Last Update 99-05-03
Heiny-Meeder's Japan Tour
沖縄から帰って来ました。
これで、1道1都2府43県制覇と相成りました。そこで、今回はこれまでの軌跡を簡単にたどってみることにします。
予備知識
1.Heiny-Meederは鉄道オタクだった。
小学生〜高校生くらいまでハマってました。写真を撮るのも鉄道モノが多かったですね。当然の事ながら「いい旅チャレンジ20000km」にも参加していました。(途中で挫折)
今でも、「種村直樹ファンクラブ TTTT」を購読しています。2.旅は道連れ
これだけいろいろ行くと、けっこう出会いがある物です。印象に残った出会いを書きとめておきます。
3.「行った」ということ
「行った」という意味は、「街を歩いた」という意味です。特急などに乗って「通過した」だけではありません。
また、「県庁所在地」等のシバリは設けていません。あくまでも「その県に行ってそこを(30分でも)歩いたか」を判定基準にしています。4.実名記述
今回に限り、実名(または実名に近い仮名)を使用しています。これは、極めて個人的なレポートである、というのは表向きの理由で、実名で書いた方がいろいろ思い出すという不思議な現象からです。
ま、ここに出てくる人物は実名を使用したからといって怒る人はいないだろうしね。もし迷惑だったらメールください。
●、★、■などはシリーズ物です。連続して読むと中身がわかると思います。また、参加諸氏のレポートもお待ちしています。
都道府県名 | 年代 | 手段 | コメント | |
1 | 北海道 | 大 | 鉄 | 最初に行ったのはJR東日本フリーパス。函館でラーメン食べて帰った。 その後、小学生からの友人、根本とレンタカー旅行、マイカー旅行でほぼ一周した。 |
2 | 青森 | 大 | 車 | 黒石線に「前田屋敷」という駅があり、マイカー旅行で北海道に行く途中寄った。 |
3 | 岩手 | 大 | 鉄 | 盛岡の駅前を散策。何回か行ったはずだが、いまだに「わんこそば」は食べていない。 |
4 | 秋田 | 大 | 鉄 | JR東日本フリーパスで、函館の後夜行の青函連絡船に乗り、秋田へ。男鹿半島を散策。 |
5 | 宮城 | 大 | 鉄 | 大学の友人、「千葉さん」の実家。 |
6 | 山形 | 高 | 鉄 | 奥羽線のスイッチバックを見に行った。磐梯山にも登った。 |
7 | 福島 | 高 | 鉄 | いわきに4年間住んでいた。今でも毎年6月、大学のメンバーで檜原湖畔でキャンプをしている。 |
8 | 茨城 | 中 | 鉄 | 水戸線の雑型客車(古い客車、茶色や青に塗られ、ドアを手で開ける車両)に何度も乗りに行った。 |
9 | 栃木 | 中 | 鉄 | 烏山線に乗りに行った。確か「チャレンジ20000km」はここが第一踏破区間だった。 |
10 | 群馬 | 中 | 鉄 | これも雑型客車関係。高崎行きに乗り、写真を撮った。 |
11 | 新潟 | 中 | 鉄 | 種村直樹さんの本で有名な「土合」に行った。数百段の階段もさることながら、列車が来る時の風が強かった。 |
12 | 埼玉 | 2歳 | 歩 | 住んでます。 |
13 | 東京 | 0歳 | 歩 | 生まれは杉並区高円寺。 |
14 | 千葉 | 中 | 鉄 | 木原線に乗りました。 |
15 | 神奈川 | 中 | 鉄 | 「東京近郊区間内一筆書き」で、鶴見線に行った。 「東京近郊区間内一筆書き」とは、当時の規約(今はどうだか不明)に、大都市近郊区間内の移動における経路指定がなかった為、隣の駅まで行くのに延々12時間もかけて一筆書きしても違法ではなかった。しかし、これも完全に合法とも言えず(早い話が人によって解釈がまちまち)、別の日に行った友人Sは、浜川崎の駅で正規料金を取られた。 |
