Last Updated 2010-04-20    
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Heiny-Meeder流 震災復興支援記

3月11日の大震災は、文字通り東日本を揺るがす大事態となりました。
被災された方々にお見舞いを申し上げ、一刻も早い復興をお祈りいたします。

は誰にでも言えること。じゃあ自分は何が出来るの? 否、何かしなくちゃ、と思い、行動に移す事にしました。


最新のトピックス 2010-04-24

第3弾(実施報告)

4月23日(土)夕刻、高久小学校、藤間中学校への支援物資のお届け、野球道具の寄付、藤間中学校での炊き出しは無事終了しました。

今回のスペシャルである炊き出しの結果は、「ごはん、カレー、ギョウザは全て完売!」大成功でした。

いろいろ思う所はありますが、とりあえず、やりきった感と疲れで何も出来ませんので、このひとことだけ。

ご協力いただいた全ての皆様に感謝。ありがとう!

 

2010-04-20

第3弾(実施決定)

4月23日(土)に第3弾を計画しています。

K-Doはなじみの店のお客さんから「現金支援」をいただいたらしい。

こいつもすごいな。

そして、被災地の子供たちに野球道具を届けたいと思案中。
(Special thanks to Ooashisyo Bisons!)


スペシャル!

炊き出しやります。

<とき>
2011年4月23日(土)18:00〜19:30

<ところ>
福島県いわき市 藤間中学校校庭(雨天時は軒下)

<メニュー>
・カレー(約100人分)
走熊のレストラン「グランデレガロ」のおいしいカレーです。

ご飯、皿、スプーンなどはご準備下さい。カレーソースのみの提供となります。
なくなり次第終了します。

楽しい炊き出しとなりますように。

 


第1弾 2011年3月27日

 報道では、新地町が大変な事になっている、との事で、まずは新地町役場の掲示板にボランティアの受け入れ可否を問い合わせ。
「ボランティアは町内在住者に限ります」との返信が返って来ました。

次に、いわき市にメールを送信。

あらかじめ、「昔在住しており土地勘はあります。」と書いたけど、「県外からのボランティアは受け付けていません」との返信でした。

しかし、どうもおかしい。

ツイッター等では「平競輪場でボランティア募集中」とかいう書き込みがたくさんあるし、「薄磯、豊間地区は全滅」という報道もある。
現地を見なけりゃ始まらない、という事で、3月27日(日)に「まあ行って見るか」というノリで平競輪場に行ってみる事にしました。

ノリは軽いが準備は慎重に。ガソリンは満タン+携行缶10リットル。これで航続距離は700kmを確保。
寝袋、カセットコンロ、水、食料、発電機を積み、朝5時に家を出発。

が、トラブル発生!
車内がガソリン臭い。。車を止めて携行缶付近をを見て驚いた。

「ガソリンが漏れてる。。」

古い携行缶なので、穴が空いていました。
穴の場所はタンクの底で、一番悪いところ。ガソリンは満タンで移し替える余地がない。
ガムテープで取りあえず穴をふさいで、窓を開けっ放しで走行。

しかし、ガソリンはガムテープを溶かすんです。

この車は1Lで15kmは走るので、早いところ160km走って携行缶を空にするしか手段はありません。

北関東道に入る。北関東道は段差が多く、途中1車線になる。ガソリン臭さの中、たぶんこの辺とあたりを付けた「友部PA」、「閉鎖中」でやんの。
たまらず、常磐道に入ってすぐの高速バス停にて給油する、が、全部入らない。何て燃費がいいんだ、この車は。嬉しいんだが参ったんだか。

日立中央PAで休憩。マスクをして空調も内気循環に切り替えて放射能対策。自衛隊の車両が頼もしい。





いわき湯本ICを降りていわき市内に入ると、全く車は走っていません。唯一、ガソリンスタンドには長蛇の列。それ以外はゴーストタウンと言ってもいい状況です。


鹿島街道。対抗車線の渋滞はGS行列。

平競輪場に行くと、一応「ボランティア受付所」が出来ている。

受付の方は、県外者である事を全く気にせず、「仕分け場所に行ってその辺にいる人の指示を受けて下さい。」という全く指示になっていない指示をしてくれました。

結局行った作業は、仕分けではなく「物資搬出の確認作業」でした。

この数日後、平競輪場に大量の物資が滞っているという動画がYoutubeにUpされ、Twitter等でもだいぶ書かれていました。
この件についてはあえてコメントしませんが、「事件は前線で起こってるんだ。」というやりとりがあった事は報告しておきます。

