平成20年10月4日
春日井市勝川駅界隈
今日は、映画を見るため、名古屋の星ヶ丘へ出かけた。
その後、以前住んでいた春日井市勝川へ行ってきた。
三十数年前に住んでいたところが、どうなっているのか、
一度訪ねてみたいと思っていた。
千種から中央線に乗って、勝川駅で降りた。
JR勝川駅ホーム
電車を降りて、まず駅が大変わりしているのに
驚いた。
ホームが2階になっていた。
駅の大改造中のようで
多治見方面行きの電車は高架を走り、駅ホームは2階
名古屋行きの電車は、今までどおり下を走り、
駅は1階という変則的な状況である。
もう後1〜2年ですっかり整備されるのではないか。
最近、JR駅舎の大改造があちこちで進んでいるようである。
だいたい、新しい駅は2階になるようである。
駅のホームから見て、駅前がすっかり変わっているのに、また仰天。
駅前が整備され、すっかり近代的大都会に
大変身している。
同じく勝川駅前
わたしが、この近くに住んでいたころは
駅前は、こんなに広くなかったし
通勤、通学の自転車がいっぱいあった。
片付けても片付けても、次から次へと
自転車が放置されるので、駅前へ
乗り入れてくる路線バスの運転手さんは
まず自転車を片付けることから
始めていたような記憶である。
昼飯を取ってなかったので
駅の隣りのパン屋で
コーヒーとパンの昼食とする。
旧国道19号線を渡って
駅前商店街を歩く。
どことも同じように
あまり人通りが多いとも見えないが
シャッター通り化はしていない。
この通りに面した店舗は
なにがしの商売をしているようである。
店の表にいた種苗店の店主に話を聞いた。
ほとんどの店は代替わりで、商売替えを
している店も多いとのこと。
この店の商売はまずまずとの話だった。
同じく駅前通
弘法さんの大きな垂れ幕がかかっている。
弘法さんの日(第?土曜日)は
かなりの人出が出るという話だった。
弘法さんが、この地にあるとは
ぜんぜん知らなかった。
この狭い路地を入っていくらしい。
勝川弘法
この狭いのところが、弘法さんらしい。
そのお祭りの日は、この狭さでは
大変ではないかと思った。
駅前通をぶらぶらして、旧19号線に戻って、東の方へ歩き出す。
この19号線は、片側1車線だったが、片側2車線に拡張されている。
これにもびっくりした。すっかり様子が変わっているのにもびっくりした。
そのころ、国道沿いにあった店は、もちろん見あたらない。
国道の拡張工事で、状況は一変したのだろう。
国道沿いの歩いて、元住んでいたところへ向かう。
八幡社があった。さすが神社は昔のままである。
国道沿いに古い家があったので、
表札をのぞいてみた。
その名前は、記憶にある。
わたしが住んでいたころ、このあたりの区長を
していた人である。
わたしも当番で町内会の役員をしたことがあった。
町内会組織の連合体の代表だったと思う。
元繊維関係の工場跡にできたシャッピングセンター
トイレを借りるために立ち寄った。
わたしがかって勤めていた会社もここへ
出店していた記憶があるので、
今でも店があるのかと、ちょっと気になったので
探してみた。
わたしの顔見知りのものがいたので
しばらく雑談した。
今日は、なにかのイベントをやっているようで
忙しそうだった。
いよいよ、三十数年前住んでいたところへ行ってみた。
昔、住んでいたところは雑草の茂る空き地となっていた。
この借家が2軒あって、そのうちの1軒に
昭和41年11月からしょうわ48年7月ごろまで
ここに住んでいた。
隣りの家とは親しくしていた。
立て直されて、きれいな家になっていた。
奥さんがおられたら、ちょっと話を聞きたいと
思って、立ち寄った。
ご主人は、わたしと同年だったが3年ほど前に
なくなった。
幸い、奥さんがおられたので、しばし雑談
昔のことや最近のせいかつぶりなど
立ち話だったが、懐かしい時間を過ごせて
よかった。
この後、勝川駅に戻り、中央線で高蔵寺に出て、愛知環状鉄道に乗り換え帰宅。
久しぶりに、昔のすみかを訪ねて、充実したときがもてたのは、よかったと思う。
これからも、こまめに行動したい。
1年半くらい前
大阪時代の勤務先の取引先など
昔お世話になったところを訪ねていった様子を
書いたメールに
「時は過ぎゆき、人も変っていきます。
その中での、一瞬ともいえる輝きを求めて
行動したいと思いました。」
と書いている。
自分ながら、よくも格好いいことを書いたな
とも思いますが、この気持ちは大事だと
あらためて思った。
今回は、極めて私的なメモになっているが
こういうこともあったもいいか。
以上