平成18年5月5日 名鉄・美合駅〜藤川宿〜赤坂宿〜御油宿〜名鉄・伊奈駅 22.2km


名鉄美合駅を出て、旧東海道に戻って歩き出して、すぐ向こうからきた
旧東海ウオーカーと少し雑談した。

一日70キロ歩く怪人

今日はどこから来たんですかと聞くと、豊橋から歩いてきたという。
「えっ、豊橋からここまできた!」
まだ9時すぎである。

「ずいぶん、朝早く出たんだね」と聞くと
「朝、4時に豊橋のホテルを出て来ました」という。

なるほど、4時に出てくると、こんな時間でここまでこれるのかと、納得。

「今日はどこまで行くんですか」と聞きと、
「今日は終点まで行ったろとおもてます」と言う。

「終点ってどこですか」と聞くと、「名古屋の宮です」と答える。

「へえ、名古屋まで!豊橋から名古屋っていうと、70キロくらいあるのと違うの?」
とびっくりした。

「それくらいあるかもしれません。夕方の6時か7時に着くと思います。
それで東海道は卒業ですわ」と簡単におっしゃる。

一昨日に島田を出て、途中一泊して、昨日は豊橋まで歩いてきたと言うから、
並ではない。
すごい人もいるものだ。
タイプは、スポーツマンのような引き締まった体型ではない。
腹が出かけている中年の40歳代のおじさんである。
兵庫県の人だったが、名古屋の宮へ着いて、一人で打ち上げをやるのか。

江戸時代の旅人でも、これほどは歩かなかっただろう。
世の中すごい人もいるものだと感心した次第である。

藤川宿入口の松並木



藤川宿の西の棒鼻(西の入口)に、浮世絵師・歌川豊広の歌碑が立っている。

「藤川の しゅくのぼうはな みわたせば
杉のしるしと うで蛸のあし」

西浦、吉良から持ってきたうで蛸を売っていたらしい。

藤川宿資料館 (脇本陣跡)





藤川宿第二資料館 (本陣跡)

こちらの本陣跡は、脇本陣跡に見劣りする。



藤川宿の町並み

なんとなく、元宿場の雰囲気がある。



次の赤坂宿へ向かう。



いかにも古そうな食品関係?の会社だったと思う。

5年前歩いたときの記憶では、裏に大きな煙突が
あったが、取り壊されたのか、なくなっていた。



ずっと、国道一号線を歩いていたが、
音羽町長沢というところで、また
旧道に入る。
ほっとする瞬間である。

旧街道筋に古い建物があった。
ずいぶん大きな家なので、由緒ある家系だと思う。



赤坂宿入口

ここは、東海道ウオーカーのための
休憩所である。
トイレ、手洗い、畳敷きの座敷があり、
ゆっくり休憩できる。

3人の東海道ウオーカーが、集まり
しばし歓談した。



旅籠・大橋屋

現業の旅館

赤坂といえば、大橋屋といわれるくらい赤坂名物



大橋屋と並んで、赤坂名物の尾崎屋

今はなんのご商売がわからないが
元は女性用の小物を商っていたのでないかと思う。

赤坂というくらいだから、ここには昔、色町が
あったということが、本に書いてあったような記憶である。



赤坂宿本陣跡

ここにあった本陣は、間口17間半、奥行28間の
立派な建物だったそうである。


赤坂宿町並みにある酒屋さん
看板は、銘酒の名前が並んでいるが、
今でも営業中かどうか不明



赤坂宿のはずれで見たちょっとしゃれた建物
入口は閉鎖されている。

近所の人に聞くと、3代続いた医院だったそうである。
最近、後継者なく廃業とか。



御油の松並木 

国の天然記念物に指定されていたと思う。




御油の松並木

さすが、立派なものである。
たぶん、旧東海道で一番立派だと思う。

赤坂宿と御油宿は、極めて近い。
松並木を通り過ぎると、すぐ御油宿である。




御油宿の町並み

わたしは、ここの落ち着いた町並みは好きである。
気分的にほっとさせるものがある。





御油宿本陣跡

ちょっと寂しい標識である。

御油には、2軒本陣があったそうである。



広重でしょか?、御油宿の浮世絵

御油宿 旅籠は62軒あったそうである。



御油宿の町並み

古い民家が続く。





御油を出て、豊橋に向かう途中の
街道に面して、大きな旧商家があった。



今日のコースは長い。ほんとうは、豊橋駅まで歩きたいが、
ちょっとしんどいので、名鉄電車で豊橋駅の一つ手前(名古屋寄り)の
伊奈駅まで歩いて、ここを今日のゴールとした。

以上

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