平成18年12月24日

愛知県刈谷市、西尾市訪問


目的 古い町並み、古い建物(登録文化財・建造物)、
寂れつつある商店街の写真を撮ってくること

刈谷市については、デンソー、アイシン精機、トヨタ車体など
トヨタ系大企業が、軒を並べている企業城下町であるので
古い町並みが残っている可能性は低いと思われるが、
登録有形文化財があるということであるので、
それを見たいことと刈谷市の商店街のことを調べるため
検索すると、「刈谷市見学」というホームページがあった。
それによると、刈谷市は、「日本一豊かな街の寂れた商店街」として
紹介されたこともあり、中心市街地の衰退例として有名になったとの
ことである。
これは、刈谷へ足を伸ばす十分な理由があると思ったので
行くことにした。

9時過ぎ、友人とJR刈谷駅で待ち合わせた。

地図のコピーを渡し、行動予定を打ち合わした後、歩き出す。


刈谷駅の南口を出て、名鉄の踏切を渡り、アピタの北側に出て
西へ向かって進むと、東陽町商店街(東陽町名店街)である。

車がよく通る道路であり、両側にアーケードのある商店街である。
駐車場もたいしてあるようにも見えず、といって、この道に車を
止めて買い物もできず、中途半端な商店街である。

そんなこともあるのか大半の店が、シャッターを下ろしている。

シャッターの下ろした商店街

日曜日だから休んでいるわけでも
なさそう。



上記と道の反対側

開けてる店があっても、
帽子屋の看板なのに、喫茶店だったり、
スリランカ・カレーの店があったり、
このラーメン屋さんも営業しているのか
閉店しているのか、よくわからない。
提灯を出しているから、現業中か
それにしては、シャッターの上の看板文字も
薄汚れているが。

全体的に、営業していると思われる店があっても
商店街で通常見かけるような店はない。




シャッター通りとしか、いいようがない
旧商店街である。



しばらく進んで、銀座通り商店街に入る。
ここは、東陽町商店街のように広い道ではない。
ごく普通の商店街である。ここもシャッターを下ろしている店が
ほとんどなので、旧商店街というべきか。


左側はシャッターを下ろした店
右側は、店を取り壊した空き地である。



刈谷浴場と書いてある。
廃業した銭湯と思ったが
「当湯定休日 日曜日」と書いた紙が
張ってある。
ということは、営業中なのか。

とても、現業中とは見えなかったが。
銭湯を続けているとは、ご苦労なことである。
ちょっとうれしくなってくる。


商店街に面した家
元は何かの店だったと思われる。

家の構えを、道に対して左側(こちらから見て
右側)を、道にそろえず、左側を後ろへ下げて
建ててあるのが、面白いと思った。
なにか、いわれがあるのだろうと思う。


いかにも由緒のありそうな家である。
この道は狭い道ではあるが、
元は旧街道だったのではないだろうか。
そんな気がした。
りっぱな家が残っているものである。



登録有形文化財・建造物の刈谷市郷土資料館

元は、亀城小学校本館である。

亀城小学校旧本館は、昭和3年建造で
刈谷市に残る数少ない昭和初期の建物。
この建物のすぐ後ろに亀城小学校の現校舎が
ある。
本館以外の講堂などは、取り壊された。
この旧本館も取り壊しの予定だったが
保存運動があり、取り壊しをやめ、郷土資料館と
なった。


同上建物の内部通路

いかにも、旧小学校の廊下の面影がある。
突き当たりが職員室、右側が校長室だった。

刈谷市のホームページ(らしい)による資料館の案内

「郷土資料館は、昭和初期の建築様式をとどめる
亀城小学校旧本館の建物を保存活用して、昭和55年に
開館しました。
 常設展示室には、原始、古代〜中世、近世〜近代に
分類された刈谷の文化遺産や考古、歴史、民俗資料を
展示しています。
また、建物が平成11年2月17日に国の登録文化財になりました。」

これだけである。


ここの職員の方か、ボランティアの方か、わたしより少し年下とみえるおじさんが
中を案内してくれた。
正月用に、今朝散髪に行ってきたのか、整髪料のにおいをぷんぷんさせながら、
順番に資料室を案内して、説明してくれた。
さすがよくご存じだし、親切な方だった。

何が展示されているかについては、ある郷土資料館めぐりのホームページの記載を
引用させてもらった。お礼申しあげます。

刈谷市郷土資料館について

展示の内容

概 略 建物は昭和初期の亀城小学校旧本館。刈谷の文化遺産や考古・歴史民俗資料、山車、鎌倉街道、近くの図書館にも展示の一部がある。
山車の展示。山車は知立と同形式のものである。
キリシタン禁止のおなじみの定め書きの中の銀500枚とは430両、300枚とは258両、100枚とは86両のことである。仲間の年季奉公の給金が年3両であることから考えると非常に高い金額であることがわかります。
須恵器の展示。灰釉陶器は8世紀後半〜10世紀 9世紀前半が盛り
愛知県では
ここでしか
見られない
展示
龍骨車という揚水装置がある。キャタピラーのような木造の水車。精巧な造り。
展示されているのは半田市とここ、名古屋市港区と長久手町の4ヶ所。収蔵品を合わせても10個しか残されていない。
鎌倉街道に関する展示。鎌倉街道は刈谷市を通っていた。
お代の方(家康の母)に関する展示。
ひとこと 手作り感覚、雑多な展示。しかし展示物の質は高い。

