PINK FLOYDのCDについて

Wish You Were Here (炎;1975)

前作が例の「狂気」だけに、リアルタイムで聴いていた人は歴史に残る肩すか しを食らったものです。私も最初はそう思った一人ですが、後々聞き込んでいくにつれて最も好きなアルバムになってしまいました。このアルバム及び「狂った ダイアモンド」という曲は、発表当初より 「ロジャーが中心となって制作した ”狂気”に続くコンセプト・アルバムであり、シド・バレットへのオマージュで あること」・・・ばかりが取り沙汰されてきました。まあ確かに、「狂気」以上のモノを創り上げなければならなかったメンバーのプレッシャーは相当のものだったと思いますし、録音中に何処からか挙動不審で得体の知れないハゲオヤジが 迷い込んできてよーく見たらシドその人でオレにも何か手伝わせろと言ったとか 、その後にロジャーが人知れずさめざめと涙を流したとか言うメンバー達の逸話 もなかなかそそるものがありますが。ようやく、と言うか何というか最近になっ て楽曲そのものの良さに眼が向けられてきたように思われます。「狂ったダイアモンド」でのギルモアとライトの貢献度は非常に高く、特にギルモアのギターは フロイドの楽曲の中でも最高だ!と断言出来ます。ブルースのフィーリングとスライドにはやはり非凡なものがあります。最近のライブでは、ギター・ソロの部分はかなり定型化してしまっていますけれど、77年頃の「アニマルズ・ツアー 」でのギルモアのギターは、これでもかと言うくらいに泣きまくっております。 (偉そうに言っている私の聴いたこの当時のBOOTは”Welcome To The Machine"の み)当時の音源をもっと聴いてみたいと切に思う今日この頃ではあります。話は 変わりますが、先日会社の同僚(30代の女性;プログレへの馴染みは希薄)にこの作品のテープを聴いて頂いたのですが、なにやら「狂気」を感じて途中で聴くのを止めちゃったらしいです。この音に染まっちゃっている身としては、嬉しいような 悲しいような、複雑な心境ではあります。


UMMAGUMMA
(ウマグマ;1969)

DISC1は69年のライヴ、DISC2はメンバーのソロ作品という変則的な構成。サウンド的には実験が売りである当時のフロイドですが、DISC2はこの辺のところが特に強く、評価が分かれるところでしょう。実を言うと私もDISC1ばかり聴いていましたね。「星空のドライブ」が洩れたのは残念ですが、ライブの4曲はいずれも素晴らしい出来であります。まさに部屋の明かりを消して楽しむのに相応しい。バレット作「天の支配」はオリジナルに比較するとギターはややおとなし目ですが、オルガン・ソロがイイ雰囲気を出していますし、「ユージン・・・」はウォータース一世一代の絶叫だけでも聴く価値があります。そしてこのお約束は一度聴くと結構癖になります。「神秘」は後半部のギルモアの感動的な盛り上がりヴォーカルが「ポンペイ」のビデオ同様非常に魅力的です。それから「太陽賛歌」は相変わらず良く眠れる曲です。出来れば、当時のセットリストに必ず含まれていた「エンブリオ」も合わせて楽しみたいところですが、この曲のライブ・ヴァージョンは残念ながら今のところオフィシャルでは聴けませんね。
DISC2については、ウォータースとギルモアの作品は好きなんですが、残る二人のはどうも苦手です。すみません。


Atom Heart Mother
(原子心母;1970)

ピンク・フロイドの名を一躍有名にしたアルバムで、「狂気」や「ザ・ウォール」あたりと共に一般的にも認知度の高い作品であろうと思います。タイトル曲は大作として名高く、当時ライブでも随分話題を呼んだらしいですが、残念ながらそれほど完成度の高い作品とは私には思えません。勿論サイケデリックな色彩感覚は流石で、時代の空気を反映してか結構良い線イッてますし、よく言われるような「ロックとクラシックの融合」にあたかも成功しているような印象をも受けますが、どうも過大評価された作品のような気がしてなりません。フロイドの面々が素材を処理仕切れずに、休暇に出かけ、結局(「ザ・ボディー」以来ロジャー・ウォータースと付き合いがあったゴルフ友達の)ロン・ギーシンがスコアを纏める羽目になった・・・なんて話を聞くと余計にその感が強まります。勇壮なテーマ部は確かに心に残りますが。
むしろ、密やかな狂気が宿る「もしも」に始まる、アナログB面の作品群の方が、各メンバーの個性が際だっており、興味深いのではないでしょうか(最後の曲は別として)。私は「サマー68」なんてかなり良い曲ですよ。少なくともこの当時のリック・ライトがソングライティング面においてフロイドのキーパーソンであったことを充分証明できる一曲です。

