平成18年5月4日 名鉄・知立駅〜岡崎宿〜名鉄・美合駅 20.5km
昨日ののゴールだった名鉄・知立駅をスタートして、
旧東海道に向かう。
真正面の斜めの道が、旧東海道である。
この信号で、旧東海道に合流して
旧道を歩く。
旧道は、車も少なく、のんびり歩ける。
昨日の知立神社のお祭りに
参加した山車を片付けているところ。
この町内の世話役さんが、集まって
作業中である。
ご苦労さまです。
知立の松並木
市街地を出て、旧道を行くと
松並木になる。
かなり年数もたっているようで、
倒れかかっているのもあるようである。
来迎寺一里塚 知立市来迎寺町
県指定文化財
江戸・日本橋から数えて、89番目の一里塚
道の両側に塚が残っているのは、珍しいそうである。
永安寺の雲龍の松 安城市
県指定天然記念物 樹齢300年
樹高 4.5 幹の回り 3.7メートル
枝張り 東西 17 南北 24メートル
ここで写真を撮っていたら、
奥から一人の男性が出てきた。
ここで休憩していたらしい。
この男性と話をしてびっくりした。
以下、この男性の話を書く。
わたしのメール仲間に送った
「旧東海道で出会った奇人・怪人」というメールが、
そのときの印象を書いているのでそのまま引用します。
5年前に家を出たきりのサイクリスト
2日目の5月4日、安城市浜屋町にある永安寺で会った人のことを書いておきたい。
ここには、「雲龍の松」といって、県記念物に指定されている松がある。
その写真を撮ったとき、そこで休憩している人に話しかけた。
旧東海道ウオーカーではなく、サイクリングできている人らしい。
その人の話を聞いてびっくりした。
こんな話だった。
「5年前に家を出たきり、家へ帰らず、ずっとサイクリングで、
あちこち行っている。
サイクリングで7000キロ走った。後3000キロを走しってけりをつけたい。
自宅は、岩手県
年は64歳、58歳で退職した
九州は、もう2回往復した、北は北海道の網走までい行った。
宿泊は、寒くなければ野宿、風呂へ入りたいときは民宿へ泊まる。
収入は年金生活、年金だけで十分まかなえる。
自転車のパンクなどは自分でする。その機材は持っている。
などなど」
自転車は、ブリッジストーンのロードレーサーというのか、細身のタイヤである。
きわめて簡素な装備で、荷台もない。
普通、自転車で長距離走る人は、荷台に大きな荷物を積んでいるものだが、
それにしては、きわめて軽装だと思った。
どこか、荷物などを置いておくところがあって、そこで荷物を預けて、
その近くを軽装で走り回っているのかもしれない。
サイクリングをする人は、たいがい変な格好のサイクリング帽をしているが、
この人はあんなものは格好だけや、転倒したときに頭を打たんように
気をつけておけばよいと言われる。
「奥さんは、どうされているのですか。心配されてるでしょう」と聞くと、
「もう他界しました。子どもも独立しとるし、気楽な身分ですわ」と寂しそうに笑う。
「奥さんは、だいぶ前に亡くなったんですか」と聞くと、「いや、そうでもない」
と口ごもる。奥さんのことは話したくないらしい。
58歳で定年退職したと言われたが、今はたいがい60歳定年ではないのかと
疑問を感じたが、あえて聞かなかった。
58歳で退職して、それから家を出たとしたら、今の年齢64歳と計算は合う。
この人のパワーともいうべきものに感嘆した。
この人のパワーをもらおうと思って、握手をして、「元気でね」と言って別れた。
歩き出したわたしの横を、軽快に追い抜いて行かれた。
(この怪人の写真を撮っておかなかったのが、残念である)
さて、わたしは、また旧東海道を歩きながら、こんなことを考えた。
わたしなら、テレビのドキュメンタリー向けに、脚本を書いて、
テレビ局に、この話を持ち込むなと思った。
多少事実にメリハリをつけ、少々の誇張も許されるだろう。
奥さんの話をしたがらないというのは、そのことに負い目を感じているのでは
ないかと想像する。
そこで、こんなストーリーを考えた。
「奥さんが、腰が痛いと言い出したので、医者へ行っとけと注意した。奥さんは、
医者へ行った様子もないまま、いよいよ調子がおかしくなって、病院へ連れて
行くと、ガンと診断される。転移が進み、完全な手遅れである。
半年もたたないうちに亡くなってしまう。
「あのとき、すぐに病院へ連れて行けば、助かっていたかもしれない」
「もっと、気をつけてやればよかった」
「こんな早く死ぬなら、妻が行きたがっていた海外旅行へ連れて行ってやればよかった」
などなど悔恨することばかりである。
妻が死んだ後、なにもかもやる気を失い、会社も上司が慰留するのを振り切って、
早期退職してしまう。
妻との思い出が残る家には、つらくて、住んでおれない。じっとしておれない。
そこで、若いときからの希望だった自転車による日本一周を思いついて、
家を捨てて、家を出る。
北海道、九州の端まで行っても、高が知れている。
自転車に乗った浮き草暮らしである。
自分にとって、自転車で走るのは、どこかへ行く手段ではない。
自転車で走るのが、目的である。生活そのものである。
1万キロ走ったら、そこでまた、自分の人生のありようを考えることにしよう。」
というのが、わたしの想像で描いたそのサイクリストの生活である。
予科練の碑
第一岡崎海軍航空隊
案内板によれば
ここの航空隊では、飛行予科練習生の訓練をおこなって
即戦力として養成したとある。
延べ1600名の青年が入隊した。
訓練生は、全国各地の実戦航空隊へ巣立っていったそうである。
たぶん、その中で、戦死したものが圧倒的に多かったのでは。
ずっと、国道一号線を歩いてきたが、旧道の脇道に入ってすぐ
いよいよ岡崎の市街地に入る。
八丁蔵通り
右側の建物が、八丁味噌の蔵
八丁味噌の本社?
このあたりは、岡崎市内ウオーキングのコースに
なっているのか、それらしいたくさんの人に出会う。
広いメインストリートに面した古そうな商家
コンビニの前のある「本陣跡」の標識
旧東海道ウオーカーにとって
岡崎という街は、どうも好きになれないところです。
大平一里塚
岡崎の街をはずれ、次の藤川宿との中間あたりか
国道一号線をはずれ、また旧道を歩く。
こういう道になると、ほっと一息である。
もうちょっとがんばって、次の宿の藤川まで歩くか、
近くの名鉄電車駅まで歩いて終わりにするか
大して距離は変わらないので、ちょっと迷うところであるが、
美合駅の方が、名鉄の急行も止まるし、便利そうなので
美合駅へ向かった。
美合駅で、今日のゴールとした。
以上
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