平成18年11月12日 愛知県常滑市を訪ねて

朝9時20分 名鉄・常滑駅に着く。
以前は、ここが終点だったが、中部国際空港ができて、
電車は、全部、空港行きになっている。

改札を出て、駅ビルの中にある観光案内所を訪ね、
観光ガイド地図をもうった。ついでに昔の商店街はどこにあるのか
聞くと、「街なか ぶらーりマップ」というのをくれた。

早速歩き出す。


名鉄常滑駅

外へ出たところで、立っている人がいるので
何をしているのかと聞くと
駐車場の見張り番だそうで、ここへ車を止めたままで
電車に乗って出かける人がいるので、
そういう人が車を止めないよう、監視しているそうである。

風がちょっと強く、寒いところで、ご苦労さまなことだ。



とこなめ やきもの散歩道マップのAコースの入口である。



道の分岐で、マップを見ていると
年配のおじさんが、何番へいくんやと聞く。
「わしは、ここの者やで、何でも知ってるぞ」と
おっしゃる。
しばし、おじさんと雑談。
ここで、やはりずっとやきものをやっていたそうである。
わたしが、瀬戸から来たというと、同じやきものの街で
親しみがあるのか、「わしも何回か瀬戸へ行ったことがあるぞ」と
気軽にいろいろ話してくれた。
「瀬戸は、食器とか、小さいものが中心
常滑は、土管、大カメ、下水管など大物が多い、
だから窯も大きいし、煙突も大きい」ということである。
なるほど。

そこへ、中年女性の集団がきたので、おじさんはそちらの
案内役をかってでたみたいだった。


おじさんは、大正生まれで85歳だそうである。
お元気な観光案内ボランティアというところである。


やきもの工場

常滑は、こういうレンガづくりの煙突が多い。
瀬戸では、あまりこういう煙突は見たことがない。



廻船問屋 瀧田家があった。

常滑を代表する廻船船主の瀧田家の居宅を復元・整備したものが
公開されている。入場料300円
船箪笥、船道具などが展示されているということである。
わたしは、この種の建物の内部には、あまり興味はないので、入らなかった。



このあたりの典型的な坂道

壁面を土管を埋めてある。




土管坂

常滑・やきもの散歩コースのひとつの目玉である。

よく常滑の観光写真などに紹介されている。

うっかり歩くと、見落とすくらいの坂である。

「えっ、たったこれだけ」とちょっとがっかりした。




やきもの工場

廃業した工場跡と思ったが、近くにいたおばさんに聞くと
「今日は日曜日だから、お休みです。普段は仕事をやっておられます」
とのことだった。

門もなく、開けっ放しで、悠長なものである。



登り窯
常滑に残る唯一の登り窯。国指定重要民俗文化財
長さ22メートル、幅9.6メートルの連房式登り窯。
エネルギー革命で、常滑も登り窯が姿を消し、
ここも、昭和49年が最後の窯だしが最後となったとある。



やきもの散歩道

この近くで、ニコンの一眼レフで写真を撮っている人としばし雑談。
年格好は、わたしより少し上と見た。

ニコンのフィルムカメラである。Fのなんとか言われたが、忘れた。
Fー100ともう一台を売ってしまったので、フィルムカメラはこれ1台だけ。
フィルムをたくさん買って、保管庫に入れてある。使用期限が過ぎているが
それを使っている。
デジタルカメラは、D70を下取りに出して、D80を買ったとのこと。
レンズセットのものを買ったのかと聞くと、
「レンズは、手ぶれ防止機能のついたVR 18〜200oを買ってあったので
それを使っているとのこと。このVRがニコンレンズの売れ筋で品薄だそうである。
確か、定価が11万円ほどする。D80の本体価格と変わらないくらいの
高いレンズである。
わたしも将来D80を買うことがあれば、このレンズがほしいものである。
当分買うつもりはないが。


わたしが、自分のオリンパスの3040を見せて、このデジタルカメラは、レンズが1.8で抜群に明るいレンズです。
こんなに明るいデジタルカメラはありませんよと言うと、そのニコン氏は、感度はISO100から自動的に調整するから
レンズの明るさを、そう気にしなくてもよいとおっしゃった。わたしは、それはちょっとおかしいと思ったが、あえて
大先輩に反論する必要もなく、そうですかと言っておいた。
今日は、写真グループで、こられたようで、さきほど、一眼レフをぶらさげた一団にあったが、そのグループだったらしい。

「それでは」ということで、別れてきた。


やきもの散歩コースもだいたい終わったので、常滑の古い商店街を見に行った。


観光案内所でもらった「街なか ぶらりマップ」には
「やきもの散歩道Aコースの南に延びる昔からの商店街
30年ほど前までは、常滑一の繁華街でした。
今は当時のにぎわいはありませんが、何百年もの歴史をきざんだ旧道あるきをお楽しみください。
昭和30、40年ごろの雰囲気を味わいながら、ーーーー  歩いてみるのも、おすすめです」
と書いてある。


ここらあたりは、常滑駅から、1Km以上離れており、駅前とは無縁である。
駅前商店街ではなく、昔からの海道に沿って発達した商店街である。
かっては、それでもにぎやかだったのだろうが、車社会に対応できず
いずことも同じく、衰退していると言ってよい商店街である。


道のまがりにある変形な家

昔は宿屋でもやっておられた感じだが。

道は、すぐ先で右に曲がっている。



かってにぎやかだった海道沿いの店屋

今は、廃業したところが多い。



旧東海銀行常滑支店

今は、ファッション関係の店のようである。

この車が通れないような狭い街道沿いに、
東海銀行があったのだ。

銀行の支店があったということは、
その当時この通りが、この街のメーンストリートだった
ということを表している。

今では、想像もつかないことである。

この旧東海銀行常滑支店については、あるホームページに下記記載があったので、
その主宰者に感謝して、引用させていただく。


この建物は、東海銀行の前身の一つ、中埜銀行常滑支店の社屋として
大正6年に建てられた。
茶と白を基調としたれんが造りで、荘厳な雰囲気がある。
東海銀行が移転してからは、地元の印刷会社が社員寮として使用。
昭和40年代に同市市場町の精肉店「いろは商店」が購入し、
15年前まで店舗として使ってきた。
平成18年5月18日現在 空き家となっている。




廃業した店の前に、児童の習字の作品が
張り出されている。



商店街から常滑駅へ帰る途中の、
このあたりの主幹道路で見た古い店舗
現在も営業中のようである。

右隣の建物は、元知多信用金庫の
建物のようである。
どこかへ移転したので、一般の会社が
使っているようである。



左側の建物が、瀧田医院、右側の建物とも
つながっているので、全体が瀧田家というのでは?
廻船問屋と同じ名前だし、このあたりの元からの名士
なのではないかと思う。




常滑駅に戻ってきたのが、11時50分。
まだ早いので、名古屋方面へ5つ戻った「大野町」へ行った。
本によれば、ここには古い町並みが残っているということだったので
それを見に行った。
大野町は、海に面しているので、かっては港として、
あるいは、海水浴、海釣りで、にぎやかだったようである。
行政上は、常滑市大野町である。

以下、大野町をぶらぶら歩いた写真である。


大野町小景



同上



入江で魚を釣る

大人はおらず、中学生くらいの子どもが多い。


常夜灯

案内板によれば、
「この常夜灯は、文久3年(1863年)に大野橋南詰に
建立された。
昭和43年に現在位置へ移設された」とある。




放置された古い土蔵



大野町の町並み




以上


TOPページに戻るときは、ブラウザーの「戻る」をクリックしてください。