ヨロンマラソン完走記

 有明埠頭から沖縄行きのフェリーで出発する。東急観光のパックツアーで家内
と参加。8日から7日間の旅で79000円/一人。フェリーでの食事は自己負
担だが、ヨロン島での食事は3食付。リゾートホテルを利用するが民宿を利用す
ると59000円となる格安ツアー。

 フェリーに集まったメンバーは自己紹介、千葉から男性の若者グループ4名。
お母さんと女子小学生と男子中学生の3名の親子。一人で参加した名古屋の若者
(男性)と埼玉の60歳代の男性。それに私達夫婦の11名だった。数百名は乗
れる船に、一般客を足しても僅か20名程の乗客だ。

 ツアーのクラスは2等寝台。12名の部屋を4部屋確保してあった。それぞれ
のグループが1部屋づつ利用できたので個室寝台みたいなもの。部屋には衛星放
送を受信できるテレビがあるが、船旅を楽しみ普段の生活から離れるため余り見
ないことにした。

 ヨロン島までの54時間で食事は合計7食。船のレストランで朝食は定食で6
00円、昼食と夕食は注文取り。夕食は日替り定食など800円から1000円
まで、量や質はまぁまぁ。アルコールは自動販売機で求めるが、早速オリオンビ
ールを購入。

 起きている間は、船備えつけの本や週刊誌を読んだり、運動不足にならないよ
うにデッキにでたり体操をしたり、努めて身体を動かすよう努めた。しかし、食
べて寝て風呂に入ってデッキに出て岬などの景色を眺める繰り返しで、休養にな
ったというより運動不足の感じだ。

 奄美大島近海を航行中、船内放送で「右舷前方に鯨の塩吹きが見えます」と、
全乗客や乗組員までデッキに出て、目を凝らして眺める。そうすると波間に2.
3回、塩吹きが見えた。真横50m付近まで接近すると、大きな黒いものが波の
上に現れた。あっという間に消えたが確かに鯨。カメラを向ける間もない瞬間の
出来事だ。幸運にもホエールウォッチングが出来てフェリーにしてよかった。

 54時間の船旅が終わり、遥か遠くまでやって来たとの実感。船がヨロン島の
港に着岸したのが深夜の2時半。ホテルから迎えに来たワゴンに乗ってホテル入
り。ギリシャ風デザインのコテージ式リゾートホテル。長旅の疲れを抜こうと風
呂に入ろうとするがお湯が出ない。仕方がなく、毛布一枚のベットに寝ることに
した。寝たのは朝の4時頃。毛布一枚では寒かった。部屋にはクーラーのみで暖
房設備はない。やはり温泉に入り和室で布団に寝るのが好きだ。

 3時間程寝て、朝食。午前中はマウンテンバイクを借りて島を一周。家内は睡
眠不足でいやだと言うので一人で出かけた。マラソンコースを辿ることにした。
コースには距離表示や歓迎ノボリやコース案内標識など設置されていて迷う事は
ない。念のため地図とコンパスは持参する。

 余り平らな所はなかった。アップダウンの連続でギヤチェンジが忙しい。家内
を連れてこなくてよかった。もし一緒であれば悲鳴を上げて帰るか、一周回るの
に4時間以上かかったであろう。島一周22キロを2時間かかり帰る。余りにも
体力を消耗して明日に影響しそうの感じだ。

 午後からは、オプショナルツアーで申し込んでいたグラスボートに乗って百合
が浜と珊瑚礁の見物。百合が浜は、干潮になると岸から1.5キロほど沖合いに
砂浜が現れる場所。ここに到着すると素足になって砂浜に降りる。星砂といって
美しいところ。この砂を袋に詰めていた人もいた。

 船の底がガラスになっていて、珊瑚礁や熱帯魚が見えるようになっている。直
径2mもあるテーブル珊瑚や青色の枝珊瑚、それに黄色い熱帯魚など、全てが初
めての経験なのでそれはそれは美しい眺めだ。

 当日は、朝4時半に起床し5時から食事。ホテルの食事は朝も夜もバイキング
形式で、毎回の食事は腹一杯食べ過ぎの感じ。おまけに船でも食べて寝ての生活
で栄養補給は充分過ぎで太り気味。

 6時45分のバスに乗ってスタート地点へ向かう。8時スタートなのでストレ
ッチなどして過ごす。天気は芳しくない曇り空。風も強い。予報は雨マークで心
配になる。スタートは4時間の立て看板付近に位置する。回りには地元の小学生
や中学生の団体が先生の引導で参加していた。この大会の参加資格は10歳から
となっている。

