は勿論、年輩の人も少ない、バスで案内していて
歴史上の遺跡などへ行っても、そんなもの見たくないといってバスから降りない人が
圧倒的に多いと嘆いておられた。


長岡京市埋蔵文化財センター

長岡京市では毎年30件近くの
遺跡の発掘調査をしているそうで
その出土品がここで整理、展示されて
いるそうである。
日曜日は毎月第二、第四が開館して
いる。この日は幸い第四日曜日だった
ので、中を見ることができた。
係員の人が丁寧に説明してくれた。
この辺りは遺跡の密度が濃いそうで
一箇所発掘するといくつも遺跡、古墳が
重なって発見するとのことだった。

それからしばらく歩いて、寂照院というお寺へ行く。本堂に上がらせもらって和尚さんから
説明を聞く。
このお寺の前に「日本孟宗竹発祥の地」とかの石碑がある。
このお寺の裏にある小さい古墳跡(室内にある)を見学する。
ここで昼飯になった。
いつも私は自分ひとりのハイキングはおにぎり一つだが、今日はおかず付きのデラックス版で
ある。


この後、走田神社、長法寺へ行く。
この辺は竹林が多い、綺麗に手入れされている感じである。
また、あちこと八重桜が満開である。



















長岡京という都は平城京と平安京の間10年間だけ存在した都だが、幻の都として
謎に包まれていたそうだが、発掘調査によって大規模な本格的な都城であることが
わかったらしい。
わずか10年で放棄されたのは、桓武天皇が実弟で皇太子だった早良親王を死に至らしめた
ことによる、早良親王の怨霊に悩まされてのことだったという話でした。
また、長岡京は京都市、向日市、長岡京市、大山崎町にわたる広大なもので
その政治中心部は長岡京市ではなく向日市にあったそうである。


光明寺への参道

このお寺は大きいお寺である。
本山へのお参りの観光バスが
数台停まっていた。

もみじ道という標識があったが
紅葉の名所であるらしい。



光明寺の境内

このお寺を後にして、乙訓寺へ寄る。
ぼたんの名所とのことだが、すこし早かった。
このお寺は前日の早良親王が桓武天皇の寵臣暗殺の罪で捕らえられ幽閉されていた
ところだそうで、親王は潔白を主張してハンガーストをして、淡路へ島流しへの途中
衰弱死するそうで、その祟りが結局長岡京が10年で平安京へ遷都される原因という
ことらしい。

この乙訓寺から1キロ半くらい歩いて長岡天神駅に帰着。