[リストへもどる]
一括表示
タイトル謎の衛星写真(古墳群か?)
記事No685
投稿日: 2006/07/30(Sun) 04:19
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 以前も紹介したことのあるgoogleの衛星写真
 http://maps.google.com/
は最近、解像度が上がり、場所によっては25cmの分解能で見る
ことが可能となりました。田上町の写真も分解能が上がり、一軒ず
つ家が見えるほどになりました。また、地図との対応もでき、とて
も使いやすくなりました。

 ここで、田上小学校の南東方向を見ると、雪の模様が縞になって
ちょうど地図の等高線のようになって綺麗に見えます。

 自然にできたものかも知れませんが、もしかしたら古墳かも知れ
ません。末広館奥のエゾ塚古墳の近くでもあり、その可能性は大き
いのではないでしょうか?。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.703049,139.08038&spn=0.006426,0.007875

(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)

の写真で向かって左上が田上小学校です。近くには工事(発掘?)
をしている様子もあり、もし古墳なら、ぜひ破壊されないことを願
っています。

下記はその注目部分を更に拡大したものです。
http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.703975,139.082596&spn=0.003213,0.003937

この付近は昔から注目していたのですが、国土地理院の地図では
分解能が低く、その実態を正確につかむことは困難でした。

 最近、立体視できるようになった国土地理院の地図
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?id=56394005&slidex=0&slidey=400

から切り出した注目付近の立体視図を下記に示します。右上の
124と高さを書いている部分がエゾ塚古墳のはずです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~hasegawa/bbs1/photo/map1.jpg

衛星画像と大分メージが違います。衛星画像の偶然にできた雪の縞
は実態を良く現していますし、雪のない部分や木に覆われた北西側
のピークの回りでも、明らかに人工的な周壕(今回は周壕と呼んだ
ものの、壕のように窪みがあるわけではなく、平らの部分です)に
よる段差がわかります。やはり古墳群ではないかと思っています。

タイトルRe: 参考・菖蒲塚古墳の衛星写真
記事No688
投稿日: 2006/07/30(Sun) 16:50
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 新潟県で代表的な古墳、新潟市竹野町(旧巻町)の金仙寺裏に
ある菖蒲塚古墳と隼人塚古墳の衛星写真です。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.767772,138.866013&spn=0.002455,0.004989

(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)

 この写真でも、下の菖蒲塚古墳の右側、右上(隼人塚古墳)の扇状に
広がった部分に同心円状の周壕と思われる模様が見られます。もし雪
が田上町と同じように残っていたら、田上の注目ポイントと良く似た
雪の縞模様が見られたと考えています。

 隼人塚古墳の頂上付近のリング状になった樹木の窪みも田上町の衛
星写真にも見られます。もし、田上町のものが古墳とするとこれらの
古墳と似た時期に作られたものかも知れません。

タイトルRe^2: 土場にも古墳群?
記事No689
投稿日: 2006/07/31(Mon) 15:24
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 衛星写真からまた古墳らしいものを土場で見つけました。(羽生
田方面から土場に入り左側の工事中の場所です。)工事ではなく、
すでに発掘調査をしているのでしょうか?。知っている方がおりま
したらぜひ教えてください。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.689271,139.084312&spn=0.002458,0.004989
(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)

 ちょうど、残雪の具合が周壕を見やすくしているので、とても良
くわかります。樹木で隠れていますが、対向してある二つの間にも
う一つあるようです。
 
 まだ他の場所にも古墳らしいものが見つかっています。もし私の
推測が当たっているとしたら、田上町は古墳だらけの町になります。

タイトルRe^3: 土場は古墳だらけ?
記事No690
投稿日: 2006/07/31(Mon) 16:25
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
目が慣れたら残雪がなくても古墳を見つけることができるように
なります。これは大小二つの円墳のようです。
前回のに対して、道路の右側少し手前の羽生田側です。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.688375,139.077505&spn=0.002458,0.004989
(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)

タイトルRe^4: 古墳を潰してグラウンドに?
記事No691
投稿日: 2006/07/31(Mon) 16:45
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
もし私の説が正しいとすると、古墳の上にグラウンドを作ったわ
けで、貴重な文化遺産を潰して町の施設を作ったことになります。
おそらく日本中の研究者から厳しい批判を受けることになるでし
ょう。最も、加茂山公園も下条まであわせるとどうやら二つの古
墳だったように見えます。こうなると、どこも同罪になりますね。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.684916,139.074254&spn=0.002458,0.004989
(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)

