> 大黒岩にひきつづき 今回ようやく > 不動堂山に登って、不動岩まで行ってきました。 > 川の下地区の三の沢から入り、鳥超え峠から > 不動堂山に登り、不動岩に至りました。
あの小さな石の祠の中には何が祀ってありましたか?。 私が小柳屋さんの義介さんと一緒に行ったのが約60年前で祠 の形と祠前の狭い足場しか覚えていません。 団九郎の近くに ある石の祠と同じ作りだったように記憶しています。
> 不動岩はほんとに断崖絶壁の中にあり、 > よほど条件がよくないと行けないと感じました。 > 地元の山に詳しい 川の下地区の小林さんが案内を > してくれたのですが、小林さんが2月の17日にも > この祠に来てお参りをしていったのですが、その後 > 他の誰かが来ている痕跡があるという話でした。 > とにかく、一歩足を滑らせれば、真っ逆さまに > 谷底に落ちてしまいそうな場所でした。
まだ、行っている人がいるのは驚きですね。もしか したら、2000年以上も前から続いているのではな いかと考えています。 私が行ったときは、川から真っ直ぐ一気に上りまし た。小さな潅木につかまって這うように登りました。 下りは難しそうなので、頂上まで登り、菅沢の入り口 の方に降りました。
その後、神社の研究は予定より少し遅れています が順調に進んでいます。現在の、神社配置は鹿児島 から青森まで、すべて富士山頂の神社を意識して配 置されていることも証明できるようになりました。
これまで誰も発表したことのない驚嘆する事実で す。古代の日本は同じ信仰で統一されていたのです。 それが、外国からの侵略で、神話のような状況に移 って行ったものと考えるようになりました。
神話はそれ以前の状況を隠す目的もあるようです。 古事記、日本書紀にも富士山の記載は全くありませ ん。これも意図して隠したのでしょう。古代からの 動かぬ証拠である神社の配置からそれを暴くことが できました。 また、古代は蒲原平野の聖地として、弥彦と田上 (六所神社の位置)があったことがいよいよ明確になって きました。
弥彦神社の位置は最初、研究の対象とはなってい なかったのですが、その後の計算で、現在の位置よ りも220mほど北西の位置にあったとすると私の 発見した理論に合うことがわかりました。
加茂山にある神社位置も青海神社をのぞいて、強 く六所神社の位置と関係し、福島の伊佐須美神社に 伝えられる神話とつながることも明確になってきま した。
田上周辺の神社群の配置から、近傍の山岳信仰か ら、富士山を中心とする信仰に移って行った経過ま で類推できるようになってきました。
今のところ、全国でもこのような経過がわかるの は田上に関係する神社群だけです。
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