Meddle(おせっかい;1971)

私の旧い友人で佐藤和亨君というひとがいまして、「このアルバムの”エコー ズ”をアナログ45回転で聴くと結構いいよ」と教えてくれたことがあ ります。当時の私たち高校生のフロイドを聴く正しい態度は、部屋の明かりを消 して(ドラッグの代わりに)煙草にむせつつジンフィズを舐めながらちゃんとス ピーカーに向かって聴く(当時のスピーカーは指向性の強いものが非常に多かっ たので)・・・というもので、「フロイド」の音はその様にして聴かないと、だ ーれも一緒に遊んでくれなくなってしまうような、そんな微笑ましい時代ではあ りました。「原子心母」や「ウマグマ」、「狂気」にもそのような真摯な姿勢で 臨んだものです。この”エコーズ”ですが、フロイドの曲中でもトリップ感覚ベ スト3に入る位の作品ではないでしょうか。レスリースピーカーを通したイント ロのピアノの音や、昼間部の妙な(どんな?)世界をイメージさせるところ(デ イヴのスライドギターがどこかの鳥の鳴き声のよーに響くあの部分です)もそそ りますが、私はこの曲の頼りなげなボーカル(デイヴ&リック)が大好きです。 仕事中に聴くときは(家族と一緒の時は聴きません)リックのパートを一緒に唸 っております。そしてこれはスタジオ盤だけについて云える事ですが、あの”無限音階”はエエで!それをヌキにして言えば、「ポンペイ」のバージョンもOK!ブートですが、「One Of These Days」のも素晴らしい!未聴の方には、心から一聴をお薦めしますよ。ところ で、私はこのアルバムのアナログA面はほとんど聴きません。「吹けよ風、呼べ よ嵐」も、ブッチャーが悪役じゃなくなってから、聴かないなー


Obscuured By Clouds
(雲の影;1972)

「モア」同様、バルベ・シュローダー監督による映画「ラ・ヴァレ」(私は未見)のサントラで、「おせっかい」と「狂気」の狭間の小品集という趣でしょうか。制作期間も同じように短かったんでしょうなぁ。どうもコンセプトを詰めに詰めて絞り込んで・・・といった作品では無いような気がします。肩の力を抜いたらこんなの出来ました、みたいな印象ですね。この辺り、「砂丘」録音時にアントニオーニに訳判らんことばかり言われ続けた挙げ句3曲しか使われなかったという教訓(?)が活きておりますね。我々聴く方もさほど身構える事無く楽しめる、という点ではフロイドのディスコグラフィー中でも特異な存在ではあります。しかしながら其処はやはりフロイド、何処を切り取っても彼らのサウンドですし、リック・ライトが思いのほか活躍していることも見逃せません。「炎」あたりまでのこの人の役割はかなり重要ではないかと私常々考えておるのですが如何なものでしょう。
さて、概ねのほほんと聴けるこのアルバムですが、今思えばその後のフロイドの行く末を予感させる「Free Four」という問題作も含まれております。聴けば単純&脳天気なロックン・ロールですが、歌詞中に作者であるロジャーの父の死を(フロイドの楽曲において初めて)示す部分が含まれており、これは「壁」と「ファイナル・カット」への伏線となっていくという訳です。それはそれとして、日本を含む各国でこの曲がシングル・カットされたのはこの詞故、とはどうも言えそうも無いところがレコード会社という所の摩訶不思議さですね。

The Dark Side Of The Moon (狂気;1973)

