音楽に大事なもの〜視力(目が悪くなって感じた事)
- 音楽は何より耳が大事、で目はさほどでは無いと思っている人は多いだろう。しかし、目が悪ければ普段の生活に困難が伴うし、そして音楽でもやはり目が大事だ。若かった頃に今の自分と同じ世代の人達の目が悪くなったと嘆くのを見て、そんなものかなあと思っていたが、遂に自分もそうなった事で色々気付いた事もある。来るものが来たと考え、次善の策を講じるしかない(笑)
- モーツァルトの或る逸話を読んだ事があるだろうか。神童と呼ばれた頃に鍵盤の上に布を置き、見事に演奏したという話だ。裏を返せば、通常ピアニストは弾く時に鍵盤を見るという事だ。確かに目が見えなくても演奏家になっている人もいるし、コンクールで優勝する人もいる。しかし、そういう人たちは生来の資質だから、途中失明の人と同じではないだろう。それでも大変な才能と努力が必要だとは思うが、ここで述べたいのはこうした事例ではない。極く普通の演奏者の事だ。実は2016年の暮れに小視症という状態になった。右目で見ると物が小さく歪んで見える。今から思うと、もっと若い時にもそうした事が何度もあったと考えられる。見え方がおかしいなあと感じる事がままあったからだ。しかし、恢復力があったのだろう数週間から数ヶ月、早い時には数日で済んだと思う。小視症は、本来凹んだ網膜の黄斑部の浮腫の為に盛り上がって生じる症状だ。加齢による黄斑部変性症だと恢復が難しいという事だが、幸い(なのか?)それでは無かった。何れにしても、焦点が変わるので物が歪んで見える訳だ。
- 面白いもので、慣れてくると両目で見た時は普通に見えている。左目>両目>左目の順に物の大きさが変わるが、両目なら歪みも修正されて生活に支障は無い。初めの頃は自転車で右に小回りをしようとして、障害物に当たりそうになり怖い思いをした。つまり、片目と両目で見た時の距離と差異が原因だった。右目で右方向を見ると、遠くに見えるのだが回り始めて両目で見えた時に、思いの外近くて驚くのだ。縁石に当たったり、乗り上げそうになった。それが時と共に折り合いが付いてくるのか、そうした左右の違いが調節されたらしい。
- これは目の機能的な障害を、脳が補うからだという。とは言え演奏には厄介で、右目に生じた為に楽譜の先が見えない。初見に自信があったのだが、こうなると初心者並みだ。それに目を気にすれば当然集中力が削がれる。遂には演奏も下手なアマチュア並みになってしまうかも知れない。幸いそこまでにはならなかったが、その恐れはあった。
- 音楽を始めると、まず楽譜が読むための勉強をする。当たり前だが、それには楽譜を見なくてはいけない。演奏する際、目から来る情報が耳からのそれより優勢と言える。プロでもアマでも楽譜を見て演奏するからだ。そして楽譜を勉強する事で多くの情報を得、演奏に資する訳だ。歌など一人でやるものには、楽譜が読めなくても差し障りの無い人がいるのも確かだが、オケなどの合奏ではそうはいかない。気配だけで息を合わせるのは無理で、やはり相手の目や様子を観察するのは必至だし、指揮者が必要な事も多い。確かに耳以上に目が活躍するのだ。
- 盲目のヴァイオリン奏者、和波孝禧氏は桐朋のオケに入って合奏する時には、指揮者が見えないので、(思い違い、記憶違いでなければ)隣の奏者と糸でつないでタイミングを取ったと聞いた。それでもテンポが複雑に変わるものは難しいだろう。海外ドキュメンタリー番組で見たが、中国人のソロフルート奏者、ウー・ジンはスエーデンのストックホルムフィルで、指揮にリンクして足の裏に信号を送る機械を使い、ハンガリアンダンスの6番を演奏して大喜びだった。事ほど左様に、合奏は目が大事なのである。そして、それで番組が出来るほど大変な事なのだ。そうでなければ指揮者など必要無いしね(笑)。
- 若い頃は、目と耳とどちらか選ぶなら音楽の聴ける耳と答えていたが、今は絶対に目だ。凡そ世の中の楽しい事の殆どは、視覚を通したものだ。先に述べた様に、中途失明だと演奏はまず不可能だ。では聴く側はどうだろう。生演奏と録音の違いの一つは、その姿の迫力にある。高校生の時にアマデウス弦楽四重奏団の演奏をテレビで見た。ベートーヴェンのラズモフスキーの3番だったが、第1ヴァイオリンのブレイニンの演奏する姿にすっかり魅了され、素晴らしい演奏だと思った。ところが、後日FMで音だけを聴いたところ、少しも良くない。結局見た目に影響された訳だ。
- またこんな経験もしている。30歳くらいの時だったか、ボスチャップス(Boston
