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タイトル田上の神社について
記事No709
投稿日: 2006/09/15(Fri) 07:49
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 田上には羽生田にある土生田神社が927年に作成された延喜式
の内社に指定されています。小学校近くの神社ではなく、線路の近
く諏訪にある明神社の位置にあった神社です。

 一つは消滅してしまいましたが、橋田にも、同じ式内社、中山神
社と宇都良波志神社の二つがありますが、専門家はその神社を延喜
式内社と比定したことに疑念を持つ意見もありました。その疑念を
払う目的で調査した結果は私も驚く結果が出ました。

 田上周辺にある神社は橋田にある二つの神社と関係が深く、山岳
宗教の古い影響を受けていることや、無造作に見える神社位置のほ
とんどに理由をつけて説明できるようになりました。(古い神社
に限る)

 また、現在東竜寺脇にある小社「金刀比羅神宮」の位置にあった
神社は、古代では土生田神社よりも重要な位置を占める時期があっ
たことも明確になりました。さらに、千狩にある神社も、重要な役
目をしていたのです。それらの神社は蒲原平野の広い範囲に渡って
影響を与えていたのです。

 詳細は後にホームページで紹介する予定ですが、神社の位置は過
去の歴史を語る動かしてはならない重要な文化遺産と考えています。
後世までそれが大切に保存されることを望んでいます。

 また、この意見に対する皆様のご意見をお待ちしています。

 

 

タイトルRe: さらに驚く新しい発見(田上の由来など)
記事No710
投稿日: 2006/09/20(Wed) 15:01
投稿者管理人
先日、田上に行き、田上町の少数の方に田上町の古墳と神社につい
て説明会をしてきました。特に神社の配置については、皆さんが本
当に驚かれたようです。


その後の検討で、「金刀比羅神宮」は明治時代の比較的に新しい神
社であることがわかりました。しかし、ちょうど、「金刀比羅神宮」
と東龍寺の間付近に、絶対に神社があったはずです。何かの理由で
消失し、その跡地付近に東龍寺が建てられたのです。

ほとんどの人が信じないと思いますが、古代人は方位を正確に知る
ことができたのです。この事実は、田上周辺の神社位置200例以
上で実証できました。その精度は、現在の携帯GPS並みの方位精度で
す。この精度は山でさえぎられても、信濃川や阿賀野川をまたいで
も精度が落ちることはありません。

本当に不思議なことです。この事実と比較すると、ナスカの地上絵
などは、規模も精度も桁違いに低く、比較にならないほどです。

田上の神社位置は、五泉にある白山(1012m)、神戸山(656.9m)
、銀太郎山(1112m)、石毛山(973.8m)の頂上の位置から決定さ
れていました。古代では、皆さんが拝んでいる神様は現在、神社に
座っている祭神ではなく、山の神様だったことになります。消えて
しまった謎の神社を元にして田上だけでなく蒲原平野ほぼ全域の神
社位置が決定され、上記の山などを拝むように工夫されていたので
す。

加茂や三条が発展する前の古代は、田上にあって消えてしまった謎
の神社と土生田神社(羽生田の明神社にあった神社、この神社位置
も前記の山頂位置から決定されている)二つで蒲原平野ほぼ全域を
カバーする山岳宗教の中心地だったのです。(田上から見て山の裏
側にあたる部分は、町屋にある現在の住吉神社の位置が中心だった
が、ここでも田上の神社が関係している)

最初は山の神様だったものが、山際に田畑を作るようになって、田
の神様になり、「田上」と呼ばれるようになったものと考えます。

タイトルRe^2: またも驚く新しい発見
記事No712
投稿日: 2006/09/28(Thu) 22:34
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 その後パソコンを使った解析で、古代は田上、羽生田、橋田
が、蒲原平野全体に渡る信仰の中心地であることが明確になり
ました。

 それにも増して、古代人の方向を決める能力には驚かされます。
地球の形状まで考慮した、精密な計算でそれが実証されました。

 ほんとうに、古代に宇宙人がいたのではないかと思うほどの正
確さです。地図もなかった古代に、このような方向を決めたこと
は本当に不思議です。

 神武東征のとき、ヤタガラスが道案内をしたとありますが、こ
のヤタガラスとは航海の術に長けていて、方向を正確に決めるこ
とができる超人のような能力を持った人が道案内をしたようです。

