2013年12月20日
図書館まで歩く
今日、金曜日は学校の授業のない日である。
心が軽い。
特に、明日から冬休みである。来年1月7日まで学校に行かなくてもいい。
だから、余計にうきうきする。
今日は、貸し出し期限の近づいている本を返却するため、図書館へ行く。
図書館まで歩くと約50分である。歩くのに、ちょうどいい距離である。
ついでに、図書館の近くにあるバロー(ショッピングセンター)寄って、
パン屋の喫茶室で、パンとコーヒーの昼食としてこよう。
今日は、風がない。そんなに気温も下がってない。
本当に歩いていて気持ちがよい。
歩き出して、しばらくすると、カラスが飛んでいくのが見えた。
近づくと柿の木に、柿に実がなっている。
赤い柿が3つ残っている。
カラスが食べ残したらしい。
人がいなくなれば、また食べにくるか。
「空青く カラスが残せし 柿三つ:
しばらく歩くと、本当に気持ちがいい。
この時期のつめたも、いい感じである。
知らない人にも、つい挨拶したくなる気持ちである。
バス停に、手押し車をもって、バス待つ年配の女性がいる。
この手押し車をもってバスに乗るらしい。
大変である。
「おはようございます。今朝は天気がいいですね」と話しかけたい気持ちである。
しかし、見知らぬ通行人から声をかけられるのも、気味悪がられるか。
「冬晴れる バス待つ人とも 話したし」
団地の商店街を通り抜ける。
商店街の中の八百屋
店の準備ができて、お客さんを待つところ
カメラを少し傾けて撮ってみた。
商店街を通り抜けたところが、小さな広場になっている。
その隅にベンチがあり、いつもそこに座ってたばこを吸っている人がいる。
今朝も年配の男性がたばこを吸っている。
ちょっと話しかけてみた。
缶の灰皿が二つ置いてあるので、聞いてみた。
灰皿二つ
薬が入っていた缶である。
この男性の話では、近くの薬局の店長がときどき灰皿にするため
缶を提供してくれるそうである。
外人がときどき、灰皿の缶を踏みつぶして、ほかっていくとか。
どうしてそんなことをするのかと聞くと、灰皿に吸い殻が入っていないと
怒り狂って、缶を踏みつぶすらしい。
意味がよくわからなかったので、もう一度聞いてみた。
外人が灰皿に残っている吸い殻を自分で吸おうと思ってきたのに
吸い殻がないと怒り出して缶を潰すということである。
なるほど、他人の吸った吸い殻をもう一度吸うのか。
左の缶は丸い。右の缶は外人が踏みつけた缶らしい。
まったく外人の態度は悪いと怒っておられた。
終戦後の仕事として、もく拾いをする人がいたのを思い出した。
吸い殻を集めてきて、残っている部分を集めて、紙を巻いて、たばこにするんだったな。
その紙には、分厚い英和辞典の紙がよかったとか、聞いたことがある。
図書館へ行く途中にある大きな病院の敷地を通り抜けていく。
正面が、この病院の裏玄関
その横にベンチがある。
病院裏玄関横のベンチ
わたしは、13年前だったと思う、この病院に3週間入院していたことがあった。
その時、いつも夕方になると、病室から点滴の台車を引きながら、ノートパソコンと
携帯電話、無線アダプターをもって、このベンチに座った。
そして、何か自分宛にメールが来ていないか、チェックしていた。
大事なメールには、そこから返事を送信した。
そんなときはいつも、ここのベンチに座って、たばこを吸っている人がいた。
入院患者である。病室は禁煙だったが、ここでは喫煙ができたのである。
しかし、その後、ここも禁煙になった。
このすぐ近くにプレハブの10uくらいの小建物が建てられ、そこが喫煙室に
なっていた。密閉された、たばこ小屋である。
しかし、そのたばこ小屋も撤去され、病院敷地内は全面禁煙となった。
このすぐ近くにバス停がある。
そこにはベンチもあり、灰皿もあった。図書館へ行くとき、バス停の前を通るので、入院患者が点滴の台車を引きながら
バス停でたばこを吸っているのを見かけたことがあった。
病院前バス停
ここならゆっくりたばこが吸える。
ところが、比較的最近、ここも禁煙になってしまったそうである。
バス停が禁煙になりましたというお知らせ
ここでたばこを吸っている人がいた。
その人が言うのには、灰皿がなくなっても、たばこを吸う人は吸う。
灰皿がなくなれば、地面に捨てるだけだから、かえって汚くなる。
携帯用の灰皿をどこでもタダで配らないとだめだということだった。
なるほど一理はあるか。
「バス停に 灰皿なくして 年暮れる」
この後、図書館へ行った。
以上