平成18年5月6日  名鉄伊奈駅〜旧東海道吉田宿〜二川宿〜JR二川駅 18.0Km

前日は、名鉄伊奈駅(名鉄豊橋駅より一つ手前・名古屋よりの駅)まであるいたので、今日はその続きである。

まず、駅を出たところで、準備をして、歩き出す。まず、旧東海道まで戻る。
このあたりは、小坂井町であるが、豊川放水路を渡ると、豊橋市である。
魚市場があり、その関連の会社が多い。
豊川を渡ると、豊橋の市街になる。

街道筋に残る古い家並み

豊橋の市内中心街に入って、旧東海道の案内に従って、歩く。
豊橋市内の道は、広い立派な道である。旧東海道の案内があっても、旧東海道の雰囲気はない。

旧脇本陣跡
案内はあるが、ここは普通の家である。
脇本陣だったという面影もなにもない。


旧東海道吉田宿本陣跡

脇本陣の道の向に本陣跡がある。
うなぎ屋さんになっている。

ちょうど、おかみさんがいたので、話を聞いた。
ここのご先祖が本陣をやっておられたのかと聞くと、
そうではなくて、ここらあたりは太平洋戦争で
焼けてしまった。元本陣家は、どこかへ行かれた。
ここのうなぎ屋さんの先代が、ここを買って商売を
しているということだった。
要するに、ここに昔、吉田宿の本陣があったと
いうだけのことである。
おかみさんが、「二川へは行ってきた」と聞かれたので
今から行くところだというと、「ちょっと待ってて」と言って
家の中へ入って、何かを持ってこられた。
「これ持っていき」と言って、手渡されたのは、二川宿のパンフレットだった。
「ありがとう」とお礼を言って、「おばさんところは、うな丼はいくら?」と聞くと、「1800円よ」とのこと。
「こんど、来たとき、うな丼、食べるからね」と口からでまかせを言うと、「お願いします」。
口からでまかせといはいえ、心にもないうそを言っているわけではない。事実そのとおりである。
こんど、また豊橋に来ることがあり、昼ごろにこのあたりまでくれば、ここでうな丼くらいはごちそうになってもよいということである。
もっとも、今はまだ早いから、お店も準備中である。


本陣の記念碑の横にある案内によれば、旧吉田宿は、本陣2、脇本陣1、旅籠65あったそうで、
旧東海道でも大きな宿場だったようである。


さて、旧東海道をまた歩き出して、街の中心からだいぶ歩いたところで、
国道一号線、片側2車線のところで、信号が青に変わっても、動かない車がある。
横を通り過ぎるとき、のぞいてみると、年配の男性が、本を見ている。
「なんだ。地図を見ているのか。こんなところで地図を見るなら、車をもって左へ寄せなよ、後ろの車のじゃまじゃないか」
と思いつつ、「これが平日なら、後ろの車は、クラクションを鳴らして、たいへんだよ」と、この年配男性の思慮のないのに
ちょっと非難したい気持ちである。

通り過ぎて、しばらくして、気になって、振り返ると、横に乗っていた奥さんが、車を押している。
「なんだ、車の故障か。しかたがないな。戻って行って、押すのを手伝ってやるか」
もう、50メートルくらい行き過ぎていたが、車のところへ戻った。
道のすぐ横に空き地があるので、そこへ入れようと、後ろの車のドライバーと一緒に押すけれども
動かない。「ギヤーが入ったままじゃない。ニュートラルにしなさい」と言うと
「ニュートラルに入らんのです」と年配の男性。
「エンジンが切れているのじゃないの。エンジン入れなさいよ」というと、
「エンジンは入っとるはずですが」と言われる。
「キーはどうなってる」と聞くと、「エンジンのキーはこれです」と出してきたのは、
携帯電話の半分くらいの大きさのものである。
「えっ!こんなんがエンジンキーか」とびっくり。
わたしらからは想像のできないものである。新しい車らしい。
「どこからきたんや」と聞くと、奥さんが「岡崎からです」という。岡崎からなら、ガス欠でもないな。
「これでは、どうにもならんわ。ジャフを呼んだら」というと「ジャフとは何ですか」ときた。
「車の故障のとき、呼ぶところや、入ってるやろ」というと、「日本自動車連盟なら入っております」と
言って、ジャフの会員証を出してきた。
「すぐ、携帯で呼んだら」というと、「携帯は持っとりません」とくる。
「旅に出るなら、携帯くらい持っとけよ」と言いたいところだが、「じゃ、あそこのコンビニで電話借りて
ジャフ呼んだら」ということになった。
横でおくさん、「車を買って、きのう、1ヶ月点検したところなのに」と怒っている。

