紫式部の伝記を含み、一般に入手しやすいもの、入門書的な内容のもの等を掲載。
★が多いほどおすすめ。
★★紫式部 −その生活と心理− 角川新書
神田秀夫・石川春江 角川書店 S31
紫式部が『源氏物語』をどうして書くことができたのか、を心理学的に考察する。宮仕え中の式部の生活圏を現実の社会(公的な儀式の場)、私的な現実(朋輩や主人との交流など)、思考の世界、表現の競争(他の女流歌人たちへの反発)の四つに分類、その間で揺れ動く式部の心理状態を探る。紫式部の外面的なことにはほとんど触れず、ひたすら精神構造の解明に切り込んでいるのが特徴的。
★平安時代の女流作家 日本歴史新書
山中裕 至文堂 S38
第四章に「紫式部の宮仕えと源氏物語」「藤原道長の栄達」「紫式部の晩年」がある。越前下向ごろから、寡居生活、宮仕え、そして死と、式部の生涯をたどる。式部の人生のその時々における状況と『源氏物語』の執筆が不可分の関係にあることを、特に宮仕えの実態と道長との関係に重点を置いて詳述する。
人物日本の歴史 第3巻 王朝の落日
川崎庸之ほか 読売新聞社 S41/6
夫の宣孝と死別して悲しみにひたるだけでなく、その悲しみがどこからくるのか、考えたところに紫式部らしい思考が始まった、とする。物語を書き交わす友だちとも次第に話が合わなくなり、孤独を深めた式部は人間の心の動きを一人で考えるようになる。その思考を表現するために『源氏物語』を書いたのだ、と。宮仕え後も人の心や目の前にある現実を観察することは続き、それらを物語に織り込みながら書いていった。だから『源氏物語』はきれいごとだけの、政治抜きの世界だとは言えない、という。
源氏物語の世界 新潮選書
中村真一郎 新潮社 S43
紫式部の生い立ちや環境に触れた記述がある。どのような体験、思考を経て『源氏物語』を書くに到ったか、あくまで作品を書くことと不可分の式部像を描く。紙数が少ないのであまり詳しくない。学者グループの考察なども、表面的、一般的。
源氏物語 岩波新書
秋山虔 岩波書店 S43
紫式部が『源氏物語』を書かねばならなかった動機について、一般には夫宣孝との死別が原因だとされているが、そうした経験は契機に過ぎないという。父親に惜しがられた才能と、実人生における不安と絶望は、式部に人間の持つ普遍的な問題を考えさせ、書かせることになった。
★★★紫式部
清水好子 岩波書店 S48/4
『紫式部集』を中心に、紫式部の生涯をたどる。わかりやすい解説につい引き込まれて読んでしまうが、諸説ある解釈などはきちんと自説が述べられていて、専門的。
日本の女性史2
平安才女の哀楽 和歌森太郎・山本藤枝 創美社 S49
(文庫版 花かおる王朝のロマン
日本の女性史 集英社文庫 和歌森太郎・山本藤枝
集英社 S57)
娘時代、結婚前後、宮仕えと紫式部の生涯を追う。宣孝との死別がなく、そこそこ幸福な人生であったとしても、『源氏物語』は生まれていただろうとする一節は、執筆の動機や時期を探る上で重要な示唆。宮仕え後に関しては、『紫式部日記』を単なる宮廷の女流日記ではなく、式部の精神生活の記録だとし、日記を引用しながら憂愁や孤独を抱えた式部の心を描き出す。
人物探訪 日本の歴史2 王朝の貴族
坪田五雄 暁教育図書 S50/9
執筆は田辺聖子。”「源氏物語」の世界”と題し、『源氏物語』の意義を探るにあたり、宮仕え以前の寡居生活をしていた式部には、結婚はしないまでも近しい男性がいたのではないかと推測する。根拠は物語の中に男性的発想が頻出することで、その男は式部の共同執筆者というよりは、式部を心の中で支える存在であり、ときには物語執筆について相談するような間柄であったかもしれない、とする。興味ある推論。
人物日本の女性史1
華麗なる宮廷才女 青木生子 集英社 S52
