平成20年9月23日
知多市岡田地区
知多市の岡田地区に古い街並みが残っているということを聞いていたので
一度訪れるつもりだった。1〜2週間前、この地区を訪ねたテレビ番組があり、
それを見て、すぐ行く気になった。
名鉄常滑線・朝倉駅で下り、バス乗り場へ行く。
東岡田行きのバスが、時間待ちをしている。
バスの中で、乗り合わせた、わたしより少し年配の夫婦連れとおしゃべりする。
この方たちは、岡田の手前で降りて、またこの駅まで戻ってくる
10キロくらいのハイキングをされるそうである。
わたしが、岡田の古い街並みを見に来たというと、岡田の手前の中田というバス停で降りて、
旧道を岡田まで歩くといいですと教えていただいた。
中田バス停に着いたので、このご夫婦にお礼を言って、バスを下車した。
バスの通る道の裏に旧道らしい道があったので、それを歩き出す。
旧街道に残る商店
だいぶ以前に廃業したようである。
この先、岡田に着くまで、
この街道沿いにたくさんの
廃業した店舗があった。
岡田には3000人の女工さんたちが
おられて、そのころは
この界隈いったいが繁栄したのだと
思われる。
今は昔の話である。
途中の地元の年配のおじさんにちょっと話を聞いた。
この道は昭和の初めにできた道だそうである。
ずいぶん賑やかだったそうである。
「伝承知多木綿 つものき」という紙が貼ってある。
機織りの体験教室のようである。
体験料 並巾 10cm 300円
など、値段表が出ている。
予約を受け付けているようだった。
街道から外れて、少し坂道を上っていくと
戦時中の防空壕の跡があった。
このあたりの人が自主的に作った
防空壕だったという説明がある。
岡田に近づくと、古い立派な屋敷がある。
堂々とした蔵を持ち立派な屋敷である。
先ほどのおじさんも
岡田は大きな家が多いと言っておられたが
そんな感じはうかがえる。
岡田の街並み
なかなかいい感じの通りである。
同じく
大きな屋敷が続く。
このしゃれた街灯には
夕方には点灯するのかな。
点灯した時間に、写真を撮りたい気がする。
右側 木綿蔵と長屋門
古い木綿蔵で天明年間に建てられたもの
長屋門は、江戸末期のものと説明がある。
岡田簡易郵便局
この建物は明治32年建造の岡田郵便局
織布工場の全盛期には女工さんが
3000人いたと言われ、
その方たちの給料の送金、手紙のやりとりで
故郷とつなぐ重要な役割を担っていた。
昭和30年知多郵便局となったが
同41年移転により、閉鎖された。
平成5年 岡田簡易郵便局として
復活。
今も現役で活躍中
岡田木綿蔵
この木綿蔵は、明治元年(1868年)に建造されたもの。
平成7年から、「手織りの里・木綿蔵ちた」として
再利用されている。
このあたりの観光の中心となっているようである。
木綿蔵の内部
手織りの器械が並んでいる。
手作りの工芸品も展示即売されている。
古い土蔵のなまこ塀
昔の織布工場があられ屋さんになっている。
今、新聞を賑わせている汚染米の出荷先の一つと
して名前が出ていたところ。
名古屋の団体(代議士の後援会)一行が
立ち寄っていた。
あれれ屋さんの内部
試供品がふんだんにおいてあり
たべることができる。
わたしも食べたが、おいしかったので
105円のあられを2つ買ってきた。
あられ屋を出て、バス停へ行くと、ちょうどよい時間となった。
朝倉駅と岡田とは、バスが1時間に1本しかない。
わたしが乗ってきたバスの1時間後のバスに乗って
朝倉駅へ向かった。
バスから外を見ると、バスの走る道にも
結構たくさんの店じまいしてしまっている店舗をみかけた。
旧道の方にも、バス道にも、たくさんの店があったのだ。
それだけのお客さんがいて、このあたりも活況だったのだろう。
過ぎし日の昔の繁栄ぶりを思わせるものであった。
以上