藤原為頼

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事跡:
 天慶4(941)年ごろ、出生
 康保年間、このころ三条中納言朝成とともに摂津へ下る
 安和元(969)年8月13日、東宮少進
 天禄元(970)年1月7日、春宮大饗にて東宮御給により従五位下
           12月16日、安芸権守
 天延元(973)年10月18日、東宮権大進(このとき春宮大夫・源延光、亮・藤原済時)
 貞元2(977)年8月16日、東宮大進として左大臣頼忠家歌合に出席
 天元元(978)年2月2日、左衛門権佐(このとき左衛門督・源重光、左衛門尉・藤原宣孝)
 天元3(980)年1月7日、佐の功により従五位上
 天元5(982)年12月2日、御脇息を尋ね出し禄を賜る
 永観2(984)年11月5日、縁あるにより、章明親王女済子女王の斎宮卜定を伝奏
 寛和元(985)年1月21日、丹波守
           11月20日、正五位下
 寛和2(986)年9月29日、円融院の石山寺御幸に陪従
           10月10日、造東大寺石功により従四位下に叙す
 永祚元(989)年7月18日、前丹波守、実資を訪問
 正暦元(990)年7月15日、実資の女児死去に際し弔問
 正暦3(992)年12月5日、摂津守に任ず
 長徳2(996)年3月14日、太皇太后宮(冷泉皇后昌子内親王)亮を兼任
           5月18日、小野宮(実頼)御忌日の供養に出席し詠歌?
 長徳4(998)年、7月27日、妻(上毛野公房女?)没
            この年10〜11月ごろ、没
極官:従四位下

 家集『為頼集』があり、歌人。拾遺集以下勅撰集に11首採られている。  

 

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