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タイトル古代の田上と祭祀跡、ビラミッドの関係
記事No734
投稿日: 2006/12/26(Tue) 02:13
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 このたび、神社配置の研究から、やはり田上は古代では重要な場
所であったことがますますはっきりしてきました。

 以前、田上の神社群は伊勢方向を指していると書きました。田上
の神社群は佐渡も含めてすべて伊勢方向を向いています。

 南紀にある神社群の三つも共に同じ方向を向いています。しかし
、他の県の神社群の方向は別でした。この度、徳島の神社群も同じ
場所を指していることがわかりました。やはり私の主張は正しかっ
たのです。

 その場所とは、五条市大塔村の山の中です。伊勢神宮や伊勢神宮
の前にあった斎宮でもありません。もしかしたら、古代の信仰の中
心は伊勢神宮ではなく、大塔村にあった可能性が強く、伊勢神宮は
それを掩蔽するために建てられたのかも知れません。

 現在ある神社は古代からの神社そのものではありません。古代は
別の宗教があり、その斎場跡に現在ある神社が建てられたことがわ
かって来ました。

 古代の斎場跡は平らな平面があったり、土盛のマウンドがあった
りして、誰が見ても神社を建てるにふさわしい場所がすでにあった
のです。神社の建てた場所が夢やお告げによって決められた伝承が
方々にありますが、その場所は誰が見ても神社にふさわしい場所で
あったわけです。つまり、お告げがなくても誰でも容易にわかる場
所だったと思われます。

 明治時代に政府の指導もあり、たくさんの神社が合祀によって消
されました。しかし、このとき消された神社はもともと、新しい神
社で古代の祭祀跡を利用していないために、マウンドを持たない神
社だったわけです。古代の祭祀跡に建てられた神社のほとんどは残
り古代の祭祀跡を現在も保っていることになります。

 田上の神社のほとんども古代の祭祀跡に建てられたものです。し
たがって比較的に新しい創建時期の神社も古代の祭祀跡に建てられ
ているので、古代の祭祀跡の場所をそのまま保っています。

 徳島県の神社群は、ビラミッドと呼ばれている剣山にある神社を
含んでいます。今日まで、新潟県に滞在して調査した結果、新潟県
にもピラミッドがあることがわかりました。もちろんこの神社も私
の発見した法則に基ずく神社中心になっています。同じ例は岡山県
、や東北の複数の場所でもありました。田上もこれらのビラミッド
と無関係ではないのです。

 さて、古代の宗教とはどんな宗教だったのでしょうか?。皆さん
があまりにも驚くか、信じないと思うのでまだ書きません。

 田上にも古代人の残したと思われるマークがあります。十字だけ
でなく120度で当分された線も見えます。

田上から菅沢に入るところにあります。十字の先端は護摩堂山の頂
上を指しています。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~hasegawa/bbs1/riddle1.jpg

これをヒントにして、皆様のご意見をお待ちいたします。

タイトルRe: 古代の田上と祭祀跡、ビラミッドの関係
記事No740
投稿日: 2007/01/09(Tue) 18:03
投稿者廣の字   <hosoi@info-niigata.or.jp>
今年の冬は超暖冬で、現在積雪0pです。
 予報では本日も雪のち曇りとなって
いましたが、薄日がさしていたので、
菅沢の 十字のマークを探しに現場に
行ってみました。
 例年ですと、この道路は降雪の為に
冬期間は通行止めとなるのですが、
まったく通常とおりに通行できました。

 結論から言うと
 山肌に見える十字の模様は、沢に水路を
作ったものでした。
 縦の線はU字溝の水路で
横の線はダム状に沢をせき止めて
高さを調節しているものでありました。
 けっこう大規模な工事だったらしく
車が入れるように、かなりの高さまで
進入道路が造られていました。

 ダビデの模様はまた
後日見にゆきたいと思います。
 

タイトルRe^2: 古代の田上と祭祀跡、ビラミッドの関係
記事No741
投稿日: 2007/01/10(Wed) 07:05
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
> 菅沢の 十字のマークを探しに現場に
> 行ってみました。
>  結論から言うと
>  山肌に見える十字の模様は、沢に水路を
> 作ったものでした。

ありがとうございました。水路でしたか。私は子供の頃は
何もなかったと思っています。道路を作るときに一緒に作った
のでしょうか?。

>
>  ダビデの模様はまた
> 後日見にゆきたいと思います。

 よろしくお願いいたします。

タイトルRe^3: 古代の田上と祭祀跡、ビラミッドの関係
記事No745
投稿日: 2007/01/16(Tue) 22:42
投稿者廣の字   <hosoi@info-niigata.or.jp>
本日 ダビデの模様を探索してまいりました。
 やはりこれも沢を砂防ダムで改修した跡で
ありました。
 五泉市菅沢地区は田上から見ると
ちょうど護摩道山の反対側になります。
 護摩堂山は田上側から見ると なだらかな
丘のようですが、菅沢側は ほぼ垂直に 
切り立っています。
 その真下に菅沢の集落がへばりついている
状態なので、沢の改修は重要な工事だったと
思います。
 かなり大規模に行われていました。
 平成9年度というプレートが見えました。

 例年であれば、雪があっって この時期は
とても来られたものじゃないし、他の季節で
あれば草木の葉がじゃまをして、地形がわかり
にくだろうと思うので、このタイミングで
この模様を検証できたのは、偶然とはいえ
幸運なことだと感じました。
 
 菅沢側の真下から護摩堂山の頂上を
眺めるのは(自動車で通過はしますが)
はじめてです。
 昔 護摩堂山の頂上に、いくつかの石碑が
立っていたのだけれど、若い者が面白がって
みんな 菅沢側の崖に投げ落としたのだ 
という話を思い出して 探してみたい
衝動に駆られましたが、一人ではとても無理と
悟り、何もせずに帰ってきました。

