周防内侍

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事跡: 
 生没年未詳。
 寛仁年間(1017〜1020)ごろの生まれか。
 後冷泉天皇代(1045〜1067)に初出仕。
 治暦4(1068)年4月、天皇の崩御により宮中を退出
 後三条天皇(〜1085)に再出仕し、以後白河、堀河天皇にも仕えた(後拾遺集。雑一)。
 寛治7(1093)年郁芳門院媞子内親王根合に出詠
 嘉保元(1094)年前関白師実歌合に出詠
 康和2(1100)年備中守仲実女子根合に出詠
 康和4(1104)年堀河院艶書合に出詠
 天仁元(1108)年以後、病のため出家、程なく没したらしい(江帥集)。

 平安後期の女流歌人。本名仲子。父は和歌六人党の一人、平棟仲。母は加賀守源正軄女。 従二位親子、顕輔、通俊らと親交があり、清書前の『後拾遺集』を披見する機会を得た(家集)。生来の歌才は長い宮廷生活でさらに磨かれ、洗練された優雅な調べの中に、知的抒情を秘めた歌風を形成した。家集に『周防内侍集』がある。

 『周防内侍集』の現存伝本は、@冷泉家本、A桃園文庫旧蔵本(私家集大成2所収)、B東山御文庫本(桂宮本叢書10。58首の残欠本)が知られるが、すべて同一系統。Aによれば歌数96首。雑纂形態で、自、他撰の区別も判然としないが、詞書に回想的筆致が認められ、晩年の歌が見えないことなどから、いちおう自撰と考えられている。

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