百合奈 さん、細井さんの投稿ありがとうございます。新しいスレッドに書きました。 ロシア語の話がありましたが、主題のご主人はロシア語が堪能です。昭和35年頃だったと記憶していますが、私がまだロシア語を全く知らない時でしたからかなり大昔の事です。 樺太屋さんのご主人は新潟の港に行って、この特技を生かしてロシアの人を「ゆごや」まで連れてきたのです。しかも、自分の家だと言って、斜め前の小柳旅館に連れて行って大きい風呂に入れ、びっくりさせたようです。今の奥さんは小柳旅館に勤務されていたのです。ご主人は樺太に戦後も住んでいたので、ロシア語は国語のようなものです。 樺太屋さんのご主人は、ロシアの船に乗せてもらって船長さんの部屋に入れてもらったそうです。船長さんは猟が趣味で猟銃を持っていたと言っていたのを記憶しています。 田上の石田屋も、船長さんからお土産に戴いた黒パンと月桂樹の葉っぱの分け前をいただいたようで、ロシアの人はこんな貧しいものを食べているのかと驚いたそうです。 このようにロシアと新潟は国交が正常でない時期でも、とても近く「ゆごや」まで関係があったのは細井さんの説の通りです、しかし、イクラの言葉は、戦前からあったので、細井さんのお話とは違うと思います。 「メンタイコ」の「メンタイ」も本来はスケトウダラの意味でロシア語、韓国語、中国語、スラブ語それぞれに相当し、なぜ現在のようになったかは謎のようです。「イクラ」の意味も同じような歴史を持つのではないかと考えます。 それから、「こと」に関してはやっと思い出しました。「いっぺーことけーて」とか「いつぺーことくーたて」などでも「こと」を私もかつてはよく使いました。 これは標準語でどう解説したら良いかわかりません。ぜひ教えてください。
この項をプリントして樺太屋さんに手渡しておきました。 後日、話しを聞きに行こうと思います。
> この項をプリントして> 樺太屋さんに手渡しておきました。> 後日、話しを聞きに行こうと> 思います。 樺太屋さんのご主人がびっくりされるかも知れません。しかし、必ず覚えていてくださると思います。国交がまともでない時期の方が新潟港は自由だったようです。検疫もビザのチエックもなかったのではないかと考えます。 日本が鎖国だなどと発令する前は、これと同じように自由な時期があったのではないかと考えます。 何しろ新潟は大陸とそんなに遠くはなく、しかも対馬海流に乗れば韓国だけでなく、中国からも色々なものが流れて来た可能性があります。 実際に、新潟に中国文字が書かれた案内板が漂着し、これを幕府に報告した記録もあります。昔は,物だけでなく、人や文化が流れてきたとしてもおかしくないと推測します。 もっと古い記録では、場所がまだ特定していませんが、田上からそんなに遠くない場所に、日本では全く考えられない(現在から推測すると大陸の北方で作られたと思われる)動物の繊維で編んだ作り方の船が発掘された記載もあります。 樺太屋さんとの思い出の一つに、小柳屋さんの火事を一緒に消したことです、このときは私と樺太屋さんのご主人が最も活躍したと自負しています。
昨夜は、ある会合で樺太屋さんのお父さんといっしょになったので、少し話しを聞きました。 樺太屋さんは、昔から三味線を弾いたり、腹話術の人形を持ってあるいたりして、ずいぶんユニークな人であることは承知していましたが、ロシア人と日常会話ができるほどロシア語が堪能だったとは知りませんでした。 イクラのほかにイワシもロシア語なのだそうです。 昔の双葉旅館に居て、今板前をやっている村越稔さんの話しによると。 護摩堂山に「シラチバ」か「シロチバ」という所があったそうですが、お分かりですか。 「城(白)地場」とでも書くのでしょうか、焼き米の伝説とつながっているのか、米の落ちた所の土が白い粘土状になっていて、それを取ってきて壁に塗ったりしたそうなのですが、私はまったく知りません。 始めて聞きました。
> 昨夜は、ある会合で樺太屋さんのお父さんと> いっしょになったので、少し話しを聞きました。> 樺太屋さんは、昔から三味線を弾いたり、腹話術> の人形を持ってあるいたりして、ずいぶんユニークな> 人であることは承知していましたが、ロシア人と> 日常会話ができるほどロシア語が堪能だったとは> 知りませんでした。 あの方は自慢するようなことはしないので、なかなかわからないところがあるのかも知れません。> イクラのほかにイワシもロシア語なのだそうです。 これも樺太屋さん知識でしょうか?。これは知りませんでした。NHKのロシア語講座を5年弱も受けましたが、この間イワシの言葉はテキストにはなかったと思います。 インターネットで調べたら、イワシは日本語で、日本語がロシア語になったと書いてありました。あいにく、ロシア語辞書をすぐに取り出せない場所に入れたので、すぐには見ることができません。調べて後に連絡します> > 昔の双葉旅館に居て、今板前をやっている村越稔さん> の話しによると。> 護摩堂山に「シラチバ」か「シロチバ」という所が> あったそうですが、お分かりですか。> 「城(白)地場」とでも書くのでしょうか、焼き米の> 伝説とつながっているのか、米の落ちた所の土が白い> 粘土状になっていて、それを取ってきて壁に塗ったり> したそうなのですが、私はまったく知りません。> 始めて聞きました。 シロチバと呼ぶ言葉は思い出しませんが、白い粘土はありました。これは特定の場所にまとまってあるわけではなく、赤と白が同じ場所にあって、赤が多い場所と白の多い場所がありました。
> イクラのほかにイワシもロシア語なのだそうです。先日北海道で「イクラって、ロシア語なんですってね〜」とお話してみました。誰も知りませんでした。北海道もロシアにゆかりの深い土地ですのにね。
> > イクラのほかにイワシもロシア語なのだそうです。> 先日北海道で「イクラって、ロシア語なんですってね〜」> とお話してみました。誰も知りませんでした。> 北海道もロシアにゆかりの深い土地ですのにね。 北海道はいいですね、私の大好きな蟹が食べられる・・・。うらやましい限りです。 先日、スーパーで1,980円でとても大きいメスの生タラバ蟹を売っていました。外れても許容できるお金なので、外れを承知で買って食べて見ました。 これが、大当たりで、とてもおいしく感激しました。タラバは蟹ではなく、蜘蛛の仲間なので、かに味噌はほとんどないとの認識でしたが、味噌もたくさん入っていて大満足でした。