 スタートして町内を通り島一周コースへ入る。島外周をほぼ一周して折り返し
同じ道を戻るコースだ。アップの厳しい60m程のピークがあるので2回クリア
することになる。眺めの良いピークは、行きはよいよい帰りは地獄。美しい珊瑚
礁の海が見えたり、さとうきび畑の中を走ったりのコース。島には交通信号が1
ケ所しかない。しかも点滅信号となっていた。

 コース上での応援がまたこれ今までに経験しないようなすさまじさ。ランナー
より応援者の方が多く、島民総出の感じ。太鼓や鍋やフライパンや音の出るもの
は何でも持ち出して打ち鳴らしていた。この応援に最後まで走らされてしまった
感じ。往路はこの応援に答えていたが復路では、心の中でありがとうさんです。

 後でバスガイドが話していたが、島人口6500人のヨロンは、お祭りが少な
くマラソン大会は、大きなイベントで島上げてのお祭り、島外からやってきた人
を暖かく迎えて歓迎するのが習わしになっている。まさにその通りだと感じた。

 給水所も数多く用意されていて、給食もバラエティに富んでいた。名物の黒糖
からオレンジ、レモン、バナナは当り前、おにぎりやトン汁まである。6時間以
上のゆっくりランナーでも給食はたっぷり取れる。

 天気もスタートして1時間程度しか持たずに雨となった。温度が高いので雨で
も気にならない。ただ復路で海からの風が強く雨が横から吹き付けてきたときは
体力が消耗してしまった。

 折り返してから、タイム計算すると4時間が切れそうなので、最後のピーク越
えも35キロの壁も歩いたら4時間が切れないぞと言い聞かせながら走り続けた。

 ゴールでは一人一人の名前を紹介され、花束とヨロン焼きの完走メダルを頂く。
このメダルは地元小学生が心を込めた手作りだ。

 ゴール後にバスでホテルに帰り、風呂に入って東京国際マラソンのテレビ観戦
(何とヨロンでも写っていた)をしながら支給された大きな弁当を食べ、眠くな
ったのでしばらく昼寝。

 16時から完走パーテーがあるので、またバスで会場まで出かけました。速報
板を見ると驚いたことに年代別速報に3位となっているのではないか。総合順位
でも133位となっていた。

 表彰式は終わっていたので本部まで行くと「それでは表彰しますからカメラを
用意して」と言われ、表彰台の3位の台に登るが、役員が1位の高い台に登れと
言うので、登ると大会実行委員長から、表彰状を読み上げられ銅メダルをかけら
れた。こんなことはマラソン大会始めての経験。

 泊まっていたホテルの前では、ホテルのカメラマンが一人一人のランナーを往
路復路の2回撮していて、ホテルに帰るともう仕上がっていて、どうぞお持ち下
さいと無料配付していた。

 コース上の何カ所かとゴール地点(ゴールタイム時計が写っている)で撮して、
記念文字入りの大きなキャビネ版にして、もう完走パーテーの会場で掲示販売し
ていた。これも記念になるので2枚購入。

 ビデオ撮影もゴールで一人一人撮していた。大会名やゴールタイムのテロップ
を入れたりして編集し販売していたので、これも記念になるので申し込む。

 大会に参加して感じたのは、地元の方の熱のいれ方が肌に伝わってきて、とて
も気持ち良く走れた。こんな気持ちで走れたのは、数多くの大会で始めてのこと。
ホノルル以上の素晴らしい大会だ。参加定員が1500名と言うのも納得。島へ
入る飛行機便と船便、宿泊の設備からこの数字が出で来るのだろう。ヨロン港か
らでる船の見送りでは、関係者がわざわざ港までやってきて花束や別れのテープ
で「さよなら、来年も来いよ」と。

 家内も一緒に出かけたが、来年も参加しようかと、もう帰ってからジョギング
の練習を始めた。さて来年はどうなることやら心配だ。制限時間は8時間だが、
8時間以上もタイム計測しているらしく、同じホテルに泊まった74歳の名物お
ばさんは速報で8時間34分と載っていた。

 大会の翌日は、半日島内バスツアーして船で沖縄へ向い那覇で1泊。翌日の沖
縄は、南部観光バスツアー。ひめゆりの塔では、バスガイドの話と、資料記念館
で生き残り乙女の方の話と、経験作文を呼んで涙が流れた。

キロ           キロ
S  30 30       22  10:56  1:58:47
2  11:31   12:02  24  11:01  2:09:48
4  10:41   22:43  26  11:12  2:21:01
6  10:35   33:18  28  11:30  2:32:31
8  10:10   43:29  30  11:29  2:44:00
10  10:42   54:11  32  12:17  2:56:17
12  10:48  1:04:59  34  12:23  3:08:41
14  11:03  1:16:02  36  12:38  3:21:19
16  10:25  1:26:28  38  11:53  3:33:13
18  10:45  1:37:13  40  11:56  3:45:09
20  10:38  1:47:51  G  13:33  3:58:42