確かに良く売れた。説明つかん程売れましたね。勿論私も非常に良く聴きまし たし(今でも週に一回は聴いとります)。やっぱり楽曲がPOP故に売れたんでし ょうなあー。フロイドの「売れる」ポイントが集約された結果なのでしょうし、 これは彼らの偉大なる成果であります。当時はオーディオ・テクノロジーの黎明 期でもあり、「良い音」のレコードとして、オーディオ店のデモにも大分使われ ていましたし、確かにそれも「売れた」遠因のひとつに数えられたとは思います 。でも、一番の要因は「コンセプト・アルバム」が初めて一般に認知された結果ではないかと私は思うのです。邦題の「狂気」は、今世紀最大の問題提起です。 私たちは自らではなかなか認識する事のない”無意識”の世界にある種の畏れを 抱いており、その暗部を覗いてみたいよーな、やっぱりやめてみたいよーな気持 ちは誰しも持っています。はっきり言えば、「あと10分後に戻れる保証があれ ば、気が狂ってみても良い」と言う誘惑にダイレクトに訴えるタイトル及び内容だったのだと思います。例の危ない笑い声や効果音も盛り上げてくれます。曲の 流れも素晴らしいし・・・”Money”を除いては。(私はこの曲はほとんど聴きませんのです)ロジャーの組み立てたコンセプトの裏には当然シド・バレットの存在があったはずで、その辺を思うと切ない一枚ではあります。

 

The Piper At The Gates Of Dawn (夜明けの口笛吹き;1967)、の頃。

「プログレ」というよりも「サイケ」だったころのデビュー作。"Bike"なんかはまぎれもなく「プログレ」ですけど。シド・バレットが後に神格化される根源であり、ロジャーにとっては一つの壁になった作品でしょう。"Interstellar Overdrive"や"Astrodomy Domine"でのシドのプレイは、当時のライブに比較するとややおとなしめだとはよく言われることですが、なんとなく狂気を孕んでいてやはり魅力的です。ポップな作品もその「きらきらした危うさ」が微妙なエッセンスとなって素晴らしい。同時期のシングル"See Emily Play"や"Apples And Orenges"も私は大好きです。続く"Scream Thy Last Scream"、"Vegetable Man"は確かに異様な曲ですけれど、オフィシャルで結局未発売のままというのは、誠に残念ですね。97年にこのアルバムのオリジナル・モノ・ヴァージョンのCDが発売されましたが、小技の効いたMIXが新鮮に感じられてイイですね。(オマケの写真もGOOD!)・・・ところで、このアルバムを制作中のEMIスタジオでは、当時ビートルズが「サージェント・ペッパー」と悪戦苦闘していた時で、両者間の交流もあったようです。この頃すでに壊れかかっていたというシドの才能は、FAB4の眼にどんなふうに映っていたのでしょう。


A Saucerful Of Secrets (神秘;1968)

その昔「ナイス・ペア」というレコードがありまして、これはフロイドの最初の2枚の作品をやや安く体験できる有り難い企画モノ。勿論フロイドを後追いで聴いた私はこれに飛びつきましたね。いよいよシドがヤバくなってきた時期の作品で、ギルモアが補充要員として登場しましたが、彼の活躍が本格化するのはもう少し後になります。
さて、その後の音楽的展開を顕著に表しているのは"Set The Controls For The Heart Of The Sun (太陽賛歌)""A Saucerful Of Secrets (神秘)"という事になりましょうし、非常に魅力的な作品であることは確かです。特に「神秘」は延々と続くカオスを経てからの、まるで暗闇に一筋の光明が射すような最終部のコーラスは神々しいばかりに感動的です。でも、私が当時最も惹かれたのはシド・バレット最後のフロイド作品となってしまった"Jugband Blues"であります。その明らかに精神を病んだ人間が書いたとしか思えない歌詞もさることながら、中間部での救世軍バンドによる滅茶苦茶な演奏、妙な余韻を残すエンディングは初めて聴いたときにはとにかく怖かった。いま改めて聴いてみるとむしろ「The Madcap Laughs」に収録されるべき一曲だったような気もしてくるほど、確固たるシドの世界であります。細かい話にはなりますが、この作品にもMONOヴァージョンがありまして、ステレオ版とはヴォーカルなどに違いが見られるそうであります。

More (モア;1969)

「雲の影」同様、サントラであるが故に比較的軽視されがちな作品。全体としてみれば確かに散漫な印象は拭えませんが、なかなかどうして魅力的な作品です。未聴のひとは是非明日CD屋さんに行くように。冒頭の「サイラス・マイナー」、70年代前半のライヴには欠かせなかった「シンバライン」&「グリーン・イズ・ザ・カラー」などの佳曲で充分元が取れます。そして、”UMMAGUMMA”へ繋がっていくフロイドならではの独特な空間がこの時点で既に確立しているのに驚かされることでしょう。「エンブリヨ」が入っていてもうなずける様な雰囲気が良いです。まあ一週間で仕上げちゃったという割にはよい出来ではないでしょうか。「ナイルの歌」の妙なMIXのバランスなんかは、やっぱり手抜いたのかなあ、なんて考えちゃいますが。ところで、私本編の映画作品は未見なのですが、映画自体の評価ってどうなんでしょうねえ。ビデオもどっかで見かけたような気がするんですが、未だに観るチャンスがありません。ヒロインの女優さんは、ジャケ写真観る限りでは結構そそりますね。


