タイトル | : Re^11: 「アノテラ」について |
投稿日 | : 2006/08/11(Fri) 21:24 |
投稿者 | : 管理人 <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp> |
> 指示に従って衛星写真も見てみましたが
> 勉強不足の私には、さっぱり判読できませんでした。
> 不動山と川を挟んだ山田側、六所神社の上の方に
> アンノテラ(庵の平ら?)と呼ばれる平らな場所があったと
> うちの親父が言っております。
アノテラは私が子供の頃は、知らない人はいませんでした。湯元
館の前を通って、半分ほど下り、旧湯元の少し手前から右に曲がる
道がありました。(今は鯉を飼っている池があるあたりです。)
確かその先は現在、砂防ダムがあると思います。
昔は、ここに、大黒岩方面とアノテラ方面の分かれ道があり、清
水が沸いていました。水溜りには、ヨコノミ、アメンボやセンガム
シなどが生息していて、幼児でも見に行く場所でした。アノテラは
この道の右側を一気に上ります。頂上付近に百坪ほどの平坦地があ
り、ここをアノテラと呼びます。
この道は、菅沢に通じる重要な道で、とても古くから使われてい
たようです。
(菅沢は新田で歴史が浅いと言う意見が通っていると思いますが
これは間違いです。一時、人が住まないときがあっただけで、とて
も歴史が古いのです。今後、私がそれを証明して見せます。)
その分かれ道付近は、戦後に岡さん?と言う人が掘建て小屋を建
てて住んだり、ゴミ捨て場になったりしましたが、廣の字さんが子
供の頃、道そのものはまだそのままだったはずです。
昔はアノテラに庵寺があったので「庵の平ら」が訛ってアノテラ
になったと母から教わりました。平らの部分には爪切り草がたくさ
ん生えていて、この草をちぎりながら母から聞いたので、それがと
ても懐かしく忘れることができません。
この平坦地を少し掘るとすぐに須恵器の破片が見つかります。田
上は山の平らのあたりを掘れば必ず須恵器の破片が出ます。私は子
供の頃は、正月のあんころ餅と同じように、日本中がそうだと思っ
ていました。しかし、後に、そのどちらも極めて珍しいことを知り
とても驚きました。
> 田上町教育委員会の資料で
> 「田上町埋蔵文化財包括地位置図」(略図)をみると、
> 不動山城跡というところがありますので、古墳というより
> 何か人工的なものがあったのかもしれません。
堂屋敷を中心に38のお寺があって、その一つにアノテラもあっ
たと母から教わっています。
>
> おなじく略図に山田古銭出土地 というのがあります。
> 略図なのでよくわかりませんが、昔 灸点があった佐藤さん宅の
> 仁王尊のあたりでしょうか?
仁王様は今もありますか?その右少し奥、山の立ち上がりの接点
と聞いています。