平成19年4月21日

わが母校・清水谷高校とその周辺

空堀商店街から今里へ行く途中に
わたしの母校・大阪府立清水谷高校がある。

せっかくだから寄ってみた。
何年か前にもきたことがある。

わたしの母校も、数年前に創立百周年の記念パーティがあった。
それくらい古い学校である。
校舎も10年くらい前に、全面的に建て替えられている。
そのため、わたしたちの在校中のものはほとんど残っていない。



左側の手前が体育館、向こう側が校舎

いずれも裏側(南側)より

すぐ東側に、高層マンションが建ちかけているのには
驚いた。
すぐ隣りのようである。

これも時代の流れなのか



わたしたちの在学中からあったもので、今でも残っているものの写真を紹介する。


学校正門を入ったところ

このスロープは昔のままだと思う。

わたしが入学した54年前もこんな感じだった。

この学校の卒業生は、
この姿に感動しないものはいない。

今でもわたしたちの心を打つものがある。



校庭(中庭)のあるイチョウ?の大木

これも、わたしたちの在校中のものだと思う。
(そんなに長く持たないか?)



校舎(本館)から同窓会館を撮す

この同窓会館も、当時のものそのままである。
外装はきれいになっている。

この2階は、図書館だった。

今は、図書館は本館の中にあるとのことである。



同窓会館前に、こんな標識があった。
東経と北緯の正確な数値が、細かいところまで
測量したのだろう。

どうして、計測したのか、わたしの恩師が
地学の先生なので、そのうち聞いてみよう。




グランドでは、女子テニス部の部員が
練習していた。
一区切り付いたのか、下級生らしいのが
ボールを集めていた。



グランド前の本館入り口で
座り込んでいる生徒がいた。

「どうしたんだ」と聞くと
「こんにちは」とにっこり笑って
「ちょっとしんどいので休んでいます」とか
言っていた。

2年生だそうである。
2年生にしては、小さいように思った。

「勉強の方も、がんばれよ」と言うと
「はい」と笑っていた。



校舎を後にして、通用門から表に出る。


この石垣塀も、ずいぶん昔からのもの
(たぶん戦前からでは?)

隣りのマンション建設用の資材を
運んできた大型トラックの運転手さんが
休憩して雑談していた。



「清水谷高校前」というバスの停留所

わたしたちの在校中は、市電(路面電車)が
走っていたように思う。
(わたしの思い違いかもしれない)



何年ぶりかで、母校を訪ねてみると、それなりに感じるものがある。

ここへきてよかったという感慨を、胸に納めて、次の予定に向かった。

以上