Animals ( アニマルズ ;1977 )

どこかしらとらえどころのないフロイド音楽世界にはまっておった私ですから、前作の「Wish You Were Here 」から待ちに待って2年、発売告知に当然予約。ところが予想をまたも裏切る今度はアグレッシヴなアルバムを発売当日に手にして、ちょっと困惑してしまいました。これだけダイレクトなメッセージ性に満ちた彼らの作品をいったい誰が予想し得たでしょう(と正当化する)。詞も音も、以前のフロイドに比較して最もハードで、全編に何やら重苦しい空気が漂っております。社会性に訴えるアルバムのテーマのためかとは思いますが、加えて、やはり「狂気」の影からどうしても逃げられず、あがくフロイドの姿が見え隠れします。現在でも、フロイド作品中あまり評価の高い作品ではないようです。デイヴ・ギルモアもおそらく「原子心母」同様あまり気に入っていないんじゃないんでしょうか?ライヴでも一切演らないし・・・。ただ、曲単位で言えば、「ドッグス」なんて勢いがあってとても良い曲で、ハードロックとして私は好きですね(戦争の犬たちの10倍は良い)。さて、このアルバムのアナログ盤のライナーには、横尾忠則、村上龍、篠山紀信、鰐淵晴子など、フロイドをおそらく最初期から聴いていたであろう方々のコメントが掲載されていて、非常に興味深いものがあります。


The Wall
( ザ・ウォール ;1979 )

前作品に続き、私はリアルタイムで発売を待った70年代最後の大傑作であります。
ミュージック・シーンと言えばニューウェイヴがロック界大御所の足元を揺るがせていたこの頃、いかにもクラシカル&壮大なコンセプト・アルバムで、尚かつはっきり言ってとても陰鬱なこのような作品が、しかもLP2枚組のセットが(しつこいですな)全世界で1,000万組み以上も売れに売れたという現象は大いなる謎であります。
さて、フロイドの歴史を俯瞰して考えてみると、例によって難産であったこの作品、過去の流れとは明確に異なる点がいくつか見受けられます。

(1).彼らにとって最初で最後の「ロック・オペラ」作品であること。

皆さまご存じの通り、ストーリーの骨子はあのThe Whoの”TOMMY(69年)”にとても良く似ております。父親の不在(このトラウマ度は壁>TOMMYでこれは確かに重要です)、宗教的方向をたどるカリスマへ至るプロセス、最終的に自己の解放がゴールであることなど、一目瞭然です。しかしながら音楽を聴いた印象がやはり違うのが面白いところ。”TOMMY”があくまでPOPなトータル・ロック・アルバムを目指していたのに対してこちらはあくまでも意識の深淵へと一直線に迫るが如く展開され、まさにプログレ性・というかロジャーの不器用さ・・・語弊があるとすれば真摯さを示しております。この辺はGENESISの「羊」に近いとも言えますが、音楽的には「羊」の方がはるかに滑らかに感じられますね。

(2).ロジャー主導の制作体制が完全に確立した作品であること。

「フロイドの70年代は独裁制へ向かって突き進んで行った過程」というのは極論かもしれませんけど、少なくともこの作品についてはこの辺がポイントになるような気がします。別に一部始終観てた訳じゃないですが、「一体他のメンバーは何やーってたんじゃ!」とも言いたくなるような著作クレジットです。確かに制作コンセプト&デモの提出はロジャーによって行われたらしいですが、これってバンドの作品か?”アニマルズ”あたりからこの傾向は定まっちゃったのかなぁ・・。
しかしながら、確かにフロイドのアルバムの中でこれほ作品としての一貫性のあるモノは他に無いのですよね。

