スクール・オブ・ロック 【閲覧注意】作品内容説明表現(いはゆるネタバレ)あり)
 実際のところはよくわからないけど、私にとつてはいろいろと難しいことを考へさせられるわけではないといふ意味で、わかりやすかつたと思ふ。映画を観て何かわかるかなんてことは、別にどうでもいゝことだとは思ふけど。
 さて、主人公のをぢさんは、言はゞ化石のやうな超正統派ロッカー。自分のためとはいへ小学生たちに熱く語る(怒鳴る?)姿は凄まじいものがあつた。自分で作つたバンドをクビにされ、家賃滞納を糾弾され、愛用のギターを売る決心をしても買ひ手がなく、多少の罪を犯し労せずして現金を手にすることを考へたが教員の真似などまともにできるはずがない。そんななか、音楽の実技を見て一計を案じ、頭の固い親たちが禁ずるロックを小学生に教へ込み新たなバンドのメンバーとして仕込み、ロックをやらうと思ひ立つ。子供たちのためではなく自分のためにである。
 楽器や歌で参加できない子には裏方を指定するところは教育的配慮があり、なかなかいゝをぢさんだつたりするが、それもこれもすべては学校や親に内緒で本番を迎へるために敵を作りたくないのだといふことが容易に想像が付く。それにしても、ロック史を教へたり、すべての楽器の演奏を指南したり、彼の大活躍ぶりは正に超正統派。ロックの魂までをも子どもたちに伝授する。楽才に恵まれた子どもたちは瞬く間にロックを我がものにし、オリヂナル曲の創作にまで及ぶ。
 ところが嘘がばれて絶体絶命に。しかし、今度は子供たちが彼を離さない。半ば強引とはいへ、日頃から抑へられてゐた小学生たちにとつては貴重な解放の場を与へてくれた救世主のやうなをぢさんと友情が築かれてゐたのだらう。かくして本番は大成功。一攫千金の優勝こそ逃したがアンコールの嵐となつた。
 アメリカでも子どもを私立の進学校に通はせる保護者たちは保守的で、本当はロック好きの校長も彼らに気を遣はざるを得ない。ロックは駄目の一点張りの彼らも本当はロックが好きだつたのか、あるいは単に聴かず嫌ひだつたのか、はたまた白熱のライブの力に勝てなかつたのか、それとも我が子の活躍ぶりに溜飲を下げただけなのか、とにかく180度翻つて一転するのだから、これもまた単純と言へば単純。この単純さは、やゝこしい話が抜きに繰り広げられる内容には相応しい。
 子どもたちの本音を汲み取り生き生きした時間をもたらしたロックをぢさんは、子どもたちを束縛から解放すべきだといふ形で、ロック音楽自身も本来的な情熱を取り戻すべきだと声高に訴へたかつたのだらうか。大物に迎合し魂の抜けた上辺だけのロックは偽物だと言ひ切り、見てくれだけの大人に騙されるなと諭す姿は、立派に代用教員ぢやないかとも思つてしまつた。成績でランク付けすることに反対する姿勢なんかもまた妙に力が入つてゐたし。
 放課後の枠で正式にロックを教へられるやうになり、指導陣には大家でありかつてのロック仲間だつた本物の代用教員も楽しさうに教へる姿があつたが、この友人は始めは、連れ合ひの女性に遠慮してロックから遠ざかつてゐたのだ。最後は毅然として自らの意思を貫いたわけだが、その存在は、全体が賑やかなだけに、ほのぼのとした空気が感じられて印象的だつた。
 ところで、子どもたちのロックの演奏はクレヂットによれば吹き替へなしか補助のみのやうだが、演奏技能の巧みさには舌を巻いた。それも含めて、ほゞ全編にわたつてロック音楽が聞こえるし、ロック事情や他の音楽に詳しい人、また、ライブをはじめとしたバンド活動を少しでも知る人には一々頷ける台詞も豊富で、さういふ人たちにはより面白く楽しめることだらうと思ふ。ロックをぢさん(ジャック・ブラック)は、俳優だが実際にロック・ミュージシャンでもあるとのこと。残念ながら私は知らなかつたが、ハッスル直後に息があがつてゐたのはちよつと痛々しかつた。
(2004年5月16日、池袋テアトルダイヤ)
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このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
(内容については実質的には2004年5月22日版)