藤原為信

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事跡:
 承平5(935)年ごろ、出生
 康保元(964)年2月5日、蔵人所雑色として為平親王使を勤め鮮雉一翼を献上
 康保2(965)年1月17日、六位蔵人に補す
           7月29日、左近衛府擬近衛奏を奏す
           8月6日、明経博士以下の名簿を奏す
 安和元(968)年、従五位上、越後守で病悩中
 天延元(969)年、越後守見任
 天禄2(971)年、妻の甥、宮道弘氏に越後守を譲り帰京?
 天元元(978)年、右近衛少将、検非違使宣旨を蒙る
 寛和2(986)年、常陸介で8ヶ国の押領使を兼任
 永延元(987)年1月10日、出家(このあと没の説あり)
 長徳2(996)年3月28日、父文範、没するも存命?

 
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家集『為信集』は同名異人の作品?

 『為信集』という家集があるが、この「為信」が紫式部の祖父なのかどうか、学説が分かれている。池田亀鑑が肯定するも、岡一男・今井源衛などは否定している。主な根拠は詠歌年次からみて紫式部の祖父の為信の活躍した時代と年代的に合わないこと、地方官の経験があるはずなのに、家集の中には地方での詠歌が見えないこと、など。

 

 

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