(3).ロジャー以外のメンバーの貢献度が異常に低く、リー・リトナーなど外部のミュージシャンが多数参加しちゃったセッション・アルバム的な作品と化したこと。

リック・ライトが制作中にクビになったのは有名な話ですが、前後してメンバー以外のミュージシャンがゾクゾクとスタジオに呼ばれました。云わばロジャーのソロ・アルバム化したんですが、これは邪推するに、ロジャーがイニシャチヴを握るのと引き替えに取らざるを得なかった手段ではなかったのではないか・・・。
リック・ライトが70年代前半のフロイドでも音楽の要であったことはどなたも異論のないことと思いますが、(理由は別として)彼の失速と入れ替わってロジャーの力が大きくなっていったと映ります。自分の目指すコンセプトを実現するにはあまりにも非力と映ってしまったのでしょうか・・・。フロイドにずっと親しんできた私にしてみれば悲しいことであります。最も聴いた当初はこの辺の事情に全然気づきませんでしたけど。一方相当突っ張って曲をものにしたと思われるデイヴ・ギルモアの健闘はありがたい限りです。「Comfortably Numb」のギター・ソロと「Run Like Hell」だけで、私はPOPに救われた気がしますもの。この2曲は、間違いなくこの大作の聴きどころです。

(4).どうやら、ロジャーは”シド”を完全に対象化したらしいこと。

シド・バレットへの懺悔と畏怖は、ある時期までロジャーにとって永遠のテーマであるかの様に見えました。
この作品中、主人公である「ピンク」の天才肌でありながら破滅型の性格や、ドラッグ依存の描写には間違いなくシド・バレットの影が窺えるのですが、「壁」における”シド”は完全に素材化しており、「炎」にみられる彼への悔恨は全く感じられません。これは凄いです。「炎」では確かに普遍性も絡めて”シド”をテーマにしていたと思われますが、実際間違いなくあれで完結していたんですねー。「アニマルズ」はテーマが違うから、まだちょっと様子見ないと解らんなーと傍観していましたが、「炎」に完全に昇華してしまっている。この割り切りは流石であります。まさに、自分の精神性こそ作品の拠り所とするミュージシャンなんですね、ロジャー・ウォータースって人は。

・・・で、お気づきでしょうが、私にとっては好き嫌いをいまだ判断出来ていない問題作であります。余計なこととは云え私はつくづく思うのですが、当初の構想通りこのアルバムが3枚組で発表されていたら、この時代に多分こんなに爆発的に売れてはいませんでしたでしょうね。その点、プロデューサーのボブ・エズリンとロジャー・ウォータースの抗争も無駄ではなかったのね、と感慨深い今日この頃であります。ところで、映画化された例のアラン・パーカー作品は、コンセプト・メーカーが満足しなかった割には相乗効果の期待できると言う珍しいモノです。それから勿論、有名なベルリンのライヴは誰が何と言おうと必見です。歴史的な意義も含めてね。


The Final Cut
( ファイナル・カット;1983 )

皆さんご存じの通り、ロジャー・ウォーターズの初のソロ・アルバムですね。あ、間違った?その前に「壁」ってのががありましたか・・・なんて冗談はともかく、このアルバムはロジャー個人のトラウマを合法的に昇華した作品として、歴史に名を残すことになりました。いずれにしろ一人になっても創りたかったんでしょうな。はっきり言って、この作品には音楽的なカタルシスは確かに希薄です。囁く如きロジャーのヴォーカルがほぼ全編を支配しているためでしょうか。リック・ライトは既に消え、ギルモアもなんだかやる気がなかったと聞きます。音楽的に多大な貢献をしてきたと思われるこの二人と無縁のフロイド作品ですから、「壁」以上に鬱々とした内容になっちゃうのは当然の帰結でしょう。なにしろ「詞」の量が尋常ではないのは、稀にみる(個人的なものにしろ)コンセプトの重さを伝えようとするにあたっての不器用さだとしか思われず、どうしても起伏の乏しさを生んでしまう。しかしながら、これほどの異様な迫力がいったいどこから来るのかという事を考えるに及ぶと、この作品の重要さはやっぱり無視できないのではないかとも思ってしまいます。「鬱」との立脚点の極端な違い、及び結末の救いのなさの故にすごーく好き嫌いの分かれるところだとは思いますけど。「壁」では人間と社会の愚かさに反抗した人間が、出口を求めに求めて最後にはある種の光明を見つけそうだなーって感じで帰結していたのに、その続編とも言える本作品では、人間の愚かさ故に取り返しのつかないこととなってしまうのですから。この、戦争という行為へのロジャーの怒りは、同コンセプトを持つ「AMUSED TO DEATH」という作品へと受け継がれていくわけです。(しかし、「死滅遊戯」の邦訳はないよなぁ。ブルース・リーじゃないんだから)そして、音楽的なイニシァティヴを100%掌握し、かつほとんどゲスト・ミュージシャンの力を使ってこの作品を創り上げた自信が彼に「ピンク・フロイド」の名を葬ろうと決意させたのでしょう。彼にとって「ピンク・フロイド」=「ロジャー・ウォータース」だったのですから。ところが、ギタリストは決してそうは思っていなかったのでした。