周辺にもまだたくさん古墳があります。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.688066,139.079125&spn=0.009832,0.019956

参考 加茂山公園(下条も含む)
http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.654955,139.053848&spn=0.005954,0.009978
これも、もしかしたら二つの古墳だったのかも知れません。

タイトルRe^5: これも古墳群(川船河)?
記事No692
投稿日: 2006/07/31(Mon) 17:32
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 これまでのようにはっきりしていませんが、下記も古墳群の可能性がありそうです。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.681371,139.066138&spn=0.002976,0.004989
河船河浄水場裏(南東方向)

(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)
 kawafunegawa2.jpgこちらもその可能性があります。
http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.669593,139.066749&spn=0.002977,0.004989
新潟経営大学裏(南東方向)
下の方に見える溝は古くからあつた方形の環濠でしょうか?

タイトルRe^6: エゾ塚古墳との相対位置関係
記事No693
投稿日: 2006/08/01(Tue) 04:10
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 昭和61(1986)年に新津南高校木村宗文教諭によって発見された
エゾ塚古墳と今回、川の下で発見した古墳とその相対位置関係を示
します。

まず、エゾ塚古墳の拡大写真は

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.709683,139.08089&spn=0.002975,0.004989

この写真も残雪のおかげで、前方部分の傾斜など、その周壕が良く
わかります。
(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)

 今回発見した古墳との相対位置関係を示す目的で全体を鳥瞰でき
る写真を下記に示します。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.706334,139.083073&spn=0.012851,0.01575

 左上の集落右横に見えるのがエゾ塚古墳です。今回発見した古墳
はそれよりも規模が大きいことがわかります。この写真では確認が
難しいですが、まだたくさん古墳があるように見えます。予想以上
に規模の大きい古墳群で驚いています。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.704323,139.083341&spn=0.00595,0.009978

に見られるように、小学校の東側山やその下の山にも方形の堀のよう
なものが見られます。おそらく方墳か過去の盗掘跡ではないかと考え
ています。

その他、堂屋敷周辺、サイカチ川上流の両側にもまだたくさんありそ
うです。

タイトルRe^7: 茗荷谷や羽生田などにもありました。
記事No694
投稿日: 2006/08/01(Tue) 05:57
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
茗荷谷もかなりの規模です。
http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.677477,139.068503&spn=0.002976,0.004989

(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)

あまりはっきりとしていない部分もありますが、まだこの周辺には
たくさん古墳が隠れている様子です。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=35.438523,133.088679&spn=0.005323,0.009978

また、上記の写真は島根県松江市にある、国指定の山代二子山古墳など
出雲地方の代表的な古墳群です。(茗荷谷と同じ縮尺にしてあります)

 中央少し左上側に小さな複数の四角形に見えるものです(前方後方
墳)、これでも、出雲地方最大の巨大古墳と言われているものです。
さらに、中央左端の道路で分断されように見える古墳は、やはり巨大
古墳と呼ばれている大庭鶏塚古墳(方墳)です。

 これらの大きさの比較から、今回発見した古墳の規模がとても大き
いことを認識できるでしょう、右側の下の大きな山は茶臼山です。こ
の山の北と北西端には茗荷谷の写真にある鋭角のエッジを持つ段差と
似た構造があります。

 次は、あまりはっきりしていませんが、羽生田にも、木の生え方か
ら見てそれらしいものが見つかりました。高野製作所の東側です。中
心から北東側にもそれらしいものが見えます。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.686716,139.062029&spn=0.002976,0.004989

 すでに一部が破壊されている様子ですが湯川の先、天ヶ沢新田に
もありそうです。

古墳群の下の方には人工的に作ったと思われる方形の壕のようなもの
も見えます。(五社川の少し上です)

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.731022,139.088824&spn=0.005948,0.009978

この付近は、かつては大きな沼で、鎌倉の地名はその沼が開けて見え
る状況からきていると、どこかで読んだ記憶がありますが、このあた
りは少し高いので、沼ではなかった様子です。

前記と同じように、こちらも田上町ではありせんが、あまりはっきり
しないものの、やはり古墳群がありそうです。写真の下の方には壕の
ようなものが見えます。天ヶ沢の少し先、矢代田方向の高ヶ沢の写真
です。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.735426,139.092643&spn=0.005948,0.009978

