平成18年7月8日近江八幡

朝9時半ごろ、近江八幡駅に着いて、駅前のバスに乗る。運転手さんに、「このバス、八幡小学校を通りますか」と聞くと、
「行きますよ。はっしょうまえでおりてください」という。「はっしょうまえ?そうか、八小前か、八幡小学校もバス停の名前が
つくぐらい有名なんか」とひとり思いこんだ。
「はっしょうまえ」と呼ばれて、「八幡小学校はあれです」と指さして教えてくれた。
「はっしょうまえ」とは「八小前」ではなく「八商前」である。八幡商業である。八幡商業は、近江商人の学校とでもいうべき昔から
有名な学校である。


  近江八幡市立八幡小学校

 明治6年創立というから、日本でも最も古い小学校ではないか。
 大正年間に建て替えられたそうで、その当時の校舎かと思って
 いたが、平成2年に昔の木造校舎のイメージを残して新築された
 そうである。
 いずれにしても、荘重な感じがする立派な校舎である。











次は、アーケードの商店街の京街道に向かう。
以前きたとき、日曜日には、この商店街も、半分くらいに店がシャッターを下ろしていたような記憶があった、
それは、それで写真の題材としていいと思うので、その写真を撮るのを楽しみにきた。
ところが、今日は七夕祭りらしく、にぎやかである。これはこれで結構だと思って、写真を撮る。

 商店街を自転車で行く親子連れが目についたので、
 写真を撮る。親子の自転車の距離・間隔が微妙で、面白いと思った。
「パパ、今 日はたなばただよね」と子供が
 言っているようにみえる。


















同じく京街道

左側にある店は、由緒のある古い呉服屋さん。
その案内板が店の角の掛かっている。
右側は七夕祭りの受付なのか、人が集まっていた。














この商店街を京街道という。だから京都に通じている、この町のメイン道路である。
さらにこの街道を、「朝鮮人街道」と呼ばれていたそうである。
今、いきなりそう言われるとよその人間はどきっとするが、この地の人は別にどうということはない。

この近くにあった案内板によれば
「江戸時代、将軍が交代するたびに朝鮮国より国王の親書を持った「朝鮮通信使」が来日した。
その一行は500人規模で組織され、往復で1年もの歳月を要した。
一行は、この町で休憩し、当時の町人も歓迎し、文化交流がさかんに行われた。」
そうである。
そんなことから、朝鮮通信使が通過するというのは、町の人にとって相当のインパクトの
あるイベントだったことから、この名前が残っているのであろう。



この商店街にある薬局

アスパラとかアリナミンとか、ちょっと懐かしい看板がそのまま
残っているので写真を撮った。
店の中も、それなりにレトロ風だった。

















新町通り
この近江八幡の顔とでもいうべきところである。
重要伝統的建造物群保存指定地区の中心である。
観光客も多い。















新町通りを通り抜けて、そこし行くと八幡堀がある。


八幡堀

夏は、琵琶湖からの取り入れる水が減るとかで水がよどんでいる。
きれいでない感じがした。以前、写真を撮ったときは、木の小さな船が
半分沈みかけで繋がれていたが、沈んでしまったのか、見あたらない。

ここのすぐ手前に橋があり、その上から写真を撮る人も多い。

橋の向こう側には、写生をする人もよく見かけたが、この日は
いなかった。












永原町通り
ここも、新町通りと並んで、「重要伝統的建造物群保存指定地区」になっている
ところである。しかし、新町通りに比較すると、人通りも少なく、ひっそりとしている。
観光客もあまり通らないようである。
もう何年も眠っているような街である。














永原町通りにある店

醤油という看板が出ている。醤油を作っている店なのか。
しかし、この感じでは、もうずいぶん前に廃業したような感じもする。
現役で商売をしているようには思えないが。














永原町通りと「旧朝鮮人街道」の交差点
標識が残っている。
















そろそろ疲れてきたし、お腹もすいてきたので、バスで駅へ向かうことにした。
前のときは、駅まで平気で歩いたが、今日は暑いし、疲れた。それにカメラの三脚も持ってきているので、バスに乗るため
バス停を探す。
道の横に座って、音楽をデジタルオーディオプレイヤーで聞いている女の子に、近くのバス停への道を聞く。
ていねいに教えてくれた。
「音楽を聞いているの」「そうです」
「中学生?」「高校です」
ここで朝のバス停を思い出した。
「へえ、はっしょう?」と聞いてやると、なぜ「はっしょう」という呼び方を知っているのかと、ちょっと驚いた様子で
「そうです」と笑って言う。
「八幡商業はふるい学校やね。有名な学校や」というと「だいぶ古いです」と答えた。

礼を言って、バス停方面へ歩き出す。
そこからすぐ八幡商業があった。


八幡商業の校門横に掛かる横断幕

創立百二十周年とは、日本でも最も古い商業学校ではないか。
わたしが大学卒業したころは、上場会社の役員の中に
八幡商業出身者がたくさんおられたという記憶である。
卒業生名簿を見れば、有名な実業人もたくさんおられると思う。













バス停でしばらく待って、きたバスに乗ったら、女子高校生で満員である。わたしの顔を見て、席を譲ってくれた女子高校生に
話かける。今日は土曜日なのに、登校だったそうである。学校は、近江兄弟なんとか言っていた。「この前、甲子園に出たね」と
聞いても、「はあ」というばかり。よく知らないようだった。

近江八幡駅に着いた。次の電車の時刻を確認するため、一度駅へ行ってから、向かいの平和堂で、昼食。
ビールを飲み、うどんを食べた。



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