平成23年4月2日
奈良・大和西大寺駅〜平城京大極殿〜東院庭園〜ならまち〜元興寺〜氷室神社〜奈良女子大学〜近鉄奈良駅
昨日の大学同期会の仲間が、ボランティアの奈良ガイドをされている。
今日の彼の案内で、奈良を散策することになった。
13名が参加した。
案内役は彼ともう一人やはり大学の後輩の二人である。
2班に分かれて、西大寺駅を9時半にスタートして、歩き出した。
最初に、大極殿へ
大極殿
平城宮の中で最も重要な建物
発掘調査データの基づき復原された。
9年の歳月をかけ、平城遷都1300年に当たる去年完成。
150億円くらいかかったと聞いた。
1300年の去年は大変だっただろうが、
今日はがら空きである。
中にあるのが、天皇の玉座である高御座(たかみくら)。
大極殿より真南の朱雀門を見渡す。
真正面に見える。
この後、第二次大極殿跡をを通り、東院庭園へ。
東院庭園全景
平城京が東に張り出した部分は、「続日本紀」にみえる「東院」になる。
昭和42年にその南東部に大きな庭園の遺跡が発見され、
平成7年から10年をかけ、復原された。
これが東院庭園である。
同上
同上
この後朱雀門を通り、大宮通からバスに乗って、ならまちへ行く。
ならまちのほぼ中心になるあたりのそば屋で、昼食。
昼食休憩後、ならまちを散策する。
ならまちの中の古そうな家
ならまちの一角
この近くの御霊神社で結婚式をあげたばかりの
新婚カップル
「ちょっとこっち向いて」と言うと、気軽に応じてVサイン。
この左にプロの女性カメラマンがいて、
細かいしぐさの指示をして、パチパチ写真を撮っていた。
(たとえば扇子をどれだけ開いて、どう持つかとか)
撮ってはすぐ画像を確認していた。
わたしはそちらの方が気になった。
そのカメラマンの写真を撮っておきたかったくらいである。
ならまちから元興寺(がんごうじ)へ
元興寺、拝観料400円
門の向こうの建物が、国宝極楽堂
このお寺は大変由緒があるお寺である。
西暦588年飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)を
西暦718年平城に移し、元興寺と改めた。
当時の格付けでは、東大寺4千町歩に対して
元興寺は2千町歩となっている。
奈良町全体が、元興寺の境内だったと聞いた。
元興寺・極楽堂
同上
同上
元興寺・収蔵庫
この収蔵庫には、国宝の五十小塔がある。
元興寺庭
同上
なお、このお寺の拝観入口に、画家須田剋太の作品写真集を2000円で売っていた。
このお寺が須田剋太となにか関係あるのか聞いたら、画家が自分の画をだいぶたくさん
ここへ寄贈したそうである。売っているのは、それらの画の写真集のようだった。
須田剋太は、司馬遼太郎「街道を行く」の挿絵を描いていた画家だったが、
自分の出身地の美術館とか飯田市美術館とか、
あちこちの美術館に寄贈されていたようである。
まことに、こころざしの高い希有な画家だったように思われる。
東大阪市にある司馬遼太郎記念館近くの喫茶店にある数枚の
須田剋太の画を見に行ったことがある。
氷室神社のしだれ桜
奈良の桜は、ここが一番早い。
この後、5月まで奈良ではあちこちで
桜が見られるそうである。
ここで、この後東大寺へ行くグループと別れて、わたしたちは
奈良女子大へ寄ってから、近鉄奈良駅へ向かうことにした。
奈良女子大学正門
正面が記念館(旧本館)
記念館とこの正門、守衛室が、重要文化財になっている。
記念館(旧本館) 明治42年建造 平成6年改修
守衛さんのもらったパンフレットによれば
「建物は竣工以来、改変される箇所はほとんどなく、
当時の姿をよく残している。」とある。
また「平成6年の改修工事も歴史的建造物の文化的な価値を
損なうことのないように、細心注意を払い、設計。施工された」
そうである。
守衛室
奈良女子大正門前
左側交番跡(ずいぶん前から使用されていない様子)
右側の道具屋さんもかなり前に廃業?
近鉄奈良駅に向かう商店街にある金物屋
ここも廃業してから久しいようである。
午後4時ごろ、近鉄奈良駅に到着。
近鉄快速で大阪へ
新幹線を乗り継ぎ、午後7時半ごろ帰宅。
歩数計 27460歩
久しぶりによく歩いた。
以上