フェアリーテイル
 あまり話題にはならなかつたやうだが、小さな新聞広告に書かれた宣伝文句に惹かれて観てきた。
 映画のお国ぶりとか役者の個性とか、さういふ話は手に負へないのであるが、イギリスではなかつたら…、他の役者だつたら…、と少しは思へた。明確な言葉でこゝにその思ひを書く力はないのだけれど。
 さて、その役者さんだが、まづ2人の少女が実によかつた。台本に描かれた微妙な個性の違ひがとてもよく出てをり、特に年上のエルシー役(フロレンス・ハース)は最高であつた。幼なさと大人つぽさが同居する年頃の感情がすばらしい。同年代ゆゑあるいは当然かもしれないが、深みのある表情はあくまでも劇中人物のそれとして迫るのだから、やはり名演だと思ふ。
 そして、フーディーニ役のハーベイ・カイテルもすごかつた。こちらはカリスマ性の目立つ威圧感と同時に子どもへの温かな眼差しをも感じられるといふ得がたいものであつた。
 他の面々も堅実な演技だつたやうに思ふ。さういへば、ほんの端役だがメル・ギブソンも光つてゐた。さすがである。
 お話は、妖精が本当にゐるか否かの論争を巻き起こした事実に基づくものだが、この映画ではあくまで妖精は本当にゐるといふことで最初から貫かれてをり、実に素直で好感の持てる前提である。主題は、「信じることができるか…」といふやうなものであらうが、それが、人の優しさ、弱さ、醜さ(、およびそれらに対するもの)などをわかり易く織り交ぜながら描かれてゐると思つた。
 人が死んだり、肉体が大きく傷ついたりするやうな場面が一切ないといふ、暴力映画とは対極の性格にも頗る好感を持つた。清らかなストリングスが随所で響く音楽や、田園の森の美しい風景などと相俟つて、何か独特の‘上質さ’が、ひしひしと感じられたのだ。
 ちなみに、イギリス英語の聞き取り易さ、イギリス紳士の女性への礼儀正しさを、原語と字幕の対比で再発見することができた。後者は、郵便配達のお爺さんが話す少女たちの質問に応へるときの台詞で、その鄭重な挨拶に対する字幕が、ごく日常的な日本語だつたことに、少なからぬ驚きを覚えた結果である。
  監督:チャールズ・スターリッジ
  脚本:アーニー・コントレラス
  音楽:ズビグニエフ・プレイスネル
  字幕翻訳:松浦美奈
    (1999年4月29日 銀座テアトル西友)
目次へ戻る
このページは長谷部 宏行(HASEBE, Hiroyuki)からの発信です
2017年4月9日版
(内容については実質的には2000年5月12日版)