A Momentary Lapse Of Reason
( 鬱 ;1987 )

「ピンクフロイド復活!」と聞いて、プログレファンがCD屋さんに殺到したあげくの果てに、昔からのファンの大部分がまさに鬱状態に叩き落とされたという歴史的作品。そして結構売れました。賛否両論渦巻く、というよりも否定的な意見が大部分を占める世論(は大袈裟か)の中、全米・全英最高3位までいったそうです。「抜け殻のフロイド」、「良くできた贋作」(by Waters)とまで叩かれながら、何故売れたか?そりゃーやっぱり、「フロイド」の名前の効果は避けて通れませんけれど、曲もそれなりに良かったと思います。これ、「フロイド」の名前にこだわらなければ結構名曲もあったりしますし、ギルモアのギターの鳴きっぷりとかは、特筆に値しますよね。今の私は割と肯定的に聴けます。さすがに、「Bell」にはついていけませんでしたが。余談ですが、私80年代はプログレ的には冬眠状態にありまして、フロイドに再会したのは90年6月の「ネブワース・フェス」でのTV放送時。”Sorrow”を初めて聴き、「こんな曲知らん」と驚き、バンド・メンバーの数の多さに二度驚き・・・。しかし、一番驚いたのは、ギター弾いて歌っていた人が新しい人になっていた・・・のではなくて、10数年ぶりに見たギルモアが、まるで鬼のような容貌と化していたことです。

Delicate Sound of Thunder( 光〜パーフェクト・ライヴ ;1988 )

大変恐縮ですが、私このCDは保持しておりませんでしたいずれ手に入れよう・・・ナニ何時でも大丈夫と思って居る内にここまで来てしまったのです。
前半は「鬱」からの新曲(申し訳無いのですが”The Dogs of War”はついついとばしてしまいます)、後半は70年代の名曲のライヴといった構成となっており、70年代の作品は編成の関係もありロジャー時代よりも音が見事なまでに重厚で、完成度は非常に高いです。「鬱」以来、コンセプトの形骸化があーだこーだ言われてしまうフロイドではありますが、ウォール・ツアーまではアルバム単位でライヴを演るのが当然!という姿勢だった訳で、この名曲中心の親しみやすい構成は新たなファンを開拓する効果もあった様に思われます。ところで、前作よりシングル・カットまでされた”One Slip(理性喪失)”が無いのは何故でしょうか?共作者のフィル・マンザネラさんが駄目だしたんでしょうかね。ちなみに映像版もありまして、こちらには”One Slip”も入っておりますが、国内版からは”Money”がカットされております。この映像版は画像の処理が凝りに凝っているが故にフロイドのライヴの雰囲気が掴みづらく、イマイチファンには評判が良くないという可哀相な代物ではありますが、プログレオヤジ方面では「コーラスの女性の方々の一体誰が好みであるか」などと言った卑近な話題で盛り上がったりする事が出来る、など重宝なブツではあります。

The Division Bell( 対 ;1994 )

正統派のプログレ・ファンの評価はいかがなものでありましょうか。発売当時は「鬱」路線を踏襲したかつてのフロイドらしい音を拡大再生産したアルバム、という厳しい批評もちらほら見かけたものです。何を隠そう私もそう思っていた一人でして、購入して2回聴いてすぐ人に貸してしまい、3ヶ月間戻ってこなくともほとんど気にしないという有様。最近になって再び耳にしましたが、歳取って人間丸くなったせいか、実際には音だけに着目すればなかなか良く出来たPOPアルバムではないかと思います。実際シングル・カットされた「Take It Back」など、イギリス的で実に良いサウンドではあります(私は「天の支配」のライヴ・ヴァージョン聴きたさに買いましたが)。ギルモアはいよいよこの方向で稼いでいく覚悟を決めたのでしょう。前作に続いて更にプログレ度は薄くなった嫌いはありますが、まあそんなに目くじら立てることもないでしょうね。
しかしながら邦題はいただけませんねぇ。ジャケット見たそのまんまではありませんか!パッと3秒で決めたっちゅう感じがいかにもイケナイ。まったく「炎」といい「鬱」といい、もう少しちゃんと考えて欲しいものであります。確かに覚えやすいけど。


p・u・l・s・e
( パルス;1996 )


