平成17年12月31日  名鉄・竹鼻線須賀駅〜旧美濃路〜大垣

美濃路を2回目に歩いて、7月末途中まで歩いて、中途半端で終わっているので
今年中にけりをつけておこうと思って、残りのうち大垣宿まで歩いてきた。


名鉄竹鼻線須賀駅に降りて、歩き出したのが、午前9時15分。

この街道ウオーキングの参考書が、新川みのじ会「美濃路NOW」という本である。
ブックショップ「マイタウン」という本屋の発行である。
この本屋は郷土本をたくさんそろえている。
わたしが3年前に出した文集もここで印刷してもらった。

そのとき、「美濃路NOW」という本の存在を知ったので、美濃路をあらためて
歩き出したとき、この本を買った。
この本の付録として、国土地理院2万5千分の1地図がついており、
美濃路が太線で表示されているので、たいへん便利である。

特に今日歩くコースの一部が、土地整理のため、旧美濃路がなくなっているので、
どう歩けばいいのか、こういう資料があると、助かるのである。

地図を見ながら、旧道に入る。確かに、元街道という雰囲気がある。
こういう道を歩くと、今年一年のもやもやしたものが、吹き飛んでしまう気がする。
旧街道歩きの楽しみを思い出した気がする。気分が高揚しているので、
畑で仕事をしている人にも、話しかける。

それにしても、冷たい。岐阜県はさすが寒い。
畑一面に雪が残っている。
わたしの家の方でも、日陰になる屋根の上には雪が残っているが、
日中、日が当たるところでは、雪はとっくに解けている。
ところがこの辺りは、日が当たるところでも、雪が残っている。
それだけ温度が低いのであろう。とにかく寒いというより冷たい。



歩き出してしばらくして、境川という川にかかる橋の上から、網を投げて、
何かとっている人がいた。シジミでもとっているのかと思って、話かける。
橋の上から鯉を捕っているそうである。
橋の上から見ると、確かに40〜50センチくらいの鯉がたくさんいる。
「神さんに供える鯉を捕っとる。大きいやつはいかん、
小さいやつでないと」とそのご老人がおっしゃる。


橋の上からはうまくいかないのか、橋から降りて、岸へ移動する。
わたしもついて行く。鯉を捕るとき、写真を写そうと構えるが、
どうもうまくいかんらしい。

「岸から網を投げようとすると、逃げられるし、困ったな」と言われる。
「神様に供えるのなら、今日中に捕らんといかんでしょう」とわたしが言うと、
「頼まれただけやで、取れんかったら、買うてきたらええ」ということだった。
いつもでも付き合っておれないので、また歩き出す。



長良大橋を渡り、墨俣町に入る。この橋の上からも、墨俣一夜城が見える。
秀吉の出世話にちなんで近年にできた観光用のおもちゃのような城である。
この町の歴史資料館を兼ねていたように思う。

墨俣に入って気がつくのは、お寺の多いことである。
軽四輪車を洗っている老人に話しかけて、ちょっと雑談した。
寺町というところがあって、そこに立派なお寺が六つもあるということだった。


墨俣本陣跡

ここの本陣は、沢井家というらしいが、
明治に至るまで13代続いたと書いてある。



墨俣宿

史跡美濃路の標識あり


墨俣の町並み

古そうな店舗が続く




右側の建物が、旧脇本陣である。

現在も酒屋を営んでおられる。



廃業した元銭湯

銭湯の建物があったので、写真を撮る。今では閉店になっていると思われるが、
念のため、ちょうど出てきた近所の女性に話しかける。
「今でも、この銭湯は営業しているの」
「ずいぶん前に、ご主人が年をとられたので、廃業されました」
「しかし、皆さんのおうちには内湯があるでしょう」
「この銭湯が廃業になって、自分たちも内湯をつくったんです。それまでは、
銭湯にきてましたよ。墨俣には銭湯が2軒あって、遅くまで街がにぎやかでしたよ。
なにしろ、芸妓さんが300人もいましたからね。それが今では4〜5人になってし
まいましたよ」
「そうか、墨俣には花街があったんですね。花街があったのは、どの辺ですか」
「一夜城がある川の方です」


昔の花街の面影があるのなら、写真に撮っておきたいと思ったが、
これからまた、川の近くまで戻るのも面倒だと思って、写真はあきらめた。

その女性の話では、ここのおじいさんは、川の船頭をしていたそうである。
この長良川には、橋がなかったので、船が渡ったので、
その船頭をしていたとのことである。
しかし、船頭の収入では飯が食えないので、船頭をしながら農業をしていたそうな。

この家の辺りは、畑だったとか。その自分の家は、土間で作業をするので、
土間は大きいということで、今の家もそのなごりで、土間は広い。
その家をのぞかせもらったが、確かに車がゆうに入るくらい広い。
「車が入りますね」というと、「ええ、車を入れてますよ」といわれる。

しばらく雑談をして、また歩き出す。
こういう雑談をするのが、知らない土地へ行ったときの楽しみである。

もと、田か畑だったところに、大きなパワーセンタができていた。
道を間違えかけた。
リュックサックから、コンパスを出して、方向を確認して、西へ向かう。


歴史の道 鎌倉街道 美濃路
の大きな標識あり

鎌倉街道というのは、鎌倉時代にできた京都と
鎌倉を結ぶ道であるが、このあたりでは
美濃路とオーバーラップしているということである。


安八町史跡 照手姫ゆかりの観音堂

照手姫が夫婦の契りをした小栗判官を探して旅をして
この近くの結大明神で、再会の祈願をしたらところ
満願の夢かなって、会うことができたと伝説に関わりのある
観音堂

縁結びと安産の守り神




新揖斐川橋を越えると大垣市である。


大垣市内で見つけた美濃路の案内標識




旧大垣宿脇本陣の案内

この脇本陣は、「本町本陣」と呼ばれ、
130坪ほどの大きさのあった格式のあった
建物だったということである。



美濃路に面した銘菓店





「船町道標」




大垣市のシンボル・「住吉灯台」

水門川の水運盛んな時代、船町港の繁栄と安全を
願って建てられた。



美濃路に面して古い店舗が並ぶ。



「柿羊羹」の看板がかかった店

迎春用のお菓子を買いに来られた年配のご夫婦



大晦日の街と年配のご婦人



そこから、JR大垣駅へ戻る。

JR大垣駅着 2時5分 4時間50分 20.3km

以上

TOPページに戻る