グリーンマイル
 定員入替制だとか整理券引替要だとか、とにかくたいへんな客入りだと聞いてゐたので久しぶりに混雑する映画館を覚悟してゐたのだが、あに図らんやがらがらだつたので驚いた。人里離れた臨海部、それも午前中からの回とあつてか、休日でも結局は空いてゐたのであつた。
 さて、この映画、3時間を越える大作だつたのに不思議と長さは感じなかつた。振り返れば冗長なところもあつたやうなないやうな、また、スピード感あふれる活劇といふものでも決してなかつたのだが、これは何がもたらすものだらう。
 原作もたいへんに売れたとのことだが、この映画でも、話は実に良くできてゐた。様々な伏線が仕掛けてあり、あとで頷くことがたくさんあつた。ほんの一例を挙げれば、「老ポールは毎朝硬いトーストを持つて散歩にでかける」といふ初期の場面も、かなり終はりでその理由が明らかになる。登場人物もそれぞれに個性的で無駄がない。全体としては(勧善)懲悪といつてよい設定も、素直な私(笑)には嬉しかつたりする。
 表面的には「死刑の是非」とか「生きる者と死の宿命」とか「超能力による癒し」とか、さういつた重い問題を投げかけたり空想的な要素も描かれてゐるやうだつたが、たとへそれらを全部無視しても、演じられる人間たちの振る舞ひをとほして、視聴者は感動を覚える場面を必ず体験し、憤りを覚える人物を必ず認めるだらう。
 でも、やはり死刑といふ合法的殺人には割り切れないものを感じるね。「やり直したい。でも、(受刑が決まつた今、)それは無理だ」といふ簡潔な台詞が死刑の理不尽さを象徴してゐるやうに思つた。そして、死刑囚を預かる看守は、厳しくも心優しくなければならないと知らされる。登場する看守のなかではモースが演じてゐたブルータルが、私は最も気に入つた。正に「いゝ人」である。モースも悪役を演じるかもしれないが、グリーンマイルでの彼が地の演技だとしたら、モースはきつといゝ人だと思ふ。(私つて単純?)
 その簡潔な台詞を発する死刑囚が、罪を犯し裁かれた自身はともかく、刑務所で友だちとなつたねずみの行く末を案じて看守たちに慰められる場面は、私が一番感動したところだ。「嘘も方便」といふ言葉がこれほど効果的に思へる場面も少ないのではなからうか。「罪を憎んで人は憎まず」にも通じるやうな気もするけど、死刑囚が対象だから、それはちよつと的外れかな。
 それと、ダンカンが演じてゐた冤罪の被害者(ジョン)が、ハンクスが演じるヂレンマに立つ看守に語るところもよかつた。「むごいことばかり見せられるこの世で生きるのはもう疲れた。だから、冤罪でも死刑宣告に抵抗する気はない。死に導いてくれる看守は、さういふ意味ではありがたい」ともとれるジョンの姿勢が、冤罪により殺されてしまふといふ物語にあつては一種の救ひになつてゐると思つた。
 それにしても、ねずみが65年以上経つて健在といふと、ポールは一体いつまで生かされるのか。何だか気が遠くなりますな。(ねずみつて何年くらゐ生きるんだつけ?)
(2000年7月1日、シネマ・メディアージュ[シアター10])

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このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
(内容については実質的には2000年7月10日版)