「紫式部」の執筆は杉本苑子。『源氏物語』執筆の主な動機を、当時の政治状況−権力闘争の空虚さや、道長ら権門が政権を掌握することで受領の地位が相対的に低下してしまうなど−からくる時代の閉塞感だとしている。また、式部は道長に批判的な態度を取り、ついには宮仕えまでもやめたとする説を採っている。
NHK歴史と人間5 日本放送協会編 日本放送協会 S53
村山リウの対談(聞き手は三国一朗)。
図説 人物日本の女性史2
王朝の恋とみやび 山本健吉ら 小学館 S54
紫式部という人は生来、世の中を冷静に洞察してしまう癖があり、そこから生じる憂愁は『源氏物語』を書くことでしか昇華できなかったのではないかという記述がある。
日本を創った人びと5 紫式部 宿業を生きた王朝の物語作家 秋山虔 日本文化の会編集
平凡社 S54/9
『紫式部日記絵巻』や紫式部ゆかりの土地、史跡などの写真入りの大判の本は見て楽しめる。その分活字が少なく、また内容の半分は『源氏物語』解説に割かれているので紫式部伝としては少々物足りない。
日本の思想 上 新日本選書 碓田のぼる他 新日本出版社 S55/10
「紫式部」の執筆は南波浩。『紫式部集』研究の第一人者であるだけに、『紫式部集』や『紫式部日記』の本文を引用して紫式部の仏教観などを語る。
紫式部 藤田孝範 東京堂出版 S55
作者はもと医者という経歴の持ち主。内容は10世紀後半の政治状況から紫式部の伝記、『紫式部日記』や『栄花物語』の式部、式部と関わりを持った人々(道長、一条天皇、彰子、和泉式部など)等、それぞれかなり細かく言及されている。
源氏物語紙風船 田辺聖子 新潮社 S56/10
天雨法華 西野妙子 国文社 S57/7
紫式部 「−篝火のまばゆきまでも−」
★★★人物叢書 紫式部 今井源衛 吉川弘文館 S57/7
一般向け紫式部の伝記としては最も充実した内容で必読の書。専門書並み。
平安の春 講談社学術文庫
角田文衛 朝日新聞社 S58/4
「紫女と清女」という項目に、紫式部の生涯がまとめられている。式部の住んでいた邸、「若紫」の巻の北山、式部の墓について、などの考証は綿密になされているが、式部の内面についてはあまり掘り下げていないように思われる。宣孝との結婚生活は円満で「幸福に恵まれた」、道長の妻妾となり「庇護を受けた」、『源氏物語』の評判は高く「晩年は倖であった」と、いずれも簡略な記述で済ませている。
源氏物語の謎 三省堂選書98 伊井春樹 三省堂 S58/5
『源氏物語』と紫式部の生涯について、現在も謎とされている数々の疑問を考察する。式部は物語を書くとき、娘を読者として想定していたため、「若紫」の巻から書き始めたという推論は説得力がある。また、道長は当時の『枕草子』の高い評価に対抗意識を燃やしており、そのため紫式部の『源氏物語』執筆や書写を援助していたというのも肯ける。
紫式部とその夫 米山千代子
金剛出版 S59
「紫式部とその夫」の章では、宣孝が光源氏のモデルの一人として重要な位置を占めるとしている。「なでしこの花」では、紫式部集の「なでしこの花」の歌が閨怨の歌ではなく、娘賢子を詠んだものであると気付いた話を掲載。「紫式部とその娘」では賢子の生涯について述べる。
小町盛衰抄 歴史散歩私記 文春文庫
田辺聖子 文藝春秋 S60/1
根拠はないが、と前置きしながらも、紫式部には宣孝との結婚以前に破れた恋があり、そのため越前に下ったのではないかという推測をしている。
日本史探訪5 藤原氏と王朝の夢 角川文庫
角川書店編 角川書店 S61/10
円地文子と中村真一郎の対話。紫式部が女流作家となった要因の一つは、父親に育てられ、女でも精神的に独立して生きていくことを早くから教えられたためではないかと推測している。また、『源氏物語』が女性の地位が向上した第二次大戦後にようやく本当の現代文学として読まれ始めたことを指摘する。
新版 源氏物語入門 松尾聡 筑摩書房 S33/6
「紫式部という人について」という章がある。
めくるめく王朝の女 日本女性史1
笠原一男編 評論社 ?