タイトルRe^8: 日本最大の円墳との比較
記事No695
投稿日: 2006/08/02(Wed) 03:37
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 日本最大の円墳と言われている埼玉県の丸墓山古墳の直径約100m
、高さ約16m、周囲約391mです。この円墳と比較して見ると。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=36.129348,139.478806&spn=0.00656,0.007875
(リンクアドレスは長過ぎて、クリックではうまく動作しません、URL全部をコピーし、ブラウザのアドレス枠に貼り付け、てからEnterキーを押してください)
中央は日本最大円墳といわれている、丸墓山古墳です。(その下は東日
本最大の前方後円墳です。)

今回発見した古墳を丸墓山古墳と同じ縮尺で示します。この規模は丸墓
山古墳にも勝る規模であることがわかります。

http://www.google.co.jp/maphp?hl=ja&q=&t=k&om=1&ie=UTF8&ll=37.703618,139.083245&spn=0.006426,0.007875

 古墳時代としては、大して注目されたこともなかった、この田上の
里に、出雲地方よりも巨大な古墳がいくつもあることは学者や専門家
は笑って否定するでしょう。しかし、この常識外れの出来事は、ゆる
がすことができないと考えています。
 
 昭和30年秋に、私が弥生式土器を新潟県で最初に発見したときも
、この事実を否定する専門家が大勢いたようです。しかし、その後新
潟大学の発掘で正式に認定されたこともありました。

注;
田上町文化財調査報告書 第1輯 、新潟県南蒲原郡田上町中店遺跡調
査報告 1976年版 田上町教育委員会/編のあとがき。
(ここに記載された内容の一部は事実と異なっています)

 今回の遺跡はすでに工事で破損されたり、工事中の場所も見られます。

貴重な文化遺産を破損しないように専門家による、いち早い調査と
その保存対策を切に望みます。

タイトルRe^9: 崩落防止工事跡を幻想で延長したもの
記事No698
投稿日: 2006/08/03(Thu) 04:56
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
 衛星写真は遠近感がなく、とかく見誤り易いところがあります、
工事跡でできた平坦の部分のラインをそのまま延長すると、これま
で書いたような幻想を抱いてしまいます。

 残雪で残った同心円のラインは最近の工事跡で、その延長線には
平坦部はないのです。国土地理院の立体地図はやはり、実態を現し
ていました。

 ただし、川の下の不動堂のある山の頂上付近には、やはり塚のよ
うなものがあるようにも見えます。この部分は高さがちょうど100
mで頂上には平坦部があります。今度帰省した折に登って調べて見ます。

 ところで、エゾ塚古墳は国土地理院の地図では高さが124m
となっています。衛星による写真から詳細を見ようと試みましたが
やはり遠近感の出ない欠点は致命的でこの写真からはなかなか、そ
の構造を見分けることができません。

タイトルRe^10: 崩落防止工事跡を幻想で延長したもの
記事No701
投稿日: 2006/08/11(Fri) 19:02
投稿者廣の字   <hosoi@info-niigata.orjp>
指示に従って衛星写真も見てみましたが
勉強不足の私には、さっぱり判読できませんでした。
 不動山と川を挟んだ山田側、六所神社の上の方に
アンノテラ(庵の平ら?)と呼ばれる平らな場所があったと
うちの親父が言っております。

 田上町教育委員会の資料で
「田上町埋蔵文化財包括地位置図」(略図)をみると、
不動山城跡というところがありますので、古墳というより
何か人工的なものがあったのかもしれません。

 おなじく略図に山田古銭出土地 というのがあります。
略図なのでよくわかりませんが、昔 灸点があった佐藤さん宅の
仁王尊のあたりでしょうか?

