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タイトル初めてしりました。ロシア語がはなせるなんて
記事No170
投稿日: 2000/02/27(Sun) 15:45
投稿者佐藤 厚子
やっとページを見つけました。
樺太屋のパパがロシア語をはなせるなんてびっくりです。
私の知らない田上町が,いろいろあっておどろきのほうがいっぱいです。
私の家のまえに、昔ながらの丸いポストがありましたが今も健在でしょうか? 最近少し気になります. 
昔々そこで (ポコペン)?であそんだもです。

タイトルRe: 初めてしりました。ロシア語がはなせるなんて
記事No178
投稿日: 2000/03/05(Sun) 12:21
投稿者カナ
> やっとページを見つけました。
> 樺太屋のパパがロシア語をはなせるなんてびっくりです。
> 私の知らない田上町が,いろいろあっておどろきのほうがいっぱいです。
> 私の家のまえに、昔ながらの丸いポストがありましたが今も健在でしょうか? 最近少し気になります. 
> 昔々そこで (ポコペン)?であそんだもです。

多分まだポストはありますよ。丸ポスト!

タイトルポコペンやりました。
記事No174
投稿日: 2000/03/02(Thu) 15:43
投稿者浅井勇弥
はじめまして、今、歴史人類学を勉強しているものです。偶然このHPを見つけました。すごく充実していて、感動してしまいました。これからもこのページを見ていきたいです。ちなみに僕がポコペンをやったのは、コンクリートの電柱です。それよりも、ポコペンという響きは、何か不思議なものを感じますね。この遊びは、全国共通なのでしょうか?

タイトルRe: ポコペンやりました。
記事No181
投稿日: 2000/03/05(Sun) 21:46
投稿者きんや
> はじめまして、今、歴史人類学を勉強しているものです。偶然このHPを見つけました。すごく充実していて、感動してしまいました。これからもこのページを見ていきたいです。ちなみに僕がポコペンをやったのは、コンクリートの電柱です。それよりも、ポコペンという響きは、何か不思議なものを感じ%

タイトルRe^2: ポコペンやりました。
記事No182
投稿日: 2000/03/05(Sun) 22:24
投稿者きんや
はじめまして。僕もポコペンやりましたよ。田上っ子として・・。
僕はS41年生まれの羽生田小出身ですが、
小学校時代は毎日のようにやりました。
岡山県倉敷市出身のうちのかみさんも節まわしは違いますが
やはり子供の頃遊んだそうです。

羽生田「ちょ〜いとネ、突っつきましょうかネ、ポコペンだ〜れだ?」
倉 敷「シャッポン、シャッポン、だ〜れが突っつきましたかね?ポコペン」

その後はずれた場合、羽生田ではカクレンボ形式になりますが
倉敷ではオニゴッコになるそうです。
調べたわけではありませんが、僕らの世代では節回し・ルール等多少
違えども地域に関係なく知ってるようです。

ところで羽生田にあった「東京屋」知ってるかたいらっしゃいますか?
あそこのコロッケは大変おいしかったのですが、もうやってないようで
残念です。
おそまきながら昨日からネットライフを始めて、さっそくこんなに素敵な
ページに出会えてうれしく思います。
田上には年1回くらいの割で帰るのですが、何故だか田上弁がうまく口に
でません。親は当然ながらバリバリなのですが・・・。
方言もっと勉強します。ではまた。

タイトルRe: ポコペンやりました。
記事No175
投稿日: 2000/03/02(Thu) 23:11
投稿者管理人   
参照先http://home.n00.itscom.net/hasegawa/
> はじめまして、今、歴史人類学を勉強しているものです。偶然このHPを見つ
>けました。すごく充実していて、感動してしまいました。これからもこのペー
>ジを見ていきたいです。ちなみに僕がポコペンをやったのは、コンクリートの
>電柱です。それよりも、ポコペンという響きは、何か不思議なものを感じます
>ね。この遊びは、全国共通なのでしょうか?

