郁芳門院安芸

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事跡:
 寛治3(1089)年8月、対皇太后宮寛子扇歌合に出詠
 寛治7(1093)年5月、郁芳門院女是子内親王根合に出詠
 嘉保2(1095)年8月、鳥羽殿前栽合に出詠
 康和4(1102)年閏五月、堀河院艶書合に出詠
 
 安芸守従四位下藤原忠俊女。待賢門院安芸とも。
 若いころから白河皇女郁芳門院(媞子内親王)に仕え、後に鳥羽院后待賢門院(康和3〜久安元)に出仕し、晩年、久安百首の作者に加えられた。家集に『郁芳門院安芸集』がある。金葉集初出。

 『郁芳門院安芸集』の伝本は、宮内庁書陵部蔵二本など。桂宮叢書10・私家集大成2に所収。歌数46首(うち連歌4首)。うち、師時、国信、堀川、斎院大弐など、贈答による他人歌8首2句を含む。部立はないが、はじめに春夏秋冬の順で15首を配し、あとは贈答を中心とした雑纂である。成立は集中の人名呼称などから、嘉承元(1106)年3月〜嘉承2(1107)年7月の間の自撰と推定される。

 

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