また、Twitterでは、現地を見たこともない連中が憶測を交えた無責任な書き込みをする、それをまた現地を見たこともない奴らが無責任にRTする、という事も起こっていました。
それ以来、Twitterでは「RTを除く」で検索するようにしています。



その日は15時で作業を終了し、「頑張って下さい」と別れました。

そして、海の方を回って帰りました。


<当日のメモ(勢いで書いたので感傷的になっちゃってますが。。)>

薄磯地区に入る、聞くところによると、この地区はほぼ全滅だという。

数年前、夏の海水浴で泊まった民宿の看板が目に入った。
看板のイラストは「楽しい夏」を思わせる、平和で幸せなものだった。

楽しかった夏の思い出が瞬時に蘇る。

青い空と海、何故かすごく旨かった海の家のラーメン、飽きるほどかかっていたサザン、
でも、すべてはもうない。

そして、俺は初めてこの震災で涙を流した。

車を降りる。数万もの人の命を奪ったとは思えない穏やかな、まぶしい海がそこにあった。

しばし合掌してその場を後にする。

その日の帰り道、「あと1日やりたかったな」と思いました。

物資の搬入・搬出管理はおろか、「どこに、なにがあるか」すら誰も把握出来ていない状況。

今の仕事とも関連している「倉庫管理」の考え方を取り入れれば、もっと全体の業務がスムーズに進むのに。
棚卸しはボランティア2〜3人で出来そうだ。Excelで検索も可能に。。思いは尽きない。

そして何より、物資を受け取った社会福祉施設の方の嬉しそうな顔が浮かんできました。

支援物資はまさに「命と元気をつなぐもの」であった事を実感しつつ、20時30分に自宅へ到着しました。

 

第2弾 2011年4月11日(書きかけ)

2回目のいわき訪問は「支援物資のお届け」。

はるばる福岡から送られた支援物資(Special thanks to K-Do!)を
江名小学校、高久小学校、藤間中学校に届けました。

さて、避難所のニーズについては、必要最低限の物は揃って来ており、「生き延びる」為の支援から、「暮らす」為の支援の方にフォーカスが移りつつあるようです。

実は今回喜ばれたのが、「酒とつまみ(かわきもの)のセット」。
避難されている方いわく、「飲みたい人は隠れて飲んでいる状況」だそうです。




その後、浜へ出て遺品探しのお手伝い。
しかし、これは超危険な作業でした。
がれきは釘だらけ、足下は不安定、梁の上にブロック塀が折り重なっているという本当に「メチャクチャ」な中、神経を張りつめて行う遺品探し。
遺族の方は「それでも」という思いで探しています。
一緒に探して、「アルバム」「年賀状」「ノート」を掘り出しました。
手紙の束を見つけて「○○さん宛です。」と読み上げた時、がれきの中を倒れかかるように急いで見に来た事が印象に残っています。
少しでも力になれて良かった。


平信用金庫 塩屋崎支店

車も悲しそう

 

第3弾(計画中)

4月23日(土)or24日(日)に第3弾を計画しています。

K-Doはなじみの店のお客さんから「現金支援」をいただいたらしい。

こいつもすごいな。

そして、被災地の子供たちに野球道具を届けたいと思案中。
(Special thanks to Ooashisyo Bisons!)

 

おまけ

Twitterで知り合いになった InnnerWoodの代表、木内さんのホームページ。
本日(4月17日)、いわきに行っています。

この人はすごい。
「いわきで小名浜から市役所まで『復興マラソン』を開催したい。」
とか平気で言っちゃう。

お店に行った時に盛り上がった「避難所居酒屋」ぜひやりましょう!

 

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