平成20年6月8日

皇居東御苑

今日も大学時代の友人3人で、東京駅から近い皇居東御苑を訪ねることにした。

待ち合わせの間、東京駅前をぶらぶら。

東京駅は、工事中である。

この昔ながらの赤レンガを残しつつ、
大きな改修工事が行われている。



皇居へ歩き出して、信号から
東京駅を振り返る。

建物である。




皇居東御苑に入場して歩き出した。


江戸城の同心番所

案内板によれば、「番所とは、警備の詰所で
百人番所、大番所とこの同心番所があった。
城の奥ほど、位の上の役人が詰め、
ここは同心が詰め、主として登城する大名の
供の監視に当たっていた」とある。



百人番所

案内板に寄れば
「百人番所は、本丸と二の丸に通じる大手三の門前に
設けられた。鉄砲百人衆と呼ばれた甲賀組、伊賀組など
昼夜交代で詰めていた。同心が百人配置されていた」
とのことである。





大手三の門

すごい石垣にびっくりする。




富士見櫓

かって江戸城には、19の櫓があったが
現在残っているのは、伏見櫓、桜田二重櫓と
この富士見櫓だけである。
明暦の大火で消滅した天守閣の代用としても
使われたとのことである。



歩いていると
「松の廊下」跡という案内もあった。
浅野内匠頭が刃傷に及んだのは、松の廊下ではないという説もあるが、
松の廊下の名前は、誰でも知っているところである。




江戸城天守台

江戸城の天守閣があったところ。

1638年、3代将軍家光の時代に、江戸幕府の権威を
象徴する大天守閣が完成した。
わずか19年後の明暦大火の飛び火で消滅。以後再建されなかった。

意外と思ったのは、
これだけ大きい敷地の江戸城まで、江戸の街の火事が飛び火してきた
ということと
江戸幕府の絶頂期であって、いくらでも再建できた天守閣を
再建しなかったのは、所詮天守閣は、戦の時代の必要物で
あって、平和の時代には不要ということか。
これに対して、幕府の中枢の本丸御殿は、火事にあっても
なんども再建されているのと対称的である。


日曜日のNHKのドラマのせいもあって、皇居東御苑というより、昔の江戸城跡は興味深く拝見してきた。
入場無料で、いつでも誰でも入れるところなので、一度は訪問されることをお勧めしたい。

この後、ブリヂストン美術館へ行った。
特別展が岡鹿之助展だった。岡鹿之助がどんな画家かよくしらないが、わずか展示されていただけの
この美術館の収蔵作品の常設展には圧倒された。
ここの常設展に比べれば、岡鹿之助なんぞはカスみたいなものだった。

その後、近くのうどん屋で、ビールを飲み、うどんを食べて、今日は終わりとした。

以上