タイトルRe^11: 「アノテラ」について
記事No702
投稿日: 2006/08/11(Fri) 21:24
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
> 指示に従って衛星写真も見てみましたが
> 勉強不足の私には、さっぱり判読できませんでした。
>  不動山と川を挟んだ山田側、六所神社の上の方に
> アンノテラ(庵の平ら?)と呼ばれる平らな場所があったと
> うちの親父が言っております。

アノテラは私が子供の頃は、知らない人はいませんでした。湯元
館の前を通って、半分ほど下り、旧湯元の少し手前から右に曲がる
道がありました。(今は鯉を飼っている池があるあたりです。)
確かその先は現在、砂防ダムがあると思います。

 昔は、ここに、大黒岩方面とアノテラ方面の分かれ道があり、清
水が沸いていました。水溜りには、ヨコノミ、アメンボやセンガム
シなどが生息していて、幼児でも見に行く場所でした。アノテラは
この道の右側を一気に上ります。頂上付近に百坪ほどの平坦地があ
り、ここをアノテラと呼びます。

 この道は、菅沢に通じる重要な道で、とても古くから使われてい
たようです。

(菅沢は新田で歴史が浅いと言う意見が通っていると思いますが
これは間違いです。一時、人が住まないときがあっただけで、とて
も歴史が古いのです。今後、私がそれを証明して見せます。)

 その分かれ道付近は、戦後に岡さん?と言う人が掘建て小屋を建
てて住んだり、ゴミ捨て場になったりしましたが、廣の字さんが子
供の頃、道そのものはまだそのままだったはずです。

 昔はアノテラに庵寺があったので「庵の平ら」が訛ってアノテラ
になったと母から教わりました。平らの部分には爪切り草がたくさ
ん生えていて、この草をちぎりながら母から聞いたので、それがと
ても懐かしく忘れることができません。

 この平坦地を少し掘るとすぐに須恵器の破片が見つかります。田
上は山の平らのあたりを掘れば必ず須恵器の破片が出ます。私は子
供の頃は、正月のあんころ餅と同じように、日本中がそうだと思っ
ていました。しかし、後に、そのどちらも極めて珍しいことを知り
とても驚きました。


>  田上町教育委員会の資料で
> 「田上町埋蔵文化財包括地位置図」(略図)をみると、
> 不動山城跡というところがありますので、古墳というより
> 何か人工的なものがあったのかもしれません。

 堂屋敷を中心に38のお寺があって、その一つにアノテラもあっ
たと母から教わっています。
>
>  おなじく略図に山田古銭出土地 というのがあります。
> 略図なのでよくわかりませんが、昔 灸点があった佐藤さん宅の
> 仁王尊のあたりでしょうか?

 仁王様は今もありますか?その右少し奥、山の立ち上がりの接点
と聞いています。

タイトルRe^12: 「アノテラ」について
記事No703
投稿日: 2006/08/12(Sat) 12:01
投稿者廣の字   <hosoi@info-niigata.orjp>
湯元館の脇を降りて右に入る 菅沢に行く道は子供の頃
何度か通ったことがありました。
 ゴミ捨て場になっていたのも分かります。
 その後砂防ダムができて、道路も東竜寺のわきを
通る立派なものができたので、ほとんど使われなくなって
しましました。
 7〜8年くらい前にその道がどうなって菅沢に通っている
のだろうと思い、たどってみましたが、途中から新しくできた
道路に呑み込まれるようなかたちで、わからなくなって
いました。

 そういえば 大黒岩というのもありましたね。
私はその大黒岩というのがどれなのかわかりません。
 なんとなく 手取りヶ淵のあたりだろう という認識
でしかなく、不動堂もはっきりしないので
どうも 頭の中でごっちゃになっているような気分です。
 それで、何年か前から不動堂をまずちゃんと見ようと
思っているいのですが、子供の頃のようにちょっと行ってと
いうわけにはいきません。
 この不動堂は川の下地区にある お不動様のもとだそうで
山の中は不便なので今の所に持ってきたということですね。
 川の下地区ではその講があって、今でも年に一回不動山に
上ってお祭りをするのだそうです。
 (私はこの講に混じって行くしか手はないかと思っていますが
  まだ実現しません。)
 この川の下の不動堂に安置されている 県指定の薬師如来座像と
湯田上薬師神社の薬師如来像は 同じ作者ではないかと言われて
いますし、今回再評価されそうな木片も 同じ時代のものでは
ないかとと推察されています。
 この薬師神社も、かつては湯田上(ゆごや)地区の住民と
薬師の湯を利用する宿屋の組合と、薬師講がうまく
同心円となっていたのですが、それが時がたつにしたがって
壊れてしまったためにお祭りもなく、
神社の手入れもおろそかになっています。
 せめては、年に一度くらいはお堂の掃除をしたいものだと
考えています。(毎年正月には お堂を開けているのだそうですが
私は行ったことがありません。)