16 | 山梨 | 中 | 鉄 | ●根本とSの3人で中学校の卒業旅行(ナマイキ)。「青春18のびのびきっぷ」で夜行鈍行連泊に挑戦。初日は中央夜行733Mだ(当時:以下同じ)。 |
17 | 長野 | 中 | 鉄 | ●飯田駅で飯田線に乗り換え、二日目。佐藤が写真を撮っている間においてきぼりを食らった。私はそれを阻止しようとドアに手を挟んだが何せ旧型車両(80系?)、トルクリミッターなんてないから締め付けられるぅ。もがいている私に根本は笑っている。次の駅でドアが開き、根本につめよると、「踊っているのかと思った。」そんな奴いるか! また、東京高専の友人、入倉と根本とでスバル・ジャスティーをレンタルし「ハレー彗星ツアー」もやった。 また、佐久市の「野沢北・南高校の文化祭が見たい」と「ときめきの恋列車」のノートに書いたらパンフレットが送られて来て感激。 長野に関しては書く事がすごく沢山ある。気が向いたら別の機会にでもまとめよう。 |
18 | 静岡 | 中 | 鉄 | 根本の実家。去年プリウスで訪れた。ちなみに、磐田市は高校の時つきあっていた「理恵」ちゃんの生まれた土地でもある。「彼女の生まれた街が見たい」などとヨタを言い、天竜川のほとりで感慨に耽った。卒業後数年して、同窓会をやったら彼女はすでに結婚していた。今頃どうしているのやら..。 |
19 | 富山 | 大 | 車 | 鉄道では中学の時に行っている。大学の頃、根本とバイクバカ高橋との3人で私の車(カリーナ1600GT[TA45])でツアーを敢行。私の車で山道を飛ばす高橋に「やめろぉぉぉ〜」などと叫んでいたら後席の根本が一言。「お前の運転と変わんねーよ」 |
20 | 石川 | 大 | 車 | 根本と能登半島ツアーに行った。二人ともパチンコづいていて、旅費及び飯代をパチンコで稼いだ。「ビッグシューター」がお気に入りだった。 |
21 | 福井 | 小 | 鉄 | 小学校の頃、「山陰ワイド周遊券」を使い、小浜まで行った。 |
22 | 愛知 | 大 | 鉄 | 東海道夜行347Mで出会った兄弟、「田辺 大樹」と姉と仲良くなった。数年後、「名古屋デザイン博」の行きがけに彼の家に行った。彼のお父さん(漆作家である)から何度か個展のお誘いを受けたが行けなかった 。これが非常に残念である。もし次回があるのなら、どんな事をしても行こうと思う。 |
23 | 岐阜 | 中 | 鉄 | 東海道夜行347Mの終点は大垣である。時間つぶしに結構街を歩いていた。 |
24 | 三重 | 中 | 鉄 | ●当時の時刻表では中央夜行−飯田線−夜行鈍行「南紀」はつながらなかったハズ。そこで名古屋から四日市まで名鉄の特急を使った。3人で「これは推理小説のネタに使える」などと言っていた。 また、会社の研修生、南川さんの家でもあり、会社の同期3人で行った「■山陽ツアー」の時にお世話になった。 |
25 | 和歌山 | 中 | 鉄 | ●「南紀」は新宮で何時間の停車した(ハズ)。で、街中をぶらぶらした。 |
26 | 滋賀 | 中 | 鉄 | 信楽線に乗った。 |
27 | 京都 | 小 | 鉄 | 小学5年生の頃、東海夜行と山陰夜行鈍行「山陰」を使った一人旅をした。 親が東京駅まで送ってくれたがよくも許した物だ。しかし、心の中では「自分の息子もそう言い出す頃が来るんだろうなぁ」と心待ちにしているのも事実である。 12時間以上の待ち時間の間、京都の寺を片っ端から歩き回った。 |
28 | 奈良 | 中 | 鉄 | 中学の頃の修学旅行だった。 |
29 | 大阪 | 高 | 鉄 | 高校の頃、「どうも俺には大阪の方が合っているようだ」と感じて大阪の大学を受験するも失敗。 その時親戚の由美さんに案内された「新世界」には大阪に行く度に通っている。 |
30 | 兵庫 | 中 | 鉄 | 三ノ宮に親戚がいる。また、妻と二人で宝塚にある会社の保養所に泊まった。 |
31 | 岡山 | 社 | 車 | ■「山陽ツアー」二日目の宿は岡山だった。岡山城公園の駐車場にテントを張り就寝、起きたら周りは観光客だらけだった。 |