変形ジャケット(背面のライトが1年間点滅するというありがたい仕掛け)が話題になりましたね。こんな細工要らないからもっと価格安くしろよ!という人も多かったのではないかと推察致します。「対」発表後のツアー収録のライヴで、売りは「狂気」の全曲再演でした。コーラスやエフェクトを含めて確かに演奏はスタジオ版が完璧に再現されてはいます。74年頃の「狂気」発表直後のライヴに比較すると、その完成度には目を見張るものがあります。しかしまあこれは、演奏スタッフの充実とテクノロジーの進歩、或いはインプロを極力排除し定型化させることによって演奏が安定した、ということに起因することであって・・・私なんかはやはりどうしても「狂人は心に」あたりではロジャーの神経質なヴォーカルが懐かしくなっちゃったりするのですよ。安心して聴ける、という点では充分評価できるとは思いますけど。
さて、このアルバムには、「対」からも新曲が収められていますが、むしろファンが喜んだのは久々の「天の支配」や「狂ったダイアモンド」の延長バージョンでしょう。
DISC2には「あなたがここにいて欲しい」が収録されています。このHPを始めてから励ましのお言葉をいろいろ頂いていますが、「昨日パルス収録のこの曲を聴いて何故だか解らないけれど、泣いてしまった」という方からメールを頂いた事があります。この曲、大観衆がデイヴ・ギルモアと一緒にフル・コーラス歌う様子が、とてもとても感動的なのです。

「壁」を初めて聴いた当時はそうでもなかったんですが、最近では”Comfortably Numb”が異様に好ましいものに思われて参りました。初聴当時はZEP関係のコピーに邁進していたお年頃だった事もあり、特に2回目のギター・ソロのペンタトニック・スケールにヒネリや新鮮さが感じられず(と思ったんですよその時は)さほど気にならない曲だったのですが、この年齢になってその聴かせどころのツボをはずさぬ大いなるマンネリズムというか潔さが心地よくなって来たのですね。恐らくは毎演奏時にちゃんとやっていると思われる冒頭のピッキング・ハーモニックスも「用意はいいですかみなさーんっ!イクぞー!」といった感じでこっちは思わずダーッとやってしまいますね。さて何でもPINK導師のお話では、調子に乗ったステージでは10分以上の曲に発展してしまったこともあるそうで(勿論長い分はギター・ソロ)、今やフロイド・ライヴのクライマックスには欠かせない曲となっておりますね。

さて、この項を書いたのはHPを始めて比較的早い時期だったんですが、その当時私はアナログに別れを告げつつあり、レコードは出来るだけ処分してCDに買い替えよう運動を実践してしまっていたものです。今となってはとんでもない事をしていたのですなー。その後同盟関係諸氏のご教示により、アナログの魅力を存分に耳のあたりにさせて頂き、再び30cm四方の物体が狭い住居に増えつつあります。従ってPINK導師の悪魔の囁きはもはや鬼に金棒の世界を地で行っておりまして、結局某輸入通販サイトにてアナログ4枚組44,99jを購入するに至りました。音源的には「One Of These Days」1曲が多いほかはCDと全く同じと思われますが、重量級レコード1枚の手応えがまた心地良く、そして言わずもがなLPサイズの写真集が何とも豪華、ではあります。

 

 

Shine On ( シャイン・オン ;1992 )と云う罪なBOX

オリジナル・アルバム7set・8枚組+ボーナスCD1枚として発売された邦盤24,000円のセット。気の利いた輸入盤屋ならCD20枚買えるという仰天のこのBOX、よほどのコアなファンじゃなければ買わないのではないかと思いきや、ボーナスの初期シングル・コンピCDと豪華そうなブックレットの魔力に魅入られて手を出した方は多かった模様ですね。
皆様お気づきの通り、私もその中の一人であります。しかも、発売当時はプログレ再突入前だったので、本屋で何気なく手にとって「アレー?フロイドってまだ演ってたのね」みたいに通り過ぎ、その3年後自分自身を見失いつつ仙台中を駆け巡り、一週間の彷徨の果てに幸運にもど−ってこと無いJ-POP屋で埃を被ったブツ(一応新品)を発見し、(その時は)死んでもイイ、と感涙したクチです。
さて、このBOXの論議の的になったのは以下の3点でしょう。

