タイトル | : Re^13: 大黒岩と薬師様 |
投稿日 | : 2006/08/13(Sun) 09:15 |
投稿者 | : 管理人 <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp> |
> そういえば 大黒岩というのもありましたね。
>私はその大黒岩というのがどれなのかわかりません。
> なんとなく 手取りヶ淵のあたりだろう という認識
>でしかなく、不動堂もはっきりしないので
手取りヶ淵と大黒岩は全く違う場所です。砂防ダムの川をそのまま上が
って行けば大黒岩になります。
ダムを通ったあとは川の右側、少し進んだら、左側を行きますが途中で
川は伏流になっているので自然に川の左側を行くことになります。少し
川から離れて行き、途中で川を渡り、川の右側を行きます、川べりをそ
のまま行き川が二つに分かれ、一方は右に大きく分かれます。その少し
手前で再び川を渡り、そのまま川の左側を真っ直ぐ行き、川が大きく右
に曲がる部分が大黒岩です。
杉林の中に大きな岩があり、その上に小さな石作りの神様があります。
不動岩の神様とほぼ同じ作りですが、こちらの方が新しそうです。不動
岩では石の屋根の下に古銭がありましたが、大黒岩にはありませんでし
た。
> この不動堂は川の下地区にある お不動様のもとだそうで
>山の中は不便なので今の所に持ってきたということですね。
> 川の下地区ではその講があって、今でも年に一回不動山に
>上ってお祭りをするのだそうです。
私が昭和25年に不動岩に行った記憶では、毎年人が来るような雰囲気
は全くありませんでした。道もありませんし、人が集まることもできな
いほどの急斜面で藪の中でした。恐らく岩の見える対岸の遠くから拝む
だけなのではないでしょうか?。
> この川の下の不動堂に安置されている 県指定の薬師如来座像と
>湯田上薬師神社の薬師如来像は 同じ作者ではないかと言われて
>いますし、今回再評価されそうな木片も 同じ時代のものでは
>ないかとと推察されています。かれていました。本体の薬師如来
私の実家の前に行基が作ったと書いた石塔が立っていますが、これを古
過ぎるとかの理由で誰かが否定し、それ以来、鑑定もされずにそのまま
になっていたと思っています。
薬師様の建物は、私が幼少の冬に大音響と共に崩れました。以前は萱
ぶきで、お堂の天井にはとても綺麗な絵がかれていたり、彩色された七
つの小さな仏像もあり、この小さな仏像も今なら文化財に指定されるよ
うなものだと考えています。
> この薬師神社も、かつては湯田上(ゆごや)地区の住民と
>薬師の湯を利用する宿屋の組合と、薬師講がうまく
>同心円となっていたのですが、それが時がたつにしたがって
>壊れてしまったためにお祭りもなく、
>神社の手入れもおろそかになっています。回し、大きな玉が来る
4月8には薬師様で小さな釈迦像に甘茶をかける行事がもいつも行われ
たり、いつか忘れましたが、とても大きな数珠を大勢で回し、大きな数珠
玉が来るとるとそこで頭を下げるようなことが行われていました。
> せめては、年に一度くらいはお堂の掃除をしたいものだと
>考えています。(毎年正月には お堂を開けているのだそうですが>私は行ったことがありません。)
昔は、このお堂は自由に入れて、子供の遊び場で運動場みたいなところ
でした。子供は皆ここに集まって遊びました。
話は変わりますが、昨日から長岡市関原に滞在しています。申し込でいた
YahooのADSLがつながらず、不自由なダイアルアップで書き込んで
います。