先日帰省した際に山田の中野さんのご好意で田上郷土研究会の発行している郷土田上を入手することができました。この第9号に武田一夫様の書かれた「田上小学校学区内の小字名を探る」で中轌は才歩川の氾濫で田が崩れ流されてずれたことから来たと書かれています。中轌と呼ぶ前は水押郷と呼んでいたそうです。 一方、中店の諏訪神社棟札に応永16年(1409年)8月、泰斎諏訪大明神守護処中棚村とあるそうです。棚は段丘上に沢や谷を隔てて住居が構えられていたのでこのように呼んだと書かれています。中店になったのは明治6年の地租改正の時だそうです。管理人が以前に書いた推測もそんなに外れていなかった事になります。[1999年8月21日 15時10分15秒]
武田一夫さんはカナの知り合いです。一昨年カナの家の先祖について色々調べてもらいました。[1999年8月24日 13時8分26秒]
> 武田一夫さんはカナの知り合いです。> 一昨年カナの家の先祖について色々調べてもらいました。 29日に、兄の店で偶然武田様にお目にかかることができました。電車の時間の都合で少ししかお話ができなかったのが残念です。[1999年8月30日 0時50分31秒]
> 武田一夫さんはカナの知り合いです。> 一昨年カナの家の先祖について色々調べてもらいました。> お名前: 管理人 URL カナさんは武田様をご存知なのですか。いくつ位の方なのでしょうか?。郷土史研究会の皆さんはものすごく物知りですね。 最近五泉の関谷様の書かれた「郷土雑考」と題するとても立派な本が送られてきて、ここに護摩堂のことも沢山書かれていました。いずれ、この内容も紹介する予定です。 遅くなりましたが、メロンご馳走様でした。あさってまた田上に行きます。[1999年8月26日 22時48分29秒]