タイトルRe^4: 古代の田上と祭祀跡、ビラミッドの関係
記事No746
投稿日: 2007/01/17(Wed) 12:05
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>

> 本日 ダビデの模様を探索してまいりました。
>  やはりこれも沢を砂防ダムで改修した跡で
> ありました。

 ありがとうございました。またご苦労さまでした。やはり同じ
でしたか。衛星の写真を拡大すると、線の構造が十字のマークと
同じように見えたので覚悟していました。

>  昔 護摩堂山の頂上に、いくつかの石碑が
> 立っていたのだけれど、若い者が面白がって
> みんな 菅沢側の崖に投げ落としたのだ 
> という話を思い出して 探してみたい
> 衝動に駆られましたが、一人ではとても無理と
> 悟り、何もせずに帰ってきました。

 そうですね。石碑の話は私も聞きました。とても残念なことで
す。

何とか見つけてほしいですね。私の推測では、護摩堂山の頂上は
ビラミット状になっていたものを、築城や採石で変形したものと
考えています。私が、昨年暮れに見てきた柏崎の金倉神社を見て、
そのように考えました。

その後の研究で古代の信仰の聖地は富士山、大塔町、さらに島根県
にも聖地(出雲大社ではない)があることがわかりました。しかも
、これらの位置は、青銅器の大量に出土した、荒神谷遺跡や加茂岩
倉遺跡の位置とも無関係ではないのです。

崖のマークは期待はずれでしたが、六所神社を中心とする神社群か
らは、次々と驚く事実が出てきました。

 何と、六所神社の位置は前記した三つの聖地とも幾何学的に正確
な意味を持つ配置になっているのです。それだけでなく、驚く精度
で全部の聖地も向いていることがわかりました。

 この事実を明らかにすると、これだけで、日本中が仰天するはず
です。もちろん、現在著作中の本にはこれも書く予定です。

 出版されると古代史マニアが田上に押しかけることになるかも知
れません。
 

タイトルRe: ダビデのマークか?
記事No735
投稿日: 2006/12/26(Tue) 06:29
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
先ほどの写真のもう少し右、神社の上の方向にも絵があります。
ダビデのマークに見えませんか?。
他にも絵が書かれているようですが、判然としません。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hasegawa/bbs1/davide.jpg

タイトルRe^2: 富士山と田上町の関係
記事No739
投稿日: 2007/01/07(Sun) 00:01
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 あけましておめでとうございます。

 今年の正月は私の発見を著作にすることに決めたので、その原稿
書きで忙しく、好きな酒もそこそこの正月でした。

 毎日が発見の連続で眠る暇もありません。本当に時間が足りま
せん。家族にも協力してもらっているので、研究は順調に進んで
いますが、新しい発見が多過ぎてどうしょうもない状態です。

 その中の、田上に関係するニュースです。新潟県全部の神社
グループが徳島県と同じと前に書に書きましたが、同じグループ
に静岡県の神社群も入っていることがわかりました。

 静岡県の神社グループも同じ大塔町(最近村から町に変わった
ようです。)を指しているのです。さらにこのグループの中に富
士山頂の浅間神社もあります。

 この神社のペアの相手は富士岡本花守神社と呼ばれる静岡県に
ある神社です。インターネットで検索しても避難所としての情報
しかない神社です。誰も注目していないのは六所神社と似たよう
なものです。(神社名は愛鷹神社かも知れません。藤岡市花守町
で赤淵川と新幹線の交差する点に近い神社で、それほど知られて
いない神社です)

 これは、私の発見がオリジナルであることと、主張する規則が
とても古いことをことを暗示しています。やはり古代人はいつの
時代か知りませんが、現在の携帯型GPSに相当する測量技術を
持っていたと信ずるしかありません。本当に不思議なことです。

 まだこれ以上のことは都合で書けませんが、田上の神社も上記
と無縁ではないのです。護摩堂の斜面に残された地上絵がもし本
当なら、田上は日本だけでなく、世界中から注目される場所にな
ることは間違いありません。

タイトルRe^3: 大東町の位置の謎が解けました。
記事No744
投稿日: 2007/01/16(Tue) 04:08
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 現在、島根県雲南市の神社配置を重点的に研究しています。
ています。この過程で、以前から私が古代の聖地と主張している奈
良県五条市大塔町の位置の謎が解けたのです。

 島根県には青銅器が大量に出土した「荒谷遺跡」と「加茂岩倉
遺跡」に相当する別の遺跡があると主張しているのですが、その
遺跡推定地点付近の神社配置も大塔町を指していることがわかり
ました。

 しかも、その線の北西側への延長線で、大塔町から富士山の神
社(奥社)までの距離と等距離の点は富士山の神社の緯度と正確
に一致することがわかりました。

 言い換えると、その点と富士山の神社、大塔町を結んだ線が正確
な二等辺三角形になるのです。(大東町が頂点の逆さの三角形)。
かねてから、私の主張している古代の測量精度は伊能忠敬のそれを
はるかに超えていたとする説の証拠にもなります。

 大塔町には現在は伝承も残っていませんが、古代は大きな塔が建
っていて、信仰の聖地だった可能性が高くなってきました。

 雲南市も「大東」の付く地名がたくさんあります。これは「大塔」
が間違って伝えられたもので、古代、ここにも大きな「塔」が建ち
、信仰の聖地になっていたのは間違いありません。

 伊勢神宮も、「出雲大社も上記二つの古代聖地を掩蔽する目的で
建てられた」とする私の説は次第に現実のものになってきました。

 田上町もその件に関係しているのです。