平成19年7月8日

三重県伊賀上野 その1

その1とその2とわけたのは、大した意味がありません。

写真が多いので、わけただけです。

名古屋駅横の名鉄バスセンターより三重交通バの高速バスで
伊賀上野へ。9時25分発で、約1時間半で、上野産業会館前に着く。
料金1800円


上野市産業会館

ここが、バスセンターになっている。
それにしても、だいぶ年期のたった建物である。


伊賀上野といえば、いうまでもなく俳聖・松尾芭蕉の出身地である。

松尾芭蕉像

上記の産業会館の前に立っている。



観光案内ガイドをもらおうと思って、観光案内所を訪ねる。
近鉄・伊賀上野駅の隣りにあるということである。


近鉄・上野市駅

すぐに目につく、ちょっと変わった建物である。
建築は、大正年間と聞いた。

下記の観光案内所の女性の話では
全国で残したい駅舎6つの中に入って
いるとのことだった。

観光案内所を探すが、見あたらない。

おかしいいなと思いつつ、
よく見ると、それらしきものがあった。



この掘っ立て小屋のような建物が
観光案内所らしい。
いくらなんでも、ちょっとお粗末か。

ところが、どっこい、中身で勝負だ。

ここの女性(40歳代)は、よくできた人である。
感心した。

入っていくと、40才代の女性がすっと立ち上がって、
「いらっしゃいませ」と挨拶する。
「今日は、どちらからおいでですか」と聞くので、
「愛知県の瀬戸からきました」と答えると、
「それはそれは遠いところをありがとうございました」
と言われながら、ノートにすぐメモをしておられた。

「今日の目的はどんなことですか」と聞かれたので、
「古い町並みと上野高校の写真撮りです」と答えた。


すると、観光案内パンフレットを出して、「古い町並みはこのあたりです」と説明してくれた。
「上野高校はここです。校舎の外からの写真は撮れますが、
中へは入るのはできないと思いますが」とのこと。
「この前の読売新聞に古い校舎の中の廊下の写真が写っていてね。
あの写真を撮りたいのだけど、無理ですかね」と言うと、
困ったように、「それは、ちょっと」と口を濁される。


ついで、この上野では、名物のお城のことを聞いた。
わたしは、観光目的で復元されたお城には興味がないので、
「このお城は、むかしのままではないよね、復元したものでしょう」と聞くと
「はい、昭和10年の復元です。木造3層です。当時のお城は5層でしたが、
今の3層と同じくらいの高さです。
お城の中には横山大観などの書画があります」と、私が聞くと、すっと答えが帰ってくる。
実に手慣れたものである。
わたしも観光目的のコンクリートのお城などは見学する気はないが、
木造で昭和10年建造ということなら入ってみようかなという気になった。


教えられたとおり、まず三重県立上野高校へ行く。


三重県指定有形文化財
第三尋常中学校 正門である。

そうか、上野高校は、旧三重三中になるのか
創立以来百年以上たつわけか。

ここからは、入れないので、横の通用門へ行く。


無断へ校内へ入らないでくださいと書いてあるので、勝手に写真を撮るわけには
いかない。
事務所らしいところへ行くと、気配を感じたのか、中高年の男性が出てこられた。
「校舎の写真を撮らせていただきたいのですが」と言うと
「どうぞ、どうぞ。校舎の中へは入れませんよ」とのこと。
「わかりました」と言って、古い校舎へ行く。

夢中で、何枚か、写真を撮った。


上野高校旧校舎

今は、授業などには使われていない様子

相当古い校舎である。
ひょっとすると、明治時代か

堂々としたものである。



同上

風雪百数十年?の重みがある。



何枚か、写真を撮り、もう一度事務所へ行き、「写真、ありがとうございました」と大きな声でお礼を言うと
「どうぞ、どうぞ」という声が帰ってきた。

感じのいい対応としていただいたと思った。

そこから、上野城へ向かった。


お城へ上がっていく階段にて

ランニングの女性が軽やかに通り抜けていく。

そのパワーをうらやましく感じた。

わたしもこういう時代があったなと。



上野城

これがとても木造とは思えないが、基本の骨組みが
木造になっているのか。

上野城というのは、いうまでもなく藤堂高虎の築城である。


元、上野城は、筒井氏(筒井順景の子?)の居城だったが、
改易となり、藤堂高虎が入城した。
藤堂高虎は、城造りの名人である。
彼が、自ら指揮して、城を作り上げた。
その城が、猛風で倒壊。
幕府の外様大名政策で、城の建造を厳しく制限されたため
上野城の天守閣は結局、再建されなかったそうである。

この天守は、昭和10年、川崎何某(現在の川崎代議士の
祖父か祖祖父)が私財を投じて、建造されたものだそうである。



同じく

これだけ、外から見ておけばよいか
結局中へは入らなかった。



同上の堀



城のそばには、伊賀流忍者博物館という施設もある。

また、忍者の服装を貸してくれるので、その格好をすることもできる(子ども向け)。
京都で、観光客が舞妓さんの格好をして、京都の町を散策できるのと同じ観光行事である。

そんな格好の観光客

おばあさんと孫3人

子忍者は、のどが渇いたらしい。




子どもたちはこういう格好をさせてもらって、
それなりにうれしそうである。




俳聖殿

いうまでもなく、俳聖・松尾芭蕉の像が
まつってある。

この建物も、お城と同じく、川崎氏が私財を
投じて、建造されたもの。


一年に1回、10月12日(芭蕉の誕生日だった?)だけ
ここが開門されるそうである。

その日に、句会が開催されるとか。




お城界隈を見てきたので、これからは市内の古い町並みなりレトロな家の
写真を撮りに行こうと思って、いったん、元のところへ戻った。

12時半過ぎになって、おなかもすいた。どこかで、そばでも食べようと思ったが
そば屋はないらしい。

しかたがないから、産業会館のすぐ前の食堂へ入った。

こんな感じの店だった。

ざるそば 大盛り 650円

肝心の味の方は ???




これから後は、「その2」を見てください。