ということである。

わたしもなかなかいい資料館だと思うし、1回くらいは訪問する価値は十分あると思った。

ただ、館内写真撮影禁止というのが、ちょっと残念である。
入館料無料の公共資料館がなぜ、写真禁止にしなければ、ならないのか、
合点がいきにくいところである。
「手間ひま、コストをかけて、集めたものを、簡単に写真撮影されたら、困る」ということ
なのか。

わたしも写真が撮れないから、中にどんなものがあったのか、うまく説明できない。

写真に撮られて困るような芸術作品があるわけでもなし、
写真撮影自由にして、どんどん紹介・PRしてもらう方が、
せっかくの資料館の役に立つと思う。

天誅組の幹部のうち2名がここ刈谷の出身だということも、興味のある話だった。


上記資料館のすぐ近くの公園の中に
豊田佐吉の胸像があった。

この地と何か関係あるのですかな。

刈谷市郷土資料館を見学したので、次の目的である
ほかの古い建物を見に行った。


竹内産婦人科本館

左側の建物が新館だと思う。

先ほどの刈谷市郷土資料館(旧亀城小学校本館)を
設計した大中肇という建築家が設計した建物で
現存するものの一つ。



上天温泉

竹内産婦人科本館のすぐそばにある。

これも大中肇が設計したらしい。

現在は営業していない銭湯のようである。



だいたい、刈谷市の目的は済んだので、西尾へいくため
名鉄の刈谷市駅へ向かった。


こちらの駅前商店街も
シャッターを下ろしている店が
多いようである。

刈谷市駅も無人駅で
乗降客が一日どれくらいいるのか



西尾に行くには、いったん名鉄本線の知立まで戻って
二つ豊橋方面へ乗って、新安城で降りて、西尾行きに
乗ることになる。

新安城で、電車を待つ間に、近くの店で昼飯にした。


名鉄西尾駅前

りっぱな駅舎である。
駅前に広い土地が明いている。
この後、どうするのか。



西尾市については、「西尾でドットコム」というホームページで調べた。
特に、その中に「町屋探検」というのがあり、そこで各町ごとに、代表的な
古い店の紹介がある。
その町を地図上にマークしておいた。そこを通れば、古い店が見られそうである。


まず駅前のメーンストリートを西に向かい、本町通りを北に向かう。
本町という名のとおり、この市の中心街なのであろう。


大黒屋呉服店

この街の代表的な店のようである。



近くの店先で見たホーロー看板

昔は、こういう看板が街中にあった。
最近は、あまり見かけなくなった。

3枚揃っているのも、珍しいかと
写真を撮った。


川上酢店は、岡崎市にある創業大正13年の
老舗・酢メーカーである。
マルキはここのブランドである。



本町通りに面した古そうな店




これは、先ほどの大黒屋呉服店の
旧店舗大黒屋ノワール(昭和8年建造)




本町通りとならんで、西尾の商業の
中心地だった肴町通り

古い店屋が並んでいる。


肴町と天王町との交差点にある店
赤まむし救世堂本舗とある。

向の化粧品屋さんも営業中か
廃業したのか



天王町通りに洋服屋さん

ご主人が仕事中である。
ミシンを使っているようだった。
がんばっておられるのだ。


中町交差点にある古い店
後ろが大きい土蔵になっている。
造り酒屋か?




中町通から静かな住宅街を抜け、図書館へ向かう。


西尾市立図書館おもちゃ館
(旧岩瀬文庫児童館)
登録有形文化財・建造物

大正末期、子どものための
児童書閲覧室として建てられたもの

登録文化財というのは、これだけと
勘違いしてしまったが、帰宅後
よく見ると、このおもちゃ館のすぐよこに
岩瀬文庫という別のレンガ造りの建物があり、
こちらも登録有形文化財の指定を受けていた。
残念なことをした。

岩瀬文庫というのは、市内の豪商・岩瀬弥助が私財を投じて明治41年に
開設した私立図書館が始まりで、貴重な資料、蔵書が数万点集められている。

戦後、土地、建物を市に寄贈され、蔵書は市が買収して、市立図書館として
再スタートしたもの。
旧岩瀬文庫書庫が平成11年に児童館と共に、登録有形文化財の指定を受けた。

ここから、そろそろ西尾駅に向かった。


この建物は、旧西尾郵便局である。
西尾に現存する唯一の明治官庁建物

ちょっと、目を引く建物である。
まあ、べたべたと美観はよろしくないが。



幸町にある旧西尾銀行跡

明治27年年の設立で大正8年まで使われていた。 
その後、綿問屋として使用されていたそうである。

後ろに大きい土蔵があるようなのは、ちょっと
気になるところである。


西尾駅の着き、コーヒーを飲んで休憩後、名鉄電車で名古屋へ向かった。

こうして出かけてみると、何かと収穫はあり、それなりの充実感は
得られるように思う。


以上