 こんなに極めてローカルなページに興味を持っていただいてありがとう
ございます。

 ポコペンについては、既に書き込みしてあるように、管理人自身もこ
の遊びをした経験がありません。私の子供も知らないので、特定の時期
だけ日本中に流行したのではないかと推測します。

 鬼を触った人を当てる遊びのようですが、缶蹴りを意味する場所もあ
るようです。

 インターネットで調べても、この言葉の由来がわかりませんでした。
差別用語であるとか、戦闘の訓練に関係するとかとも書かれていたり、
競争馬の馬名にもあったようですが確かなことはわかりませんでした。

 ここで、一つだけ注目するページがありました。
http://member.nifty.ne.jp/tamagawa/kamisama.htm
にある「神様の言うとおり」と呼ぶページです
ここには
山形県 : どれにしようかな 神様仏様の言うとおりにしてくださいな
東田川郡藤島町 ポンポコペンのスッポンペッ {昭和50年代}

 と書かれています。ポン「ポコペン」のスッポンペッ の
「」で括った部分が「ポコペン」になり、この意味がどれにしょうか?
とする場合に関係がありそうな気がします。
 ご存知の方がおりましたら、ぜひ書き込みをお願いいたします。

タイトルRe^2: ポコペンやりました。
記事No176
投稿日: 2000/03/05(Sun) 09:56
投稿者細井廣行
いやーびっくりしました。

ちゃんとリサーチしたわけではありませんが、
一緒に遊んだ仲間以外で「ぽこぺん」を知っている人を
はじめて知りました。
私は昭和40年頃に田上町の湯田上地区でその遊びを
していましたが、同時期でも小学校では遊んでいないので
きわめてローカルなものだと思っていました。

浅井様、さしつかえなければ、何時頃、どの地区で
その遊びをしていたのか教えて下さい。

タイトルRe^3: ポコペンやりました。
記事No180
投稿日: 2000/03/05(Sun) 16:13
投稿者管理人   
参照先http://home.n00.itscom.net/hasegawa/
> いやーびっくりしました。
>
> ちゃんとリサーチしたわけではありませんが、
> 一緒に遊んだ仲間以外で「ぽこぺん」を知っている人を
> はじめて知りました。

細井さん今晩は、下記にポコペンのルールが書かれていますが
このサイトは三重大学のようです。

http://epmail.edu.mie-u.ac.jp/jyugyo/iwamoto/pokopenn.html

また下記は名城大学のようです。
http://ccmath.meijo-u.ac.jp/asobi/pokopen.html

タイトルRe^3: ポコペンやりました。
記事No177
投稿日: 2000/03/05(Sun) 12:19
投稿者カナ
> いやーびっくりしました。
>
> ちゃんとリサーチしたわけではありませんが、
> 一緒に遊んだ仲間以外で「ぽこぺん」を知っている人を
> はじめて知りました。
> 私は昭和40年頃に田上町の湯田上地区でその遊びを
> していましたが、同時期でも小学校では遊んでいないので
> きわめてローカルなものだと思っていました。
>
> 浅井様、さしつかえなければ、何時頃、どの地区で
> その遊びをしていたのか教えて下さい。

私もポコペンやったことありますよ。小学校や中学校の頃。
何時頃というのは昼休み頃だと思います。
ちなみに私は中店です。そして私は昭和58年生まれの
16才(もうすぐ17才!!)です。私の年代の
田上っ子は殆ど知っていると思われます。
壁でよくやりました。

タイトルRe^4: ポコペンやりました。
記事No184
投稿日: 2000/03/06(Mon) 21:23
投稿者細井廣行
みんなポコペンをやっていたのですね。
 長谷川さんが調べてくれた三重大学のホームページも
開いてみました。
 ほとんど私達が遊んでいたものと同じでした。

 日曜研究家の肩書きのある串間努さんという人の本で
「昭和B級文化の記録-まぼろし小学校」(小学館)というのが
あります。
 主に昭和33年から昭和50年頃に生まれた人達の小学校時代の
思い出を集めたもので、昭和31年生まれの私としては、少々
食い足りない部分もあるのですが、(「水森亜土さんの筆箱」に郷愁を
覚えた程度で) その本の中には、ポコペンのポの字も
出てこなかったので、てっきり地域的なものと思いこんでいました。
 こんなに一般的な遊びだったとすると、ますます「ポコペン」の
語源が知りたくなりますね。
 私は不二家ミルキーのキャラクターである「ペコちゃんポコちゃん」
あたりから来ているのかなと、ぼんやり思っていたのですが。

タイトルRe^5: ポコ、ペコの由来
記事No185
投稿日: 2000/03/06(Mon) 22:21
投稿者管理人   
参照先http://home.n00.itscom.net/hasegawa/
>  こんなに一般的な遊びだったとすると、ますます「ポコペン」の
> 語源が知りたくなりますね。
>  私は不二家ミルキーのキャラクターである「ペコちゃんポコちゃん」
> あたりから来ているのかなと、ぼんやり思っていたのですが。

