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GAME HISTORY

けいつーと言えば、ゲームをはずしては考えられません。
ここでは、けいつーのゲームに対する情熱とポリシーを
紹介します。


ゲーマーとしてのけいつー
  最初にやったゲームって何だったろう。今となってはもうかなり遠い昔のことである。デパートの屋上のゲームコーナーあたりだろうか。学校で禁止されたゲームセンターへの出入りもよくやったものだった。

そういう意味では、やはりスペースインベーダーになるのかな。社会的な現象にもなったし。100円玉つぎこんだのは、このゲームが最初だと思う。少ないこづかいのほとんどを使ってました。それから今までで特に印象に残るゲームをいくつかあげると、まずパックマン。

それまでほとんどのゲームがシューティングだったのに対し、閉鎖された迷路の中のドットを消していくという、一見地味な内容に見えますが、これがなかなか。4匹のモンスタの動きを予想し、ときにはフェイントをつかったりしながらドットを消していきます。一定時間モンスタを食べるようにできる4個のパワーエサの食べ頃をはかるのもかけひきがありました。

そのうち仲間内でモンスタの行動パターンを分析し、スタートから効率よくドットを消し、モンスタを食べられる道順なるものの開発が進みました。その結果、楽に10面、20面とクリアできるようになりました。その後、いくつかパックマンを題材にしたものが出ましたが、私は最初のパックマンが一番好きです。


そしてセガのゲームは世界いちぃぃぃ!
 そしてゲームセンターのそれまでの不良の溜まり場的なイメージが徐々に取り払われて、体感ゲームなるものが出てきました。スペースハリアー、ハングオン、アウトラン、アフターバーナーなどがそれです。そうこれらこそがセガのゲームなのです。家庭用ゲーム機ではロールプレイングゲームがはやるなか、スピード感と迫力のゲームをアーケードに出してきました。

そのうちゲームの主流はカプコンのストリートファイターⅡの格闘ゲームなるジャンルのものに移ります。このゲームの画期的なところは、それまでレバーでキャラの移動ボタンで1アクションと決まっていたものを、コマンド入力なるもので多数の技が出せるようになった事です。現在ではもうあたりまえのように行われてますが、これによってゲームに広がりがでました。

そこでセガが市場に送ったゲームはなんと3D格闘ゲーム、バーチャファイターでした。それまでの二次元ゲームとは違い、まさに仮想現実。未体験な世界にはすぐとりこになってしまいました。そしてその頃から対戦格闘というスタイルが普及しはじめました。シリーズは第3弾まで進化し、とりこになった人々はバーチャジャンキーと呼ばれました。私もそのひとりです。


電脳戦機バーチャロン
  ちまたでバーチャファイターが稼動しているなかで、バーチャロンなるゲームが新しく出るという告知がゲームセンターにありました。最初はバーチャルな麻雀ゲームかなと思いましたが、見てびっくり。3Dロボット対戦ゲームでした。ガンダム好きな私は、カトキハジメデザインのこの機体はすんなり受け入れられ、モビルスーツでの戦いはこうじゃないかとガンダムの世界とオーバーラップさせたものでした。


<左の画像はけいつーがネット対戦で駆る、アファームド・ザ・バトラー。カラーリングはゴッドガンダムカラー。エンブレムはもちろんキングオブハート。>                                         しかし、一部の層にしか支持されなかったバーチャロンは回収率もあがらず、ツインスティックという独自の操作機構のためか、最寄のゲーセンから半年ほどで消えていきました。その後、サターンに移植されたものの、アーケードとの差にがっかり。もうこれまでかと思いました。アーケードにパワーアップしたバーチャロンがオラトリオタングラムとなって帰ってきました。キャラクターもさらに磨きがかかり、動きも抜群。スピード感も最高です。

当然ドリームキャストに移植されますが、ほぼアーケードと違いなく、さらに通信対戦なるものまでついてきたではないですか。もうやるしかないです。前作からのマイキャラのアファームドで日夜戦ってるけいつーなのでした。