2013年12月9日
名古屋・学校から伏見へ
今日は、名古屋・伏見の歯医者に用事がある。
学校の授業が終わってからの午後4時に予約をしてある。
授業が終わってから、歩いて行っても十分余裕がある。
学校前の小公園を通り抜ける。
ついこの間まで、きれいだった銀杏もすっかり散ってしまった。
時間の過ぎていくのは、早いものである。
その間の1週間はどうしていただろう。
どんなことをしていたのか。
どんな本を読んだのか。
予定通り進んだのか。
そんなことを考えてみた。
「銀杏散る この1週間の 思いかな」
広小路通りに出て、西へ向かう。
栄の交差点を過ぎ、しばらく行くと、ビルの前に行列ができている。
20人くらいの人が並んでいる。
早速、最後列の人に「何があるのですか」と聞いてみた。
今夜6時から、このビルの地下にあるホールで、ジャズリサイタルがあるので
その切符を買うため並んでいるとのことである。
「へえ」と言うと「渡辺貞夫の演奏会ですよ」とのこと。
渡辺貞夫というとアルトサックスだったか。
彼の名古屋での生演奏はめずらしいのかもしれない。
入場券を求めて並ぶ人も要るくらいだから、そこそこ人気もあるようである。
入場券を売る入り口の前に立てかけてあるビラ
このビルは、かっては、倒産した山一証券名古屋支店があったところ。
そのあと、名古屋の事業会社がこのビルを買い取って、マナハウスという書店を出した。
書店は、1階から4階まであった。
それが、3階までになり、1階と2階だけになり、1階だけになり、それもなくなって、本屋は完全に店じまいした。
丸善の真向かいになるので、そんなところで、よく書店をするなと思っていた。
わたしの勤め先は、この近くだったので、この書店はよく利用した。
この書店の特徴は、名古屋で初めて、本の検索端末を店内あちこちに設置したことである。
今なら、ちょっと大きい本屋なら、どこでも本の端末検索はある。
この書店が初めて置いたときは、びっくりしたものである。
便利なものができたと思った。
自分が見たい本の名前を入力すると、今在庫があるのか、どの棚番のところにあるのか、
その地図まで表示してくれる。それを印刷もできるから、プリントして本を探せばいいのである。
店の人に、こんな本ありますかと聞く必要もない。
本の実物を見て、買うかどうか、決めればいいのである。
本をよく買うものには、大変便利な画期的なサービスだと思った。
この本屋ができたことによって、向かいの老舗の丸善もそうとう影響を受けたと思われた。
そんな店でも、本屋というのは厳しい商売らしい。とうとう数年で廃業してしまった。
ところで、老舗の丸善はしぶとく生き残った。
しかし、その丸善も自社ビルの1階から3階まであった書籍売り場を廃業してしまった。
てっきりビルが老朽化したので、立て直すために一時的に店じまいするものだと思っていた。
ところがである。店じまいの後、翌年か翌々年再び丸善の書店は再オープンした。
しかし、立て直した自社ビルではなく、隣の丸栄百貨店の7階、8階に丸善の書籍売り場ができた。
自社ビルは建て直しもせずに、そのままである。
最近行っていないが、書籍売り場ではなく、ほかの用途に使っていると思う。
自社ビルがありながら、そこを使わず、百貨店のテナントして、書籍売り場をもつ。
そこらあたりに、書店という商売の特徴が現れているのかもしれない。
その方が経営的にメリットがあるのか。
丸栄百貨店も名古屋の百貨店の中では苦戦している。
丸善の売り場が百貨店の中にできるのは、丸栄としてもメリットがあるのだろう。
名古屋の(名古屋に限らず)書店の衰退ぶりは著しい。
栄界隈でも、ナディアパークにあった紀伊國屋はなくなったし、丸栄スカイルにあった星野書店もなくなった。
星野書店は名古屋に書店では老舗だが、本店は閉鎖して、近鉄の中だけである。
また、三越の別館にあった旭屋書店はどうなったかな、2フロアだったのが、1フロアだけになったと聞いた。
電話帳を見ても載っていないから撤退したのではないかと思う。
広小路通りを西へ向かった。
正面のビルは、元中央信託銀行ビルである。
横から見ると、かなり年期がたっているようである。
手前の空き地は、今駐車場として使われているが、
元は大和生命ビルがあったところである。
大和生命ビルは、戦前からのビルだった。
戦前のビルらしく各階の天井が高かった。
レトロな趣があり、名古屋では珍しいビルだった。
写真を撮っておこうと思っているうちに、取り壊されてしまった。
残念である。
元中央信託銀行ビル
表は閉まっているので、現在は使用されていないと思う。
ここは、中央信託銀行が三井信託銀行と合併した後、
UFJ銀行が取得したのか、
数年間、「UFJ銀行貨幣資料館」になっていた。
日本や各国の紙幣や硬貨など展示してあった。
また、日本の浮世絵も展示されていた。
その都度、浮世絵に展示が変わるので、わたしも何回か行ったことがあった。
あるとき、「造幣局瀬戸出張所」とかいう大きめの木の看板を見たことがあった。
戦時中、金属に代えて、陶器で硬貨を作る計画があり、があり、
陶磁器生産地の瀬戸で研究されていたらしい。
そのことは、ここへ来て初めて知った。
貨幣資料館の係の人が、この看板と一緒に写真を撮りましょうかと言われて
写真を撮ってもらったことがあった。
その写真をいつだったかの年賀状に使ったような記憶である。
その貨幣資料館も移転して、このビルも近いうちに
取り壊しになるのでないかと思う。
隣の空き地と一緒に高層ビルを建てるのではないかと予想する。
そろそろいい時間になったので、伏見へ急いだ。
以上