ペコちゃんポコちゃんについて調べて見ました。しかし、皆さんのおっし
ゃっている遊びとはどうしても結びつきません.以下がインターネットか
ら拾ってきた結果です。

http://www.fujiya-peko.co.jp/data_box/kensho.html
戦後の復興まもない昭和26年、数多くの試作の末にミルキーは誕生しました。 そのパッケージを飾ったペコちゃん、ポコちゃんは、すさんでいたお客様の心に夢、希望、うるおいを提供し 、その後店頭におかれるようになったペコちゃん人形と共にお客様から暖かい支持を受け、今日に至っています。

不二家(銀座六丁目)の店頭には首振りペコちゃん人形もおかれ(1952年。ー説には1951年)、これがまた人気を加速。はりこ(有楽町にあった日劇の大道具さんが作った)からビニール、プラスチックへと素材を変えながら、なくてはならないシンボルとして愛きょうをふりまいてきたのです。

http://www.naxnet.or.jp/~fujiya/peko-poko.htm
ペコちゃんが生まれたのは「ミルキー」発売の少し前,男の子もということで、ポコちゃんも誕生。不二家が戦前(1933〜1934年頃)から温めていた名前、ペコとポコがふたりの名前に選ばれました。ペコは子牛の愛称として各地で使われていた「べこ」を、また、ポコは室町時代の古語や東東北地方の方言で子供を意味する「ぼこ」を、西洋風にアレンジしたものでした

http://www.fujiya-peko.co.jp/data_box/rekisi.htm
名前
●昭和7、8年頃から商品名として温めていた。
●古来から「子牛」のことを「べこ」(全国各地)と言い、また「幼児」のことを「ぼこ」(室町時代)と言い習わしてきた。それを多少西洋風にアレンジしたのが「ペコ」「ポコ」である

タイトルRe: 初めてしりました。ロシア語がはなせるなんて
記事No172
投稿日: 2000/02/28(Mon) 12:19
投稿者細井廣行
 赤い丸型のポストは田上町に三箇所残っていて、
厚子ちゃんの実家の脇のポストも、そのうちの一つ
として健在です。
 私は多くの人が共有した建造物、例えば 駅や
学校や、郵便局や、共同風呂などは、なるべく古い
姿を残しながら使い続けるのが良いと思っているのですが、
私は単に思っているだけなので、気が付くとドンドンそういう
ものは新しくなっています。

 まあ、ヨゴヤで育った人達には、旧石田屋さんの店先の
ポストのあるあたりは、最も愛着のある場所ですから
せめてこれくらいは大切にしたいと思います。

 今まではこのような話しは、私の勝手な思い込みだと
思っていましたが、こうしてここに書き込めて、
いろんな方と交流ができるというのは、画期的なことです。

 薬師さまの広場でソフトボールをやっていて、ボールが石段
から転がったりした時は、ポストのところへ行く前に追いつかないと
坂をドンドン下って、下のチュウスケさんの家のあたりまで
いってしまうからと、大騒ぎでした。

 今考えるとマンガみたいな子供の世界でしたが
体験した者がいて、それを語りあえるなら、これも
いわゆる「文化」ですよね。

タイトルRe: 初めてしりました。ロシア語がはなせるなんて
記事No171
投稿日: 2000/02/27(Sun) 17:11
投稿者管理人   
参照先http://home.n00.itscom.net/hasegawa/
> やっとページを見つけました。

もし忘れたらYahooの検索で田上町とするとすぐに見つかります。
 なぜか、未だに田上町で検索できるのは私のページだけです。
> 樺太屋のパパがロシア語をはなせるなんてびっくりです。

 樺太では確か食堂のボーイをしていたようです。中華料理は田上
に越して来てから、一旦東京へ修行に行って覚えてこられたと記憶
しています。

> 私の知らない田上町が,いろいろあっておどろきのほうがいっぱいです。
> 私の家のまえに、昔ながらの丸いポストがありましたが今も健在でしょうか? 最近少し気になります. 

厚子さんは旧姓堀さんですか?。管理人はその前の家の石田屋の次男彰
です。お子さんの時の様子は良く覚えています。何年か前に綾子さんに東
京で会いましたよ。

ポストはまだあります。あのポストは元々は中野屋さんの前にあったと記憶
しています。

> 昔々そこで (ポコペン)?であそんだもです。

 時代が違うのか私はポコペンを知りません。末広館の細井廣行さんに教え
ていただいて始めて知りました。