@「アルバム単位」の構成
アナログ一枚に対してCD一枚という構成で、フロイド作品をCDに買い換えようかなーという人にはありがたいが、既に所有しているファンはボーナスCDとブックレットや絵葉書の為に清水の舞台から叩き落とされなければならない。確かに裏返せばフロイドが自らの作品=アルバムと言う強固な意志、或いは自信を持っているという証明とも云えますが。
Aギルモアの視点と判断でアルバムがセレクトされていること
「夜明けの口笛吹き」、「ウマグマ」、「原子心母」、そして最大の問題は「ファイナル・カット」をカットしていること。ファーストはギルモアが関与していないから当然でしょうし、他の3作品は彼が気に入っていないからでしょうけどね。ただねえ、コンプリートは無理としても、重要性から云っても「鬱」入れるんだったら「ファイナル・カット」を収録して欲しかったっと思った人は多いと思います。
B箱の無意味な大きさを始めとする様々な特別仕様のために気軽に聴けない
まず箱の置き場所に困ります。CDのプラケースも特注品ですので、何かの拍子に破損したらどうしようかと思うととても心配になります。車に持って行って気軽に聴いたりはとても出来ません。(実際私は夜酒呑みながら楽しんでいて、酔って足で踏んでヒビを入れてしまい、泣きながらアロンアルファで修復しました。自業自得ですが)

という訳で私個人的には「未発表ライヴ音源+シングル集」でも充分じゃないかと思ったんですよ。よほど手に入れ易い価格設定が出来たでしょうし、その実質価値も更に納得できるものとなったことでしょうに。残念ながらCBSはこの形を取ってしまったのですねぇ。確かにあのブックレットには面白いことが結構書いてますし(シドについての記述が非常にあっさりしているところがまた妙ではあります)、貴重な写真も掲載されてますが・・・やっぱり高いよなー。

シド・バレットの「The Madcap Laughs」

フロイドのオリジナル・メンバーにして名付け親であるシド・バレット。最近の消息はとんと聞きませんが、いったいどうしているのでしょう。
彼のソロ作品は公式には3枚発売されています。恥ずかしながら私がこれらの作品を初めて耳にしたのは、もう90年代に入ってしまってからでした。個人的にはプログレから一切離れていた時期を経ていたので、「The Madcap Laughs」は一曲目である「Terrapin」から許容範囲を超えた衝撃でした。そんなに衝撃ばかり受けて良く生きとれるなぁ、なあんて言われそうですけど、あれを初めて聴いた人は良くも悪くもやっぱり相当びっくりすると思います。これから聴いてみよう!という方はそれなりの覚悟が必要です。少なくとも慣れるまでは夜一人で聴かない方が得策でしょう。この作品中の曲は特にそうです。あと、2枚目の「Barret」の「Maisie」及び3枚目「Opel」のタイトル曲にも油断しないで下さいね。
ということで本題に入りますが、彼の作品の魅力は、その「怖さ」であり、(誤解を恐れずに言えば)やはり
隠くそうとしても隠しきれない「狂気」の味わいということになるでしょう。例えば、フロイドの作品の中で、一聴して「キモチ悪ーい」&「何だかワカラなーい」と宣うひとは数あれど、「怖い」と言う方はそれほど多くないんじゃないかと思います。何故「怖い」かというと、やっぱり残念ながら、遠くへ行ってしまった人が創った作品だからでしょうね。彼の作品にはなにやら妙なギターコードを別とすれば、のどかなムードが漂う曲調が多いのですが、バレットの焦点の定まらないボーカルが加わることによって、これらの作品は異様な「輝き」を放ち始めるのです。そして、このアルバムの最も優れたポイントは、聴き手のイマジネイションをこれでもかと刺激してくれることでしょう。さらに言えば、視点を変えればこの作品はフロイドの「裏狂気」であって、実際に「月の裏側」に行ってしまったミュージシャンからの貴重なドキュメントと言えるのではないでしょうか。制作過程を無理矢理教えてくれたボーナストラック付きのCDやBOXは、この作品がシド・バレットの「危うさ」を実は狙っていたことを充分教えてくれましたが・・・。次作「Barret」では、この魅力は残念ながら半減しましたが、価値は依然変わりません。