平成15年4月19日
大阪府貝塚市、岸和田市、堺市

この日は大阪へ行く用事があり、友人と会う夕方までの時間をどうするか、
いろいろ考えたが、大阪府下の登録有形文化財を中心に、古い建物を
見に行くことにした。

11時過ぎに難波について、そのまま南海電車で貝塚へ向かった。貝塚で水間鉄道
に乗りかえ、終点の水間へ。

懐かしの水間鉄道
新婚当時、この電車で半年ほど毎日通勤した。
37年ぶりに、水間鉄道の電車に乗った。
当時、もっとおんぼろの電車だった。
きれいな電車になったものである。


水間駅
水間駅の駅舎(大正15年)が文化庁の登録有形文化財の登録を
受けているので、その写真を撮ってきた。
この駅舎を写真を撮るだけでは、わざわざ来るほどのこともないと思った。



折り返しの電車で、また貝塚に向かった。水間から3つ目の森駅で降りた。
この駅の近くの団地(府営住宅)に長女が生まれたころ、昭和41年の春から
秋まで半年ほど住んだことがあった。
せっかくここまできたのだから、その団地がどうなっているか、見たかったので
ある。

駅を出たところの道ばたで喋っている中年の女性に、「府営住宅はこっち
ですか」と右方向を指すと、「そっちでも行けるけど、こっちの方が一本道で分
かりやすいで」と反対の方向を言う。
一人のおばさんが、途中まで案内してくれた。
「団地に何か用でっか」と歩きながら聞くので、「いやー、三十年前以上前に
ちょっとだけ住んでたことがありますんや」と言うと、「それで今日はどちらから」と聞く。

「愛知県ですわ」「へぇそんなとこから。懐かしなってきはったんでっか」と
愛想がいいと言うのか、気安いというのか、これが大阪のおばさんのええところか。

「次の広い道を右へ行ったら、勝手に行けますわ」と言う言葉を受けて、
後は一人で団地に向かった。それらしい団地が見えてきた。
だんだん私の記憶がよみがえってきた。
4階建ての高層の府営住宅の他に平屋の住宅もあったなと思いだした。
そのとおりのものが残っている。もちろん住んでいる人がいる。




わたしたちが住んでいたのは一番奥の
4階建ての3階だったと思う。
この棟だったかと思うが、確信はない。

ばらく見て、駅へ向かうことにした。森駅ではなく、一つ貝塚よりの
駅へ出ることにした。
その当時、朝急ぐときは、玉ねぎ畑を横切って駅へ行った記憶である。
昔、玉ねぎ畑だったと思えるところはすっかり変わってしまっている。
もちろん玉ねぎ畑のかけらもない。新興住宅街になっていた。
当然と言えば当然である。
もう二度とこの地を訪れることないだろうと、なんとはなくセンチメンタルな
気になって電車に乗った。


南海電車 蛸地蔵駅

南海本線で貝塚から一駅乗って、蛸地蔵という駅で降りた。
蛸地蔵駅は大正14年築のちょっと変わった駅舎である。





五風荘(登録有形文化財、日本式庭園)




岸和田城


旧武家屋敷



自泉会館(登録有形文化財、旧岸和田紡績倶楽部、
昭和7年築、スパニッシュ風の洋風建築)

岸和田の紡績が、盛況だったころのなごりであろう。


同上の内部

小グループが演奏会をしていた。
岸和田市民のいろいろな催しに利用されているようである。



旧日本貯蓄信用組合岸和田支店の建物

向かいの写真屋さんに入って、
すこしこの信用組合の建物の話を聞いた。



寺田家(この辺りの名家、紡績実業家)の本宅



この建物も、元なんとか会館で古い建物だが、
今はなにかニュービジネスが入っていた。



紀州街道に面する町並み



活気に乏しい商店街が、この奥に伸びている。
土曜日の午後というのに、半分の店がシャッターを
下ろしている商店街である。

左側の帽子屋さんも、いかにも古そうな建物である。




岸和田駅前のアーケード商店街

この銀行の支店も閉店になっているようだった。

南海電車岸和田駅から大阪へ向かい、浜寺公園駅で降りる。


南海電車浜寺公園駅

南海電車は古い駅舎の保存に力を入れているようであるが、
この浜寺公園駅はその中でもピカ一である。

すばらしい建物だと思う。
その待合室といい、こんな駅舎がのこっているのも珍しいと思う。
一見の価値あり。



浜寺公園駅外観



ここからは、電車に乗らずに、次の諏訪ノ森駅まで歩くので、海岸の方へ向かう。


浜寺公園の交番

ちょっと面白い建物である。



阪堺電車 大阪・阿部野橋と浜寺駅、恵比寿橋から浜寺駅の
間を走っている路面電車。
しゃれた車両になっているのに、びっくりした。


南海電車・諏訪ノ森駅

諏訪ノ森の駅舎も、浜寺公園駅と同様、
登録有形文化財になっているが、こちらはちょっと物足りない。




それから阪堺線の船尾という駅まで歩く。阪堺線を10駅ほど乗って、
綾之町というところで降りた。

そこから東へ1キロ余り歩いて、浅香山病院を訪ねた。
この病院の西病棟というが、登録有形文化財に登録しているので、
その写真を撮り来たのだが、うまく写真が撮れなかった。

今でも精神科があるが、当時は閑静な場所だったのだろう。
元は精神病院だと思う。

そこからまた、だいぶ歩いて、JRの堺市駅へ行き、阪和線に乗って大阪へ向かう。


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