紫式部についての記述は数ページ。「さかごと(逆言、親より早く死ぬなど)」について述べ、紫式部には終生父親の庇護があったことが、彼女の精神に大きく影響を与えたとしている。
★王朝の女流作家たち 世界思想ゼミナール 世界思想社教学社 H2/6
紫式部の節の執筆は久保朝孝。宣孝との結婚は当時の適齢期からは遅すぎ、式部は一度結婚したことがあったと考えるのが自然であるとする。為時の官歴から言っても、「越前」ではなく「式部」を使った女房名が採用されており、これは中宮彰子に仕える以前に宮仕えの経験があり、そのときすでに藤式部などと呼ばれていたせいだとする。宣孝以前の婚歴について書かれることは少ないが、追及すべきテーマかもしれない。
枕草子・紫式部日記 新潮古典文学アルバム7 鈴木日出男・中村真一郎 新潮社H2/6
10ページほどの「紫式部の生涯」の中に、「式部にとっての物語制作は、もう一つの現実世界に生きるぐらいの意味をもっていた」という一文がある。『源氏物語』はそれほどにたしかな現実を感じさせる作品と位置づける。
紫式部のメッセージ
駒尺喜美 朝日新聞社 H3
紫式部が『源氏物語』を書いた目的は、女の不幸を描くことにあるという。紫の上や宇治の大君の苦悩は、女は結婚によって幸福になることはできないという式部のメッセージなのである。だから光源氏は理想の男性などではあり得ず、女の扱いの酷さを(ただ浮気をするだけではなく、人として認めていないという意味で)筆者はことごとくこき下ろす。むろん、紫式部は同性愛者だそうである。式部がそこまで男性不信だったと断言できるかなという気はするが、式部は光源氏を理想の男性として書いた、という通念を打破しているとすれば貴重な意見。
★★★日本の作家12
紫式部 稲賀敬二 新典社 H3/10
『源氏物語』に関する研究は厖大だが、まるごと一冊紫式部の伝記という本は少なく、この本は貴重。
女たちの源氏物語 光源氏を愛した十四人の女性像 光文社文庫
西沢正史 光文社 H4/11
主な内容は、光源氏をとりまく女性たち14人を取り上げ、それぞれの愛のあり方を考察するというもの。プロローグで『源氏物語』を「愛の可能性」から「愛の不確実性」、「愛の絶望性」へと変化する物語だと言っているが、それが紫式部の実体験とどの程度関わっているかまでは言及されていない。
平安の花 歴史に咲いた女たち
石丸晶子 H4/6
紫式部ほか、歴史上の女流作家たちに著者がインタビューするという形式で書かれている。長和三年、宮仕えを退いて鴨川べりの実家に暮らす式部のもとを訪れた著者は、式部から宮仕え生活への不満や結婚生活の不幸を切々と訴えられる。脚注に懇切丁寧な解説付きなのはいいが、光源氏を女の永遠の理想像とするのはいかがなものか。
陰鬱な印象を与える。
★★紫式部の恋
近藤富枝 講談社 H4/12
『源氏物語』の執筆には紫式部の父為時が、また玉鬘系の巻に入ると弟惟規も参加しているのではないかと推論。式部の恋人は具平親王だったのではないかという仮説が提示される。具平親王だと断定できる証拠はないが、様々な理由が挙げられており、こう考えることで解ける謎もあり一概に退けられないおもしろさがある。
NHK歴史発見9 NHK歴史発見取材班 角川書店 H5/11
平成5年に放映されたテレビ番組の再構成。「『源氏物語』成立の謎 紫式部の秘められた生涯」として、『源氏物語』の作者複数説や、構想、紫式部の生い立ちや出家、生涯の作品への投影などを瀬戸内寂聴が解説する。特に出家の話は必読。聞き手は嵐山光三郎、高田万由子。
日本史人物女たちの物語 上 古代〜戦国の女 α文庫
加来耕三 講談社 H10
いろいろな「物語」が収められている中で、紫式部に関するものは以下の三項目。
紫式部に同性愛が急浮上!……たしかに、『源氏物語』では、男に関わって不幸になる女のほうが多い。『紫式部日記』の朋輩の賛辞にも、少々常軌を逸したものが感じられないでもない。がそれだけで式部が男嫌いだったと言えるかどうか。
藤原道長の一生を支えた紫式部ら数々の女たち!……道長が紫式部の局の戸を叩いた夜のことが紹介されている。式部が道長を局に入れたかどうか、は古来論争になっているが、どちらでも同じこと。式部は道長の求めを拒むことはできない。それよりは、式部が道長に対してどれくらい、どんな風に好意を抱いていたか、のほうが問題かも。