32 | 広島 | 社 | 車 | ■「山陽ツアー」の目的地、大崎下島へは尾道からフェリー。好きな映画「転校生」の舞台でもある。狭い路地から街を見下ろした時の眺めは忘れられない。 ■大崎下島では、つりをやった。 入れたら数秒でまさに入れ食い状態。最後には、餌ナシでも釣れた。前にも後にも、こんなメチャメチャな釣れ方はなかった。 ■大崎下島では、みかんを栽培していた。落ちたみかんを拾って食べたらすごく美味かった。 |
33 | 鳥取 | 小 | 飛 | 小学生の頃、米子空港から全日空のYS-11で帰った。しかし、YS-11ってまだ現役なのね。沖縄へ行く時、ANKのYS-11が離陸する所を羽田で見ました。 また、倉吉線にも乗った。 |
34 | 島根 | 小 | 鉄 | 母方の実家が大社町にあり、一人旅もここへ行く為である。当時、大社線に乗り入れていた寝台急行「だいせん」の寝台を一両全部畳んだりした。20系のベッド解体は結構大変。いい迷惑だったろうなあ。ちなみに、現在は大社線も廃止になった。 出雲市駅で、当時小学4年生の「角銅 裕二」と会う。住所を交換し、その後、何度かお互いの家を行き来した。彼とは、必ず再会すると約束して、もう10年以上経つ。 |
35 | 山口 | 中 | 鉄 | SL「やまぐち号」に乗った。 また、厚狭駅構内に20系の食堂車「ナシ20」が留置されており、佐藤と探検したりもした。 勿論、犯罪行為であるがもう時効である。また、我々は型式プレートやら備品やらは決して持って行かなかった。一応プライドという物があったのと、「もう現役では乗る事の出来ない車両の中にいる」という事だけで満足だったのである。 |
36 | 香川 | 中 | 鉄 | ●「南紀」の後、大阪から岡山を経由して宇高連絡船、四国夜行735Dへ接続。根本とは岡山で別れたのでここからは佐藤と二人だった。連絡船の讃岐うどんは本当にうまかった。話がごちゃ混ぜになってしまうのでここで書くが、735Dに乗り、行き違う上りの四国夜行に乗り換え(単線なのでどっかの駅で必ず行き違う)、翌朝高松に着いた。やはり夜行3連泊はきつい。私と佐藤は 九州夜行「ながさき」に乗るのをあきらめ、岡山−姫路間を新幹線で移動し、大垣発の東海道夜行に乗って帰った。しめて0泊5日(車中4泊)。後で聞いたら、根本は仁堀連絡船回りでホテルに泊まったらしい。当時は、「中学生でホテルなんて生意気な」と思ったが、今考えれば旅行に出るだけで充分ナマイキである。 |
37 | 徳島 | 大 | 車 | ▲根本と四国ツアー。高松からレンタカー。BGMはバービーボーイズと杉真理。確か春休み。徳島で昼食をとった。 |
38 | 高知 | 大 | 鉄 | 名前も忘れた小さな駅で途中下車。魚屋の店先で「カツオのタタキ」を頼み、近くの公園で食べた。これは絶品で、やはり本当に美味い物は大金積んでも手に入らない。その場所でその季節の物を食べるのが一番美味い、という事を認識した。 そういえば、「牛丼の中野屋」は高知駅前じゃなかったっけ。 |
39 | 愛媛 | 大 | 車 | ▲国道沿いに怪しげな看板。「山の土無料!無断採土OK」
中に入ると、ご丁寧にカギのついたままのユンボが置いてある。「そんなに持って行って欲しいんだ」と感動した。 ▲松山近辺の丘の上から見た瀬戸内海。春の訪れを感じさせてくれるような空気は最高だった。その時にかかっていたのが杉 真理の「サブリナ」。この時から、毎年春になると、杉 真理が聴きたくなるのだ。 |
40 | 福岡 | 浪 | 鉄 | 角銅とは中学生の頃お互いの家を行き来した。再会は★「東京高専の卒業旅行」に混ざった時、二人で夜明けまで飲み明かした。その時言った、「わしゃー、広井哲夫が好きなんじゃ」の言葉通り、奴は今、アメリカにいるらしい。 角銅と二人で筑前地方のローカル線に乗り、駅で写真を撮っていたら、運転手が手招き。 一駅だけ運転台に乗せてくれ、DE10の運転もさせてもらった(マスコンを2,3ノッチ動かしただけだけど..)。今になってあの運転手の気持ちがわかる。俺も歳をとったなあ。 |
