ファンタジア2000
新宿駅新南口(つまり渋谷区)のアイマックス・シアターに初めて行くことになつた。3D映画などで話題の場所だつたので、勝手に期待してしまつたが3Dではなかつた。
半世紀も前のディズニーの傑作『ファンタジア』の2000年版といふわけだが、初代の看板作品「魔法使ひの弟子」は期待を裏切られてしまつた。とはいへ期待した私が悪いのだし、内容的に今でも引けを取らないといふ意味では改めて感心した。私が期待したのは、初代版の動画を改作するはずはないので、もしかしたら心残りだつた音楽の音質を整へるべく、新版演奏者が「動画画面に合はせて録音し直す」のではないか、といふものだつたが、ストコフスキーの偉大な演奏をなぞるやうな真似はされなかつた。今回の指揮者ジェームズ・レバインも、さすがにそんな真似はできなかつたわけだね。結局往年の名作がそのまゝ採用され、リメイクは最後の部分だけ。前作の最後でストコフスキーと握手したミッキー・マウスは、とんぼ返りでレバインと握手しちやふといふ演出。なかなか結構でした。なお、『ファンタジア』はディズニーの手になる「クラシック音楽の流れに動きを合はせた動画作品」で、形式的には短編映画を組にしたもの(念のため)。
さて、では、各短編について順番にほんの少しづつ。
「交響曲第5番」(ベートーベン)
初代「ファンタジア」も1曲目は絶対音楽(標題音楽ではないといふ意味合ひ。つまりこれといつた具体的な物語性のない音楽)だつたけど、前回の楽器の一部分などから発展するイメージとは異なり、もう少し具体性のある内容。曲は平たく言へば『運命』だ。「ジャジャジャジャーン」で始まる、あの超有名曲。あれに乗つて三角だか鳥だか分からないけど何かゞ飛んだりするやうな映像。(だいぶ舌足らずな説明だけど、3分の1くらゐは合つてると思ふよ)
いろいろ考へたのかもしれないけど、個人的には初代のほうに軍配を上げたい(初代の音楽はバッハの「トッカータとフーガ(ニ短調)」)
「交響詩“ローマの松”」(レスピーギ)
これは良かつた。
かなりリアルな筆致(と、いつてもたぶんコンピュータ・グラフィック)のクジラの親子が登場し、途中で子クジラは氷山の氷の中に。氷の内と外で存在の探り合ひ。やがて再び合流し、別のクジラたちとともに天空へ飛翔。大気の海に豪快なしぶきをあげて終はり。といつたところ。(これも説明が陳腐で不足も多いかもしれないけどごめん)
「原曲のイメージに捕らはれない自由な発想のストーリー」といつた意味でも惹かれるものが大きかつたし、静も動も、淡々と移り変はる映像とそれによく合つた音楽(まあもともとそれが製作信条なわけだから当然といへばそれまでだが)で、気持ちよく楽しめた。
「ラプソディ・イン・ブルー」(ガーシュイン)
アメリカが産んだ、ジャズとクラシックを世界で初めて融合させたこの曲が発表された頃のアメリカの風景。
漫画的で舞台も街だし、登場人物もほとんど善人ばかり。だが、曲同様に、活発で明るい一方で憂鬱な心象も描かれる。夢見ながら頑張つて仕事してる人、強欲な奥さんに苦労してる子どもの心を忘れてない旦那、気乗りしない習ひ事をさせられてもつと遊びたいと思つてる女の子、失業で生きる糧をも失ひつゝある人。それぞれが、まるで今の世でも充分に通用する内容で、お国が違つても事情は似てるねえ、などと妙に感慨深く観てしまつた。最後には皆ハッピーになれるのが救ひ。
物語性では最も深いといへそうな作品だつた。
「ピアノ協奏曲第2番(アレグロ)」(ショスタコービチ)
アンデルセンの「錫の兵隊」に基づくストーリーによる動画に合う音楽をやつと探し出したとのこと。たゞ、私の中では今ひとつの印象。まあ贅沢を言つちやいけないけどね。