どのメーカーの何という車か、聞かなかったが、新しい車である。
「年寄りが、こんな新式の車に乗ったらいかんぜ」というのが、正直な感想。
後ろの車のドライバーも、親切にいろいろやってみようとしたが、結局お手上げである。
また「後ろの車に、故障がわかるように、ハザードの標識を出すように」と、アドバイスしていた。


わたしは、することもないから、また歩き出した。


旧東海道に残る松並木



二川宿入口
JR二川駅のすぐ手前

東海道という案内碑が、やや傾いている。
写真が、斜めだったかと思ったが、そうでもないね。


jR二川駅から、二川宿中心まで1キロ近くある。この距離が長い。
元々、駅が旧宿場から離れたところにできたのだろう。
この距離が、ここまで歩いてきた者にとって、いやに長く感じる。


二川宿本陣(復元したもの)



本陣内部
上座というのか、高貴な方が泊まる部屋。


旧本陣の建物
この建物を豊橋市が買い取って、そうとうのお金をかけ、
修復復元したものが、現在の本陣である。
修復復元工事の写真が展示してある。
半分壊れかけた建物を解体、使えるところを使って
復元したそうである。



現在の本陣の全体


二川宿資料館
本陣の横に、資料館がある。入館料400円

わたしも中へ入ったが、たいへん参考になった。
400円の価値は十分あり。
江戸時代のいろいろな展示物があり、
二川宿のことのみならず、江戸時代の
旅籠、旅、生活ぶりなどがわかるような展示があった。

写真を撮ってもよいかと聞いたところ、
2回の特別展(豊橋市のえはがき展だった?)は困るが、
通常の展示物は結構ですとのことだった。


なお、二川宿は、本陣1、脇本陣1,旅籠38の規模だったそうである。

JR二川駅へ戻ってきて、電車を待つ間、30歳代の男性と雑談して、聞いた話に
びっくりした。

その男性が「とくとく切符で名古屋〜二川が往復1500円だから安いですね」と言う。

「1500円ということないでしょう。2500円じゃないの」とわたしが言うと、
「いや、違います。往復で1500円です。これですよ」と帰りのキップを見せてくれた。

ほんとうである。名古屋〜二川は、片道1280円だから、普通に買うと往復2560円
だから、これが1500円なら、ばか安である。

「しまったな。これを知っていたら、豊橋までJRできて、一駅だけ、名鉄に乗っ
て伊奈までいけばよかったのに」とわたしが、がっかりしていると、
彼は、「名鉄への対抗策ですよ。名鉄でも、名古屋から豊橋間の往復キップで
1500円というのがありますよ」と簡単に言う。

「えっ、そんなんあるの」と、これも知らなかったわたしはびっくりした。
ちなみに、名古屋〜豊橋は、通常料金片道は、1080円だから、往復で2160円だから、
特割キップだと往復で660円安くなる。

JR、名鉄は、名古屋〜豊橋間は、競争が厳しいのか、こういう特割がある。
これを知っているのと、知らないのでは、大違いである。
こんど、旧東海道を、二川から東へ行くときは、この特割キップを利用させてもらおう。

以上


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