平成23年(2011年)10月19日

東京・下町風俗資料館、岩崎邸、弥生美術館・竹下夢二美術館、東京芸大


旅行3日目は東京である。
わたしだけホテルに泊まり、ほかの3人は自宅に帰った。
朝、東京駅で待ち合わせした、

まず、台東区立下町風俗資料館へ行った。
ここは古きよき時代の街並みを再現し、下町地域ゆかりの資料、生活道具、おもちゃなどを展示している。


古い路地の復元
奥の方は写真である。一見したところ、ずっと路地が奥へ続いているように見える。
面白い趣向である。



下町の家の路地

ずっと奥へ伸びているように見える。




2階には昭和時代の家具、電気製品など
展示している。




昭和に駄菓子屋の復元



下町風俗資料館は面白いところだと思った。
意外な感じもした。

つぎは岩崎邸へ行った。



岩崎邸外観

三菱の創業者岩崎の本邸として、明治49年に竣工

庭園を入れるとずいぶん広大な敷地である。
それでも、元の岩崎邸の何分の1かに縮小されているとのことである。
当初の岩崎邸全体はすごいものだったのであろう。
元は、大大名家の屋敷跡だったのかもしれない。

現在の岩崎邸は、「旧岩崎邸庭園」として東京都の管理になっている。




同じく外観




同じく外観





内部は写真撮影禁止なので、2階のベランダから
庭の写真を撮った。




2階のベランダ




和風の別館



次の目的の弥生美術館を探しながら行った。

弥生美術館・竹下夢二美術館は入り口は別だが、中はつながっている。

先に竹下夢二美術館の方に入った。

たくさんの夢二の作品が展示されている。


竹下夢二美術館から中の通路を通って、弥生美術館へ入った。

この日は、中原淳一・少女雑誌「ひまわり」展をしていた。

中原淳一が「ひまわり」の表紙に書いた絵などを展示していた。

戦後すぐ、まだ一般国民が食うや食わずと時に、すでにファッションの重要性を指摘した先見性に感心した。

ファッションというものは、お金をかけなくてもできるという表現には、なるほどと思った。

こちらの写真はない。



3階の常設展として、高畠華宵の挿絵がたくさん展示されていた。

きれいな挿絵ではあるが、わたしの時代ではないと思った。


高畠華宵は大正末から昭和初期にかけて人気絶頂だった挿絵画家である。

大正15年発売の「銀座行進曲」という流行歌の歌詞に

「さても銀座はプラタン並木 夏の葉がくれ あの人ゆけば 白いパラソル 花がちる
国貞えがくの 乙女もゆけば 華宵ごのみの 君もゆく 宵の銀座の オルゴール」

とある。

それほど人気のある画家だった。
(ちなみに生前中に歌の歌詞に歌われた画家は華宵だけだそうである。)


その華宵も終戦後は落ちぶれて老人ホームに入っていたのを
この弥生美術館の創設者(確か弁護士をしておられた)が聞いて
連絡を取り、生活の支援をされたそうである。

そんなことから、華宵から一切の作品、版権を継承して、この美術館に展示されているということである。


弥生美術館・竹下夢二美術館は、いろいろ収穫があった。
また機会があれば訪問したい。

次に東京芸大の旧音楽堂?が、有形登録文化財になっているので、その写真を撮りに行った。



東京芸大の旧音楽堂(別の名前だったかもしれない)




同じく




上野公園を通り、上野駅へ出た。



上野駅で昼食にした。

ビールを飲みながら、しばらく歓談した。

わたしは、そこから東京駅に出て、名古屋へ帰った。


以上