事跡:
安和2(976)年ごろ、出生
寛弘6(1009)年1月10日、雑色に任ず
長和元(1012)年秋ごろ、右兵衛尉に転ず?
長和2(1013)年11月9日、梅宮神馬使となる
12月9日、侍従に道長の消息を伝える
長和3(1014)年4月15日、右兵衛尉
長和4(1015)年4月15日、吉田神馬使となる
寛仁元(1017)年8月7日、春日奉幣使となる
寛仁3(1019)年3月晦日ごろ、惟通旧妻宅に強盗入り、惟通女焼き殺される
7月13日、常陸介の任功により加叙
寛仁4(1020)年秋ごろ、没?
閏12月26日、「故常陸守惟通朝臣妻、強姦彼国住人散位従五位下平朝臣為幹、縁惟通母愁被召」
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