ぼのぼの クモモの木のこと
 映画館で久しぶりにアニメーション映画を観た。作り物の映像ではあるが声は生身の人間だし、登場人物(?)の‘質感’がまた何とも言へないコンピュータ・グラフィックスだつた。“ぼのぼの”なる名の主人公があたかも縫ひぐるみのやうな生き物で、触つたらさぞ気持ち良いのではないかと思はせる質感なのだ。
 観るきつかけは小さな広告に載つてゐた惹句で、その主旨は「思ひ出は皆美しい」といふもの。実は私は、やゝもすれば後ろ向きだと批判されるほど過去を顧みることに執着する質で、「懐かしさ」とか「二度と戻れないあのとき」とか、さういつた事柄には人一倍心動かされるので、その惹句は見事に私を捉へたのだ。
 たとへば初めて満天の星空に感動したときのことのやうに、この世に生まれて初めて目にしたときの感動を思ひ出すことができれば、現在を生きるうへでも無為に過ごすことが避けられるのではなからうか、などといつたことが、ムーミンでいへばスナフキンのやうなスナドリネコがぼのぼのに語る。
 前後に一見他愛もない物語が進行しつゝ、クモモの木の役割を軸に、それは明確に観る者に届く。はじめ、悲しいことや辛いことがあつた者の心を癒してくれる存在のクモモの木が、神の一撃ともいへる激しい落雷により、かけがいのない思ひ出を明確に思ひ出させてくれる存在に変はるのである。
 特殊な世界からなかなか足を洗ふことが叶はない父を持つ子を取り巻く暗い現実など、決して手放しで喜べる内容ではないが、純粋な子ども向けのアニメらしい可笑しさも存分に盛り込まれ、場が悲しみに沈み込んでしまふやうなことはない。コンピュータ・グラフィックスの成果も、美しいところはとことん美しいが良い意味での陳腐さが求められる場面ではそれなりの映像になつてゐた。
 小さな子にはわからないかもしれない背景を的確に認識できることができる年長の子や大人にとつては、もしかしたら涙する場面もあるだらう。薄幸のなか必死で生きる者がロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)のメロディに乗せて美しい思ひ出を歌ひ、さゝやかな安らぎを得るところなど、そんな場面のひとつになると思ふ。(帰宅後に知つたのだがダニー・ボーイは母が息子を思ふ歌詞とか。設定は異なるが母と子の場面にぴつたりではないか!)
 その他の音楽全般はギター・デュオ中心のゴンチチが担当。独特の雰囲気に実によくあふ逸品であつた。
(2002年8月31日、新宿武蔵野館3)

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このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
(内容については実質的には2002年9月1日版)