Symphony Chamber
players)が郵便貯金ホールで演奏会をした時に、ベートーヴェンのピアノの入った五重奏を聴いた。しかし期待していたファゴットのシャーマン・ウォルトの音が良くないと感じた。それがFMとテレビで聴くと実に良かった。これは大ホールだったので、あまり良く見えかったのに、テレビでは大きく見えた事に加え、ウォルトの音がマイクを通した方が良い質だったのではないかと思う。他にも例はあるが、割愛する。ここで言いたい事は、音楽は純粋に音だけの問題では無いという事だ。学生の時に買ったアンセルメの指揮する「火の鳥」に、練習のボーナスレコードが付いていた。その中で、氏がしきりに実演と録音の違いを話していたのが今は実感出来る。目から来る情報は聞こえる音まで変えてしまうのだ。そしてハイヴィジョンで見るオペラは、この事に関し最も雄弁だろう。
- 先に述べた様に「楽譜」を見る事の効用は大きいし、手探りではファゴット奏者にとって大事なリードの製作調整も出来ない。それ以前に普通の生活がままならないが。繰り返しになるけれど音楽をする人は耳と同時に、目から得られる情報を大事にしないといけない。作曲家は楽譜に多くの情報を盛り、我々はそれだけを頼りに演奏するのだ。アーティキュレーションがいい加減な人に、良い演奏は期待出来ない。エチュードにはそうした理解の為の練習、訓練が多く入っている。音の並びだけでは音楽にならない。総合的に楽譜を見て、作曲家の意図を汲み取るのが演奏者としての義務だし、存在する意味でもある。目の見える僥倖に感謝し大事にして多くを学ぼうでは無いか、とこれが目を悪くした私が言いたい事だ。
- さて件の小視症であるが、黄斑部のむくみはVEGF(血管内皮細胞増殖因子)というものが関係している。その活動を抑える為に抗VEGF薬を「注射」するのが、最初の積極的な治療だそうだ。私が受けたのはルセンティスと言う薬だったが、他にもある様だ。
- その手順だが、始めに抗菌目薬を手術の前の3日間規定の回数点す。当日は歯医者の椅子の様なものに寝かされ、更に消毒薬で目を洗われ、麻酔薬も点眼される。これが結構きつい。散瞳剤が必要なものもあるらしいが、この薬はいらないそうだ。治療中に瞬きをしない様に器具を付けられるのだが、それもちょっと痛い。注射は黒目から厳密に距離が決められているそうで、その細やかな対処に、奏功するかどうかが掛かっているらしい。それで目を動かさない様に注意を受けるのだが、同じ所を見ろと言われても基準が無いと辛い。幸いそこにある機械の一部を目印に出来たのでクリアした。黄斑部に長い針で注射するのかと思っていたが、それは勘違いで、硝子体に溶け込む様にするのだ。注射された瞬間から目の中に渦巻く薬剤が分かった。非常に上手く行ったと看護婦さんに言われた。この後3日間は抗菌目薬をしないといけないのだが、次の日に眼科医に確認してもらいそれで完了だ。2週間後に検査を受けると黄斑部が凹んでいた。尤もそれですぐに元通りになる訳では無く、未だ時間が掛かる。
- 日が経つにつれ、歪みは少なくなって来た気がするが、何せ毎日微妙に変わる事なので自覚はし難い。しかし、楽譜を見た時に初見が利く様になって来た。つまり楽譜の右側、先の所の視野がクリアーになって来たと言える。目医者さんの言う事は正しかった様だ。尤もこの薬の効力は1ヶ月ほどだと聞いた。その後、目が状態を維持出来るかどうかが問題らしい。それから5ヶ月が経った2018年1月30日現在、良く持っていますよと医者に言われた。さて再度必要になるか、そのままになるのか。
- まあつらつらと書いて来たが、目を大事にしないと音楽でも不都合が出るからご注意を、と言う事だ。歳を取れば色々出るのは仕方がないけれど、若くても病気にならない訳ではない。楽譜は指示が細かい。良い演奏をするにはその情報を読み取らなければならない。エチュードには実にやり難いアーティキュレーションが書いてあるものがある。それをしっかり見るのには、よく見える目と注意力が絶対に必要だ。若いうちにしっかり勉強しなければ、年と共に見えなくなった時に対処出来ない。私は怠け者でそうしなかったからよく分かる。
- しかし歳の所為でよく見えないと言う人を馬鹿にしてはいけない。時間を掛けて読み込めば、結構な歳でも良い演奏は出来る。そう言う人を見て来た。逆に歳の所為にして逃げてしまう人も見て来た。さて、諸君はどちらが良いと思うだろうか。