タイトルRe^13: 大黒岩と薬師様
記事No704
投稿日: 2006/08/13(Sun) 09:15
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
> そういえば 大黒岩というのもありましたね。
>私はその大黒岩というのがどれなのかわかりません。
> なんとなく 手取りヶ淵のあたりだろう という認識
>でしかなく、不動堂もはっきりしないので

手取りヶ淵と大黒岩は全く違う場所です。砂防ダムの川をそのまま上が
って行けば大黒岩になります。

ダムを通ったあとは川の右側、少し進んだら、左側を行きますが途中で
川は伏流になっているので自然に川の左側を行くことになります。少し
川から離れて行き、途中で川を渡り、川の右側を行きます、川べりをそ
のまま行き川が二つに分かれ、一方は右に大きく分かれます。その少し
手前で再び川を渡り、そのまま川の左側を真っ直ぐ行き、川が大きく右
に曲がる部分が大黒岩です。

杉林の中に大きな岩があり、その上に小さな石作りの神様があります。
不動岩の神様とほぼ同じ作りですが、こちらの方が新しそうです。不動
岩では石の屋根の下に古銭がありましたが、大黒岩にはありませんでし
た。

> この不動堂は川の下地区にある お不動様のもとだそうで
>山の中は不便なので今の所に持ってきたということですね。
> 川の下地区ではその講があって、今でも年に一回不動山に
>上ってお祭りをするのだそうです。

私が昭和25年に不動岩に行った記憶では、毎年人が来るような雰囲気
は全くありませんでした。道もありませんし、人が集まることもできな
いほどの急斜面で藪の中でした。恐らく岩の見える対岸の遠くから拝む
だけなのではないでしょうか?。

> この川の下の不動堂に安置されている 県指定の薬師如来座像と
>湯田上薬師神社の薬師如来像は 同じ作者ではないかと言われて
>いますし、今回再評価されそうな木片も 同じ時代のものでは
>ないかとと推察されています。かれていました。本体の薬師如来

私の実家の前に行基が作ったと書いた石塔が立っていますが、これを古
過ぎるとかの理由で誰かが否定し、それ以来、鑑定もされずにそのまま
になっていたと思っています。

 薬師様の建物は、私が幼少の冬に大音響と共に崩れました。以前は萱
ぶきで、お堂の天井にはとても綺麗な絵がかれていたり、彩色された七
つの小さな仏像もあり、この小さな仏像も今なら文化財に指定されるよ
うなものだと考えています。


> この薬師神社も、かつては湯田上(ゆごや)地区の住民と
>薬師の湯を利用する宿屋の組合と、薬師講がうまく
>同心円となっていたのですが、それが時がたつにしたがって
>壊れてしまったためにお祭りもなく、
>神社の手入れもおろそかになっています。回し、大きな玉が来る

 4月8には薬師様で小さな釈迦像に甘茶をかける行事がもいつも行われ
たり、いつか忘れましたが、とても大きな数珠を大勢で回し、大きな数珠
玉が来るとるとそこで頭を下げるようなことが行われていました。

> せめては、年に一度くらいはお堂の掃除をしたいものだと
>考えています。(毎年正月には お堂を開けているのだそうですが>私は行ったことがありません。)

 昔は、このお堂は自由に入れて、子供の遊び場で運動場みたいなところ
でした。子供は皆ここに集まって遊びました。

話は変わりますが、昨日から長岡市関原に滞在しています。申し込でいた
YahooのADSLがつながらず、不自由なダイアルアップで書き込んで
います。

タイトルRe^10: 雷神山古墳との比較、これも幻想か?
記事No699
投稿日: 2006/08/05(Sat) 12:33
投稿者管理人   <hasegawa@msb.biglobe.ne.jp>
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hasegawa/bbs1/photo/comp2.jpg

 川の下、不動堂上と東北最大の前方後円墳である雷神山古墳(国指
定)、主軸長168m、後円部の径および前方部の幅96m、後円部の
高さ12m、前方部の高さが6mとの比較写真です。(同一縮尺、雷神
山古墳は右に回転させて角度を似るようにしてあります。)
 

 不動堂上には、雷神山古墳とサイズも形もそっくりのものが眠っ
ていると考えるのは幻想でしょうか?。後円の高さも、国土地理院
の地図から見て約10mとなって矛盾はありません。

 注;雷神山古墳は前期古墳時代の末期に造られた首長墓とされて
   います。