平成20年10月18日
明治村 その3 (清水医院、東松家住宅、安田銀行会津支店、札幌電話交換局、機械館)
清水医院
旧所在地 長野県木曽郡大桑村 建設年代 明治30年(1897)代
中山道・木曽路の中程、妻篭と木曽福島の中間、
須原の地にこの清水医院は建てられた。
建造の詳しい年月は明らかではないが、その様式から
凡そ明治30年代(1897〜1906)と推定される。
名古屋から須原まで鉄道が開通したのが
明治42年(1909)であるので、当時はまだまだ交通の不便な時代であった。
因みに中央線が全通したのはその翌々年、明治44年(1911)のことである。
須原に生まれた清水半次郎は、東京に出て医学を学んだ後、
地元の木曽谷に戻り医院を開業したが、
この医院は旅篭の立ち並ぶ街道沿いで、ひときわ目立つものであった。
同上の内部
当時の備品などが展示されているようである。
東松家住宅 (重要文化財)
旧所在地 名古屋市中村区船入町 建設年代 明治34年(1901)頃
東松家住宅は名古屋の中心部堀川沿いにあった商家である。
東松家は明治20年代後半までは油屋を生業とし、
その後昭和の初めまで堀川貯蓄銀行を営んでいた。
塗屋造という江戸時代以来の伝統工法で建てられているこの建物は、
創建以来、再三の増改築を経ている。
江戸末期、平屋であったものを、明治28年後方へ曳家(ひきや)の上、
2階の前半部を増築して現在の店構えを完成させ、
明治34年3階以上を増築したらしい。
同上の内部
奥行きはかなり深いようである。
昔の商家の様子がよくうかがえる。
安田銀行会津支店
旧所在地 福島県会津若松市大町 建設年代 明治40年(1907)
安田銀行も明治12年認可を受け、翌13年に開業している。
最初は栃木、宇都宮の二店であったが、その後東北地方に展開し、
明治23年には会津若松に若松支店が設けられた。
当初は既存の土蔵造(どぞうづくり)の建物を借りて営業していたが、
明治40年(1907)この建物が新店舗として落成した。
伝統的な土蔵造をもとにしているが、要所には洋風のデザインを施しており、
玄関の石柱、正面と右側の面の石積の腰壁、窓の太い鉄格子、軒蛇腹等、
いずれも新しい洋風の手法によるものである。
同上の内部
この建物は、現在、ハイカラ写真館として利用されている。
ドレス、矢絣、フロックコートなど、明治の衣装で記念写真を
撮ってもらえる。
同上の内部
昔の銀行の内装もそのまま
残してあるようである。
札幌電話交換局 (重要文化財)
旧所在地 札幌市大通 建設年代 明治31年(1898)
この札幌電話交換局は明治31年(1898)暮に竣工、
翌年から交換業務を開始している。
外廻りの壁を厚い石で築き、内部の床、間仕切り壁、小屋組を
木造で組み上げ、屋根には桟瓦を葺いている。
一階の窓は葉飾(かざり)を刻んだ要石(かなめいし)を持つアーチ窓、
二階はまぐさ式の窓で小庇がつけられている。
同上の内部
元この電話交換局で使用されていた機械類も
展示されている。
この後、鉄道寮新橋工場へ行った。この建物の写真は撮っていない。
この建物は機械館として、その中に重要文化財になっている紡績機械、平削盤など
大型機械が展示されている。
内部に展示されている機械
同じく繊維関係の機械
同じく展示されている機械
同じく展示されている大型機械
同じく展示機械
明治村 その3 終わり
以上