清少納言は紫式部への嫉妬のあまり、出家して姿を消した!……紫式部の清少納言への対抗意識は日記の中に記されて有名なことだが、清少納言のほうも紫式部にそのような気持ちを抱いていたかどうか。案外、紫式部のことなど気にしていなかったのではという気もする。
人物日本歴史館 王朝・源平篇 知的生き方文庫
児玉幸多監修 三笠書房 H10
紫式部の項は杉本苑子が執筆。光源氏は摂関家の繁栄の犠牲となった人々の願いや理想を担った人物であるとし、紫式部がひそかに道長の為政に抗議したのが『源氏物語』であるとする。道長に疎まれ、宮仕えを辞めさせられることを承知で書いた式部の態度に敬意を表している。
紫式部の手品 古典を楽しむ
影山美知子 明治書院 H11
『源氏物語』の解釈が主体。『源氏物語』五十四帖を「色好みの世界」「政治の季節」「家父長三態」「女たちの宿世」「亜流の人々」の五つに分け、式部が物語執筆の過程で抱いた構想や意図について、「このとき、式部はこう考えていたであろう」と順に推論を重ねていく。登場人物の年齢の矛盾や、巻が変わると性格や人物像にズレの出る登場人物など、古来問題になることについても、筆者の論が展開されている。
紫マンダラ
河合隼雄 小学館 H12/7
『大辞林』によれば、マンダラとは「画面に諸仏を描いた図形や象徴的に表した記号を特定の形式で配置し、悟りの世界や仏の教えを示した図絵」とある。ここでは光源氏を中心として登場人物の女性たちを娘、妻、娼、母といった要素に分けた図に配し、各々の立場の違いを比較したり、あるいは紫式部が中心となったマンダラを描いて、彼女の内面に迫ったりする。図は必ずしも円(とその中心)ばかりではなく、二等辺三角形なども使われており、これを念頭に置いて改めて『源氏物語』を読んでみると視界が開けていく。
日本のこころ 私の好きな人 地の巻 (紫式部)
(田辺聖子) 講談社 H12
執筆は田辺聖子。大部分が『源氏物語』の概説。『源氏物語』に描かれる自然は登場人物と調和し合い、味わいを出していることを指摘する。紫式部には純粋な叙景歌は少ないと言われるが、自然を愛する人であったことがわかる。
紫式部の蛇足貫之の勇み足 新潮選書
萩谷朴 新潮社 H12/3
紫式部はまともな官職に就いていない父為時や弟惟規、娘の賢子を抱えて、出仕する必要があったという。そのため、紀貫之にとって『土佐日記』が申文(任官申請の自薦書)であったのと同じく、彰子の女房を志願し、みずからを道長に売り込むために『源氏物語』を書いたとする。友人に『源氏物語』を見せていたのも、単に批評してもらうためだけではなく、世間で評判となることを目論んでいたからだという。たしかにそうした気持ちもあっただろうが、断言してしまうのはためらわれる。『紫式部日記』の執筆動機が、娘賢子への家記のようなものとする説はおもしろい。
「時代を旅する」文春文庫
杉本苑子 文藝春秋 H12
紫式部のことはほんの数行、紫式部がこっそり鰯を食べていたのを夫に見つかって、咄嗟に和歌を詠んでその場を取り繕った話が紹介されているだけ。ただ、食文化史研究家の永山久夫が平安時代の食膳を再現しているので、参考になる。
児童向け、その他
王朝文華の光 紫式部 世界偉人伝全集 高木卓
偕成社 S35/5
小中学生向とあるが、たとえば紫式部の宮仕え名の由来一つをとってみても、「藤式部」と呼ばれる理由を説明しているなど、記述はかなり詳細。『紫式部集』や『紫式部日記』の内容も十分反映されている(解釈の不審はあるが)。
源氏物語と紫式部 名著とその人
木村正中 さ・え・ら書房 S47
児童向けとは思えない高度な内容。家系や父為時のことに始まり、少女時代、結婚生活、宮仕え生活と、『紫式部集』『紫式部日記』の記述などをふまえながら式部の生涯が詳しく述べられている。紫式部の家はどこか、本名は何かなど、学説の分かれるところを説明している部分も見受けられる。『源氏物語』についてはあらすじと各巻の解説が付いている。
源氏物語 紫式部
島村洋子 双葉社 H12
物語のあらすじを各巻数ページほどで追っている。特に児童向けに書かれたものではないらしいが、まったく『源氏物語』を知らない小中学生以外にこのような本を読む人がいるのだろうか。そのわりには、漢字にあまりルビが振られていないのは不思議。