41 | 佐賀 | 中 | 鉄 | 九州夜行「ながさき」で佐世保に行った後、唐津線を回った。 |
42 | 長崎 | 高 | 鉄 | 長崎には行っていない。佐世保に行った。「長崎シティセレナーデ」は好き。いつか、じっくり散策してみようと思う。 |
43 | 熊本 | 浪 | 車 | 当時、門司港−西鹿児島まで夜行急行が2本あった。鹿児島本線回りの「かいもん」と日豊本線回りの「日南」である。この二本と九州ワイド周遊券さえあれば、何日でも宿には困らなかった。 「かいもん」車中で京都の大学生「協子」さんと出会う。当時珍しかった女性の鉄研部員。住所を交換し、数度手紙を書くが音沙汰なし。住所がすごーく堅そうな所だったのできっとばあやが捨てたんだと勝手に推測。 ★「東京高専の卒業旅行」のハイライト、自由見学は熊本からタウンエースを借りた南九州巡り。最初のポイントは阿蘇山だった。 確か熊本駅周辺には当時「1泊千円」の旅館(?)があった気がする。どういう宿かは不明だが夜行続きでぼーっとした頭で「俺、何やってたんだろ..。」と途方に暮れた。 |
44 | 大分 | 浪 | 車 | ★阿蘇山の次は、大分に行ったか延岡に行ったか憶えていない。ただ、この辺はコンビニといえば「SPAR」だった。九州各地の「SPAR弁当」は、我々の貴重な栄養源になっていた。 |
45 | 宮崎 | 浪 | 車 | ★宮崎といえば、フェニックスですかね。次の鹿児島があまりにもショッキングだった物でよく憶えていないんです。 |
46 | 鹿児島 | 浪 | 車 | ★タウンエースで走行中、側道から軽トラがノーブレーキで突っ込んで来た。軽トラは私の席の横をすり抜け、タウンエースの後部に激突。まるでトマホーク・ミサイル。もうちょっと軽トラが早かったらと思うとぞっとする。本当に危なかった。車から降りて来たのは酒臭いオヤジ。昼間から酒飲むなぁ〜。 ★事故のショックからか、入倉はこの後銭湯の駐車場で車をぶつけてしまう。これは、完全な自損事故なので、免責金を払うことになった。(最初のは免責金まで先方が払う事になっていた) ★その夜、日石喜入基地の横で車を止めたら監視の車にサーチライトで照らされた。ゲリラだと思われたのだろうか。 「日南」の車内で、ホモの男に声をかけられた。最初はわからなかったが、到着後西鹿児島で銭湯に行こうと言う。そして、風呂場で太ももの内側をさわられた。怖ぇ〜、今思い出してもゾッとする。 |
47 | 沖縄 | 社 | 飛 | ということで、1999年4月28日、全県制覇を達成しました。ここまで読んでくれてお疲れさまです。 |
書き終えて
こうやってみると、よく行ったもんだ。小学校の時分から出かけていたのね。親に感謝しなくてはと思った。
文中にも書いたけど、自分の息子が「行く」と言い出したらきっと喜んで送り出すんだろうなあ。種村直樹さんの本、頼まれもしないのに買って来たりして..。それにしても、よく憶えているなあ、と我ながら思った。書いている途中はほとんどタイムスリップ状態。楽しいひとときでした。
悲しくなった事が一つ、何か、人間がだんだん小さくなって来ているような気がする。
昔は、高橋から「カレー作るから来いよ」などと言われれば、夜中車を飛ばしていわきから東京まで行くなんてしょっちゅうだったし、もっと昔は博多なんて、本当に近いもんだった。
東海道夜行に乗れば、青春18きっぷ一枚で博多まで行けたのだ。それは今も変わらないはずだけど、九州ははるか遠くにあるような気がする。
もういちど、あんな事が出来るのだろうか?これから、どうしようかな。書いていくうちにまた行きたい所がかなりあることに気付いたし、このままじゃ終わらないだろうから、またムチャをしようかと思う。