 (古代人は秒のオーダーで方向を決定することができました。
現在の携帯型GPSは理論的に東西南北の方向を測定することはで
きません、何箇所かのポイントを測定して、ようやく相対方向を
決めることが出来ます。しかし、この精度は古代人の決めた精度
と似た程度でしかありません。また、古代人が磁極を指す方向で
位置を決めていたかどうかはまだ確かではありません。磁極の位
置は時代で変わるので、あまりあてになるものではありません。
宇宙人かと思うのはこのような背景を考慮して、例えで言ってい
ることです。)

 ヤタガラスの三本足の意味は、現在の測量機器にもある三脚の
意味を持つのかも知れません。

 田上、橋田地域に残された貴重な遺産から、瓊瓊杵尊(ににぎ
のみこと)が上陸されたと言われている場所も計算で特定するこ
とができました。

 この推定位置は寺泊町野積の浜で

 北緯37度40分34.45秒 東経138度46分37.9秒
 (緯度、経度は世界測地系(日本測地系2000)による座標位置)

の位置となりました。 (この位置の誤差は古代人の決めた精度で
はなく、使っている地図の位置精度で決まっています。古代人の
方がもっと精度を高く測定できた可能性が大きいのです)

 今回は、西側からの解析ですが、東側はすでに書いている山頂、
の位置から、やはり会津のいわれとなった神武東征の伝承(会津
の博士山、明神ヶ岳)を証明できることが計算によって実証され
ました。

 資料が膨大になってここで発表することができません。何らか
の形で正式発表する予定です。それまでお待ちください。神話が
このような形で傍証できることは考えてもいなかったことで、自
分自身も驚きの連続です。そこそこに長年生きしていてもこんな
に驚いたのは始めてです。
 

タイトルRe^3: 問題の神社は山田の六所神社でした。
記事No713
投稿日: 2006/10/29(Sun) 01:34
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 その後、パソコンによる精密な検討の結果、これまで書いてきた
謎の神社は必要なくなりました。これまで、東龍寺付近にあったは
ずの神社の位置を求めようとしていましたが、その位置を計算でき
ないで日にちが経過してしまいました。

 しかし、ついに見つかりました。この神社の位置は、何と山田の
六所神社の位置でした。ここには現在、菅原道真を祭神とする神社
があり、比較的新しい神社と考えていたことが発見を遅らせてしま
いました。

 比較的に解析の容易な佐渡の神社群の例から、それが正しいこと
がわかりました。その後の調査で、同様な神社群の構成は、佐渡、
見付(長岡を含む、小4群で構成)、上越周辺、十日町周辺にも見
つかりました。しかし、 田上の二つの神社を主とする神社群の構
成は、群を抜いて大きく、県下で最大の神社群を構成しています。
(神林村以北は検討中)

 神社がそこに古くから存在したかどうかは、祭神や神社名、神社
の創建年度とは関係がないことがあるようです。六所神社かどうか
は別として、六所神社の位置に古代では県下で最も重要な意味を持
つ神社があったことは間違いありません。

 この神社の位置は、福島の伊佐須美神社にまつわる神話に登場す
る、明神ガ岳-->御神楽岳を結んだ線の延長線上にあります。

 しかも、今回新しく発見した六所神社の位置は古代の神社群の構
成要素を持っています、同様な構成を持つ神社群は羽生田の土生田
神社(旧位置)周辺にもありました。(古代の神社群構成とは、今回
発見した、決定的な神社群の構成要素で、四ヶ所の神社位置によっ
て特定の方位を示す神社群の構成です。)

 これまでの調査で、現在人口の密集している町域を除いて、新潟
県下にあるほとんどすべての神社位置を理由をもって説明できるよ
うになりました。神社の位置は勝手に決めたものではなく、精密な
測量技術とシステム的な感覚で配置されたことは間違いありません。
まさに、古代に宇宙人がいたと思うほどの驚きです。