「動物の謝肉祭(フィナーレ)」(サン=サーンス)
音楽は軽快で楽しめるものだけど、描かれたのは「フラミンゴがヨーヨーしたら…」といふもので、どうも物足りなかつた。初代「ファンタジア」の「時の踊り」に近い性格の編だと思ふけど、それを思ふほどに初代の出来の良さと比較してしまひ幻滅に近いものが否めない。ストーリー性もないし、妻も「なんか一番つまんなかつたねえ」と言つたが私も同感だつた。
「魔法使ひの弟子」(デュカ)
これは前述のとほり。音質や画質こそ劣るものゝ、内容的には「さすがに看板作品」である。時代を超えて演技するミッキーが見られる。
「威風堂々(1,2,3,4番の抜粋・再構成)」(エルガー)
この曲だけはかなりアレンジされてゐた。いきなり第2番で始まつたのは第1番が最も有名なことを知る人々には意表をつくおもしろさだらう。なほ、アレンジは本来は別の曲である4曲が自由な形で編まれてゐるのだが、原曲にはないオーケストレーションも随所に聴くことができる。ちなみに編曲者は、クラシック系冗談音楽の一つであるPDQバッハでお馴染みのピーター・シックリーとのこと。
画面のほうは、ドナルド・ダック夫妻が登場。私はディズニーの役者連中に詳しくないのだが、どうもドナルドもまたおつちよこちよいのやうだ。物語は、ノアの方舟に種々の動物のつがひを導く仕事をドナルドが演じるといふものだが、そんなにいぢめることないでせうに、といふくらゐドナルドは徹底的に失敗させられる。それでも忘れない夫婦愛に、私は胸が熱くなつたね。やつと再会を果たせたラストシーンでは、思はず込み上げてくるものがあつたほどだよ。
「火の鳥(王女たちのロンド〜カッチェイの凶悪な踊り〜子守歌〜フィナーレ)」(ストラビンスキー)
これは壮大な作品。
初代「ファンタジア」の「はげ山の一夜」(ムソルグスキー)と「くるみ割り人形」(チャイコフスキー)の要素を混ぜたやうな展開。荒れ野を緑に変へる精(実は違ふかも。勝手にさう思つたのだから許して)が主人公だ。
暗と明、陰と陽、などの類が、とても大きなスケールで描かれる。最後を飾るに相応しい内容といへやう。
音楽も豊かな響き。カッチェイの冒頭は、静かな後で突然に大音響が鳴り響き、もちろん映像も急展開。心臓の弱い人は要注意だ。
(その他)
そして、各短編をつなぐ部分では、今回は多数の人間が登場してゐる。欧米の芸能人事情は疎いのでよく知らないが、たぶん彼の地では有名な人々が大勢出てゐる。前回は指揮者のストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団の面々だけだつたわけだが、今回はレバインとシカゴ交響楽団の面々以外にバイオリニスト(イツァーク・パールマン)やピアニスト(忘れた)、手品師(コメディアン?)や恰幅のいゝおばさん(失礼)などなどが多数登場し花を添へた。また、オーケストラの舞台は豪華になつたし、アニメーターか画家も数名映された。
さらには制作秘話らしきエピソードも交へ、一言でいへば「ファンタジア」復活のお祭りのやうな感じであつた。
なほ、初代に採用された曲の作曲者で今回も採用されたのは、まつたく同曲のデュカを除けばベートーベンとストラビンスキーだけで、ベートーベンは前回は「田園交響曲」、ストラビンスキーは前回は「春の祭典」が、それぞれ採用されてゐる。
(2000年2月29日、東京アイマックス・シアター)
(2001年8月26日、DVDでの再視聴により一部修正[Special thanks to Mr.Tequila])
目次へ戻る
このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
(内容については実質的には2001年8月26日版)