永遠(とわ)の 語らい 【閲覧注意】作品内容説明表現(いはゆるネタバレ)あり)
 邦題がカタカナでないのがいゝ。人が死んだり怪我をしたりする直接表現がないのもいゝ。それはともかく、世界史上の主要地を巡る一見観光案内風とも見える淡々とした映像のなかに、聴き捨てならない台詞が満載の映画だつた。
 教訓は明解。幼児を脇に連れて避難する際は、どんなことがあつても子どもの手を離してはならないこと。また、子どもが関心を示した物を忘れると取り返しのつかないことにつながりかねないこと。と、これはほんの表面的な話。主題は、たぶん、戦争と破壊の歴史を巡り我が子に教へ諭すことゝ、異言語間の同時対話で交はされる才女たちの話題とで、文明の本質を知り人間の(自然に対する)弱さを自覚し、異なる文化や異なる宗教の壁を越えた相互尊重なくしては真の平和を得ることはないのだよ、との語りかけだつたのではないかと思ふ。
 直接的な表現は多くはないものゝ、イスラム教対キリスト教や支配者対奴隷などの話題が聴き逃せなかつた。それに、悲劇の原因が生じた問題の寄港地は、船籍がかつての敵国だつたことが説明されてをり、さらにはその地での買物が遠因で二人は不運に導かれたのだともいへる。もつといへば、そのかつての敵国(の人形)を守つてあげると言つて自らが亡くなつてしまふのだ。
 たしかに結末は悲劇かもしれない。でも、全く同様の犠牲は、現実には今も相変はらず世界で無くなる気配もない。この映画は、世界中の政治家たちこそ真摯に見るべきだと思ふ。
 ところで、犠牲者の一人は戦ひの歴史をよく知りつゝも現代社会を同時代人としてさほど矛盾には感じてゐないやうなふしもあつたが、これは、ポンペイの住人がふしだらで神の罰を受けたといふ伝説ともつながるのではなからうか、なんていふことも頭をよぎつた。
(2004年5月22日、日比谷シャンテシネ2)
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このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
(内容については実質的には2004年5月22日版)