平成23年4月1日

隔年開催の大学同期会へ出席のため、大阪へ。

少し早いので腹ごしらえのため、京橋へ途中下車。

JR京橋駅前の立ち食いうどんを食べるのを楽しみにきた。

風邪気味なので、うどんを食べる前に、薬局へ寄った



葛根湯を買う。薬局のマスターは、「待ちなはれ」と言って、
葛根湯を生薑湯に溶かして
出してくれた。
「大阪の薬局はえらい親切やな」と思ったら、
マスターは「あんた、もっと精つけなはれ」と言って
強壮剤を勧める。
「いくらですか」と聞くと、「安うしときます。1ヶ月分で三千何百円」とか。
「まあ、考えときます」と言って出てきた。


駅前へ戻って、うどん屋へ。

ここの細みの素うどんが、薄味でうまい。
わたしの口に合う。
ねだんも240円である。

このあたりに住んでいたら、毎昼食べにきてもいいくらいである。



一応腹ごしらえができたので、またJR環状線に乗った。
玉造で下車する。
わたしが大学1年生のとき、チェッカーのアルバイトをしたことのあった。
その配属先がJR(当時の国鉄)環状線の玉造駅近くの映画館だった。
今日、大学の同窓会へ行くこともあり、昔のことを思いだした。
それで、その映画館がどうなったか、見てみたいと思ったのである。
もちろん、とっくの昔に映画館は廃業しているだろうが、
その跡地はどうなっているか、確かめたかったのである。


元映画館があったと思われる場所は、
この会社になっている。
多分ここだろうと思ったので、それを確かめるために
このあたりで古そうな店を探してみた。
中華料理店があったので、入ってみる。
「すみません」と言うと、
この店のおかみさんらしい年配の女性が出てこられた。
ちょうど昼の時間で悪いなと思いつつ、
このあたりにあった映画館のことを聞いた。
やはり、そこの電気工事屋のところだと言う。
お礼を言って出てきた。
この会社の向こうに建築会社があったので
そこへ入って、同じようなことを聞いた。
やはり映画館のことはよく覚えておられた。


映画館があった前の道
こんなに狭い道だったのか

この少し先に喫茶店があって、
ちょうど喫茶店の女主人が出てこられたので
映画館のことを聞いた。
映画館があったころから喫茶店をやっているとか。
よくご存じだった。
映画館には、わたしより1年高校の先輩がおられた。
その方は、もうだいぶ前になくなったということだった。

映画館があったことを思わせるものは
なにもない。
しかし、このあたりに昔から住んでおられる方々の
記憶の中には、そのころの思い出が残っているようである。
懐かしそうに若いころを思いだしておられた。


玉造から環状線で天王寺に出て、阪和線に乗った。
この時間帯は、阪和線の普通電車の本数は、意外と少ない。
そのせいもあって、会合には少し遅くなった。

今日の同期会総会は午後3時からである。
その前に12時半から、母校大阪市立大学の学術情報総合センターの見学会になっている。


大学案内のDVD、現況のスライドで説明を受けた。

大学の現況でびっくりしたのは、女性の進出ぶりである。
わたしたちの在学時代には、文科系の商、経、法の3学部には、
ほとんど女性がいなかった(たぶん1人だけだった)。
それが今では、女性の比率が約3分の1である。
さらに驚いたのは、医学部(多分偏差値が一番高い)では
女性が過半数を占めていることである。
まさに昔日の感あり。


この後、総合センターの各階を順番に案内していただいた。
図書館での蔵書数の多い(たしか二十数万冊)のも、心強い。

卒業生でも、ICカードを発行してもらえるので、ここの図書館が利用できる。
わたしたちの年齢の大阪市民は、敬老パスがあるから、
近くの地下鉄の駅まで毎日でも無料で来られる。
悠々と図書館ライフとでも言えようか。

この後、本館へ移動した。


大阪市立大学本館 昭和初期の建造 
登録有形文化財に指定されている。




同上




本館の内部通路

時代を感じさせる重厚さがある。



この後、学内の懇親会場に売って、3時前から総会が始まった。

この日の幹事の趣向の一つとして、卒業アルバムのコピーが貼り付けられていた。
この卒業アルバムは、当時の価格でかなり高かったのではないかと思う。
わたしは買っていないし、こんなものがあったことさえ、記憶にない。
アルバムを買わなかったものが多かったとみえて、
その前にはたくさんの人だかりができていた。


自分の写真をデジカメで撮ったので、ここに出しておきたい。



大阪市立大学経済学部昭和35年卒業生
福井ゼミ
今は亡き福井孝治先生、松岡君と

ゼミ生は2人しかいなかったので、隔週に発表番が回ってくる。
その準備が大変だったように思ったが、それはそれで懐かしい。

福井先生は、わたしたちが卒業した翌年だったか学長になられた。
そのころの学園紛争で、ご苦労されたと記憶する。



本日の大学同期会の状況

卒業生 117名
死亡   28名
生存者 89名(無回答、住所不明など21名を含む)
出席者 44名
出席率は、実質的に半数を超え、驚異的ですらある?

総会では、遠隔地からの参加者は、特に近況報告の機会が与えられたので、
わたしも少ししゃべられてもらった。
文学作品の朗読CDを聞きながらのウオーキングの効用と
Amazon・Kindleで「Businessweek」が月5ドル、「Time」が月3ドルで
読めることを話した。

総会の後、天王寺へ出て、様変わりした阿倍野界隈を散策した。
まったく昔の面影なし。

6時半ごろから7人でカラオケへ(仲間の一人が予約をしてくれていた)
1時間半=90分、1曲3分とすればやく30曲歌える。
一人平均4曲。多分そんな感じだったと思う、
わたしが歌ったのは
「北の旅人」(石原裕次郎)
「泪の乾杯」(竹山逸郎)
「哀愁の街に霧が降る」(山田真二)
「初恋」(舟木一夫)
の4曲。

特に「哀愁の街に霧が降る」は、上記映画館でアルバイトをしていたとき
ちょうど近くの東宝系の映画館で上映されていた思いであり。

割引券があったので、料金は安くすんだ。

その後、ラーメン(塩ラーメン490円)を食べて、谷町4丁目のホテルへ
9時ごろ入った。
ホテルのロビーで1時間くらい雑談して、部屋へ。


今日は思いもかけず、自分の青春の日々に戻ったような一日であった。

友人たちに感謝。


以上