ビューティフル・マインド
公開前、電車の吊り広告を見つけて題名に惹かれた。またカタカナか、とも思つたのだけれど、まあ昨今は名訳なんて期待薄だし、下手な邦訳よりは原題がわかつてよいかもしれない(原題は A beautiful mind )。
内容は伝記映画。数学の天才が紆余曲折の末にノーベル経済学賞を受賞するまでが描かれる。モデルは健在の同時代人だが、映画になるだけの個性に事欠かない人(?)。ある病の持ち主である主人公の生ひ立ちが実に巧みに描かれるのだが、その展開はなかなか見事だと思つた。後半は、訳ありの内容が明かされて、そのぶんストーリー展開のおもしろさは後退するのだけれど、病の克服を中心とした、より人間性豊かな内容に遷移する。
その後半は、妻の献身が目立ち、この映画の題名も後半が元になつてゐる。私が同じやうな病を得たら、妻は同じやうに介護してくれるだらうか、などといふことも頭をかすめた。
私がこの映画に見つけた白眉は次の3か所。一つは、即興でオリヂナルの星座を作るロマンティックな場面。作る形が傘とか蛸とかいふのは当事者の変はり者ぶりを象徴してゐるやうだつたけれど、その行為自体は恋愛が順調に進行中のふたり連れが真似をしたくなつてもおかしくないぞ、と私は思つた。たゞし、大都市の夜空では真似したくでもできないかな。
それと、尊敬されるに値する学者はそのしるしとしてペンを差し出されるといふ風習があるさうだが、主人公が若い頃に出会つたその光景に、自分がペンを受け取る立場になつたことをかみしめる場面。紆余曲折の末だけに、その重みが観る者の胸にもくる。
そして今一つは、主人公の受賞式でのスピーチ。勉強一筋の我利我利亡者ではない証がしつかと示されて、妻の献身が報はれる。なんて書いただけではとても足りないのだけれどね、感動の実際の中身は。
と、いふ訳で、人のさまざまな面が観られ、いろいろな意味で面白い映画だと思つた次第。若者から老人まで、独特の主人公を演じきつた役者(ラッセル・クロウ)も巧いと思ふ。ちなみに、この映画では人が殺されることはなかつた。今まで何度か書いてゐるが、私の好きなパターンなのだね、これは。
(2002年4月7日、川崎チネチッタ)
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このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
(内容については実質的には2002年5月3日版)