タイトル | : Re: さらに驚く新しい発見(田上の由来など) |
記事No | : 710 |
投稿日 | : 2006/09/20(Wed) 15:01 |
投稿者 | : 管理人 |
先日、田上に行き、田上町の少数の方に田上町の古墳と神社につい て説明会をしてきました。特に神社の配置については、皆さんが本 当に驚かれたようです。
その後の検討で、「金刀比羅神宮」は明治時代の比較的に新しい神 社であることがわかりました。しかし、ちょうど、「金刀比羅神宮」 と東龍寺の間付近に、絶対に神社があったはずです。何かの理由で 消失し、その跡地付近に東龍寺が建てられたのです。
ほとんどの人が信じないと思いますが、古代人は方位を正確に知る ことができたのです。この事実は、田上周辺の神社位置200例以 上で実証できました。その精度は、現在の携帯GPS並みの方位精度で す。この精度は山でさえぎられても、信濃川や阿賀野川をまたいで も精度が落ちることはありません。
本当に不思議なことです。この事実と比較すると、ナスカの地上絵 などは、規模も精度も桁違いに低く、比較にならないほどです。
田上の神社位置は、五泉にある白山(1012m)、神戸山(656.9m) 、銀太郎山(1112m)、石毛山(973.8m)の頂上の位置から決定さ れていました。古代では、皆さんが拝んでいる神様は現在、神社に 座っている祭神ではなく、山の神様だったことになります。消えて しまった謎の神社を元にして田上だけでなく蒲原平野ほぼ全域の神 社位置が決定され、上記の山などを拝むように工夫されていたので す。
加茂や三条が発展する前の古代は、田上にあって消えてしまった謎 の神社と土生田神社(羽生田の明神社にあった神社、この神社位置 も前記の山頂位置から決定されている)二つで蒲原平野ほぼ全域を カバーする山岳宗教の中心地だったのです。(田上から見て山の裏 側にあたる部分は、町屋にある現在の住吉神社の位置が中心だった が、ここでも田上の神社が関係している)
最初は山の神様だったものが、山際に田畑を作るようになって、田 の神様になり、「